第29話 井戸の水汲みと、プルルの成長
翌朝。
「プルル、おはよう!」
テントの入口を開けた唯衣が、真っ先に声をかけた。
その足元では、小さなスライムがぷるん、と身体を揺らしている。
「ぷるっ!」
「ふふっ。今日も元気だね!」
唯衣がしゃがみ込むと、プルルは彼女の手にぴょんと飛び乗った。
……いや、飛び乗ったというより、身体を伸ばしてくっついただけなのだが。
「おはよう。朝から仲がいいな」
「海斗さん、おはようございます!」
「おはようございます、海斗さん」
振り返ると、蝉丸が眼鏡を押し上げながら歩いてきた。
その後ろから、慎之助さんも大きなあくびをしながら現れる。
「ふぁあ……。朝か。できれば、あと三時間くらい寝ていたいな」
「昨日も早く寝たでしょう」
「睡眠はいくら取ってもいいんだよ」
「その理屈だと、一日中寝ることになりますよ」
「それはそれで魅力的だな」
「ありません」
いつものやり取りをしながら、俺たちは朝食の準備を始めた。
今日もやることは山積みだ。
家の建築。
井戸の仕上げ。
水の使い道と排水の確認。
それに、トイレの構造もそろそろ具体的に考えなければならない。
異世界に来てから、俺の頭の中は生活改善のことでいっぱいだ。
……いや、田舎でのんびり暮らすつもりだったんだけどな。
どうして毎日こんなに忙しいんだろう。
◇ ◇ ◇
「それじゃあ、今日もプルルの様子を確認してみようか」
朝食を終えたあと、俺たちはテントのそばに集まった。
プルルの世話は唯衣が担当しているが、餌を与えた量や反応については、蝉丸が記録をつけている。
「昨日は小さく切った果実と、柔らかい草を少量。食べた量は……このくらいですね」
蝉丸が記録帳を見せてくれた。
「食べる前と後で、身体の大きさに変化はありましたか?」
「うーん……。ちょっと大きくなった気がするけど、気のせいかもしれない」
唯衣がプルルを両手に乗せる。
確かに、最初に出会ったときより、ほんの少し大きくなったようにも見える。
ただ、スライムは身体の形を変えられるらしい。
見た目だけでは、成長したのかどうか判断できない。
「やっぱり、ステータスを確認した方がいいんじゃないか?」
俺が言うと、唯衣が顔を上げた。
「私のステータスで?」
「テイムした魔物の情報が表示される項目があるかもしれないだろ」
「そっか。試してみる!」
唯衣は目を閉じ、ステータスを確認するように意識を集中させた。
しばらくして、ぱっと目を開く。
「えっと……自分の名前とか、スキルとかはいつもどおりなんだけど」
「従魔の項目は?」
「……あっ!」
唯衣が声を上げた。
「ある! 従魔っていう項目があるよ!」
「本当か?」
「うん。そこにプルルの名前が出てる!」
俺たちは顔を見合わせた。
「じゃあ、レベルも分かるのか?」
「ちょっと待ってね……」
唯衣は再び目を閉じた。
そして、少し首を傾げる。
「名前と種族は分かるんだけど……。レベルの欄は、表示が薄くてよく読めない」
「表示が薄い?」
「うん。何か条件があるのかな?」
「ふむ……」
蝉丸が興味深そうに頷いた。
「テイムした従魔の情報が、すべて最初から確認できるとは限らないということですね」
「じゃあ、蝉丸の鑑定ならどうだ?」
「試してみましょう」
蝉丸はプルルに視線を向けた。
「鑑定」
短い沈黙。
「……どうです?」
俺が尋ねると、蝉丸は少し考え込んだ。
「種族はスライム。状態も、特に異常はありません。ただ、レベルについては、はっきり確認できませんね」
「蝉丸でも分からないのか」
「鑑定の能力にも、見える情報と見えない情報があるのかもしれません」
唯衣がプルルを見つめる。
「じゃあ、まだレベルアップしたかどうかは分からないんだね」
「そうだな。大きくなったように見えるのは確かだけど、もう少し様子を見よう」
「うん!」
唯衣はプルルをそっと地面に下ろした。
その瞬間。
プルルの身体が、淡く光った。
「……あれ?」
俺たちは一斉に動きを止めた。
光はほんの一瞬。
すぐに消えてしまい、プルルは何事もなかったかのようにぷるぷると揺れている。
「今の、何でしょう?」
「魔力の反応か?」
蝉丸が近づき、もう一度鑑定を試みる。
しかし、結果に変化はなかった。
「……分かりませんね」
「うーん……」
俺は腕を組んだ。
餌を食べて、少し大きくなって、時々光る。
確かに何か変化は起きているらしい。
ただ、それがレベルアップなのか、成長の兆候なのか、それともスライムにはよくある現象なのか。
今の俺たちには判断できない。
「焦っても仕方ないか」
「そうですね。餌の量を急に増やすのは避けて、今までどおり観察しましょう」
蝉丸の言葉に、唯衣も頷いた。
「分かった。プルル、無理せずゆっくり大きくなろうね」
「ぷるっ!」
返事をしたように見えたのは、きっと気のせいではない。
……たぶん。
◇ ◇ ◇
その日の午前中。
俺たちは、井戸を掘ってくれたダンさんたちと、仕上げの確認をすることになった。
家の近くにある井戸と、畑に近い場所に掘った井戸。
どちらも、底の方に水がたまっている。
「今のところ、水は戻ってきているようですな」
ダンさんが井戸の中を確認しながら言った。
「一度汲み上げても、しばらくすると水位が戻る。これなら使える見込みはありそうです。ただ、実際に使い始めてから、どれくらいの量を安定して汲めるかは確認が必要ですな」
「なるほど。ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
井戸を掘る作業は、俺たちだけでは到底できなかった。
場所の選定から掘削まで、ダンさんたちには本当に世話になっている。
「水質についても、まだ確認が必要です。見た目が澄んでいても、そのまま飲めるとは限りませんからな」
「分かりました。飲み水にする前に、きちんと調べます」
生活用水として使えるかどうかも、少しずつ確かめていく必要がある。
特に、家の中に水を引くつもりなら、なおさらだ。
「それで、井戸の仕上げですが」
ダンさんが道具を置き、俺たちを見た。
「井戸の縁を崩れにくいように固めて、周囲に水が流れ込まないよう整えます。あとは水を汲み上げるための道具ですな。釣瓶と滑車を用意すれば、ひとまず使えるようになります」
「釣瓶ですか」
「ええ。桶を縄で下ろして、水を汲み上げる方法です。村ではそれが一般的ですな」
なるほど。
確かに、それなら使えるだろう。
ただ、毎日何度も桶を下ろして引き上げるのは、なかなか大変そうだ。
家の井戸なら、飲み水や炊事、洗濯に使う。
畑の井戸なら、水やりのたびに大量の水を汲み上げることになる。
できれば、もう少し楽に水を汲める方法が欲しい。
俺は、隣にいる蝉丸へ目を向けた。
「なあ、蝉丸」
「はい?」
「手押しポンプって、作れそうか?」
「手押しポンプ?」
蝉丸が首を傾げた。
「水を汲み上げるための道具だ。柄を上下に動かすと、水が上がってくる仕組みなんだけど……」
「なるほど。詳しい構造が分かれば、考えようはあるかもしれませんね」
蝉丸は興味を持った様子だった。
ただ、すぐに作れるというわけではない。
俺自身、仕組みを大まかに知っているだけで、部品の形や寸法、気密性をどう確保するかまでは説明できないのだ。
「今度、検索で構造を調べてみる。図や仕組みが分かれば、蝉丸に相談できるかもしれない」
「ええ。資料があるなら助かります。錬金術で部品を加工できるかも含めて、検討してみましょう」
その話を聞いていたダンさんが、首を傾げた。
「水を汲み上げる道具……ですか?」
「ああ、いえ。ちょっと便利な道具がないかな、と思っただけです」
俺は笑って話を戻した。
「ところで、ダンさんたちは普段、井戸の水汲みってどうしてるんですか? 毎日だと大変じゃありません?」
「そりゃあ、手間はかかりますな」
ダンさんは肩をすくめた。
「桶を下ろして、水を汲んで、引き上げる。慣れればどうということはありませんが、水をたくさん使う日は何度も繰り返すことになります」
「やっぱりそうですよね」
「畑に水をやるとなれば、なおさらですな。もっと楽な方法があれば便利でしょうが……」
ダンさんはそう言って笑った。
俺が手押しポンプの仕組みを簡単に説明しても、やはり想像するのは難しいらしい。
「まあ、俺たちもまだ考えている段階なので」
「なるほど。では、ひとまず釣瓶を用意しておきましょう。こちらで準備できますぞ」
「ありがとうございます。でも、そこまでしていただかなくても大丈夫です」
「そうですか?」
「はい。井戸を掘っていただいただけでも、本当に助かりました。仕上げの方法を教えていただければ、あとは自分たちで準備してみます」
俺たちには、蝉丸の錬金術がある。
それに、現代の知識を調べられる俺のスキルもある。
どこまでできるかは分からないが、まずは自分たちで挑戦してみたい。
「……分かりました。では、井戸の縁の仕上げと、周囲の排水について説明しておきましょう」
「お願いします」
ダンさんは、井戸の周囲を指しながら丁寧に教えてくれた。
縁を崩れにくくすること。
雨水や泥が流れ込まないよう、周囲を整えること。
汲み上げた水が井戸の中へ戻らないよう、足元の水はけにも気を配ること。
どれも、長く安全に使うためには欠かせない作業だ。
「本当に、ありがとうございました」
最後にもう一度、俺たちはダンさんたちへ頭を下げた。
「なに、困ったときはお互い様です。何かあれば、いつでも声をかけてください」
ダンさんたちはそう言って、村へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
「さて……」
ダンさんたちを見送ったあと、俺は蝉丸を振り返った。
「手押しポンプ、作ってみるか?」
「そうですね。海斗さんが構造を調べてくれるなら、挑戦する価値はあると思います」
蝉丸は少し考え込んだ。
「ただし、最初から実用になるとは限りません。水を吸い上げる部分の密閉や、動く部品の摩擦など、確認すべき点は多そうです」
「そこは仕方ないな。まずは仕組みを理解するところからだ」
「はい。資料を見て、必要な部品を整理しましょう。試作品を作って、うまく動かなければ修正すればいい」
「頼もしいな」
「錬金術師ですから」
蝉丸は、珍しく自信ありげに笑った。
その様子を見ていた慎之助さんが、腕を組む。
「つまり、蝉丸君が新しい道具を作るわけだな?」
「まだ作れると決まったわけではありませんよ」
「でも、できたら便利だろうな。畑の水やりも楽になるし」
「ええ。実用化できれば、かなり助かると思います」
「よし。じゃあ俺は応援係だ!」
「何もしない宣言に聞こえますけど」
「失礼な。力仕事なら任せろ!」
「そのときはお願いします」
俺たちは笑い合った。
まずは、井戸を安全に使えるようにすること。
そして、家の建築を進めること。
手押しポンプは、そのための小さな挑戦の一つだ。
いきなり村全体の暮らしを変えようなんて考えているわけじゃない。
自分たちが少しでも快適に暮らせるように。
それが、今の俺たちの目標だった。
◇ ◇ ◇
数日後。
蝉丸が試作した手押しポンプが、ようやく形になった。
俺が検索で調べた構造をもとに、図を描き、部品の配置や動き方を一緒に確認した。
もちろん、最初から思いどおりに動いたわけではない。
水がうまく吸い上がらなかったり、柄を動かしても空気が漏れたり。
何度も部品を調整し、接合部分を作り直した。
そのたびに蝉丸が錬金術で加工し、俺が動作を確かめる。
そして――。
「……よし、来た!」
柄を上下に動かすと、吐出口から水が流れ出した。
「おおっ!」
慎之助さんが声を上げる。
「本当に水が出たぞ!」
「やりましたね、蝉丸!」
唯衣も大喜びだ。
プルルも、足元でぷるんと身体を揺らしている。
「いやあ、まだ試作品ですよ。長く使えるかどうかも、これから確認しないと」
そう言いながらも、蝉丸の顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
俺たちは、完成したポンプを畑側の井戸に取り付けた。
家の近くの井戸は、まずは汲み上げた水の状態を確認しながら使うことにする。
一方、畑の井戸は、これから水やりに使う予定だ。
ポンプを使えば、桶を何度も引き上げるより作業が楽になるはずだった。
……もちろん、実際に使ってみて問題がないか、しばらく確認する必要はあるけれど。
◇ ◇ ◇
さらに数日後。
「おーい、佐藤さんたち。様子を見に来ましたぞ!」
井戸掘りの仕上がりを確認するため、ダンさんたちが再び訪ねてきた。
「ダンさん、ありがとうございます。おかげさまで、井戸は順調です」
「それは何よりですな。では、こちらの井戸も――」
ダンさんが畑側の井戸へ目を向けた。
そして、そこに取り付けられた道具を見て、足を止めた。
「……ん?」
金属と木材で組まれた装置。
その横には、上下に動かせる柄が伸びている。
「これは……何ですかな?」
「ああ、これですか。水を汲み上げるための手押しポンプです」
「手押し……ポンプ?」
ダンさんは、見慣れない道具をじっと眺めた。
「これで水が汲めるのですか?」
「はい。試してみますか?」
俺が尋ねると、ダンさんは半信半疑のまま頷いた。
蝉丸が柄を動かす。
ギッ、ギッ、と小さな音がしたあと――。
吐出口から水が流れ出した。
「おおっ!?」
ダンさんが目を見開いた。
「桶も縄も使わずに、水が出てくるのですか!」
「仕組みを工夫したんです。まだ試作品なので、耐久性などはこれから確認する必要がありますけど」
「いや、これは……!」
ダンさんはポンプの周囲を回り、柄や吐出口を何度も確かめた。
「こんな方法があるとは……。これなら水汲みの手間がずいぶん減りますな!」
「畑の水やりに使うつもりです」
「畑だけではもったいない!」
ダンさんは勢いよく振り返った。
「ぜひ、村の井戸にも作っていただけませんか? 村の者たちも、毎日の水汲みには苦労しているのです!」
「村にも、ですか?」
「ええ! これがあれば、年寄りや子供たちも水を汲みやすくなります。もちろん、誰にでも使えるよう、丈夫なものにする必要はありますが……」
思いがけない申し出だった。
俺は蝉丸と顔を見合わせた。
「どうする、蝉丸?」
「まずは、この試作品をしばらく使って、壊れやすい部分や改善点を調べたいですね。それが済んだら、村用のものについても考えましょう」
「そうだな。安全に使えることが第一だ」
ダンさんは何度も頷いた。
「分かりました。急かすつもりはありません。ですが、ぜひお願いします!」
「できる限り協力します」
俺はそう答えた。
ただ、自分たちの暮らしを便利にするために作った道具が、村の人たちにも必要とされるとは思っていなかった。
まだ試作品だ。
設計図も、誰にでも作れる形に整理したわけではない。
村の鍛冶師が同じものを作れるかどうかも、これから考えることになるだろう。
それでも――。
異世界での生活は、少しずつ変わり始めている。
俺たちが快適に暮らすための工夫が、いつか村の人たちの役にも立つかもしれない。
「……なんだか、忙しくなりそうだな」
俺が呟くと、慎之助さんが肩を叩いてきた。
「いいじゃないか、海斗。便利なものが増えるのはいいことだ」
「そうですけどね」
「それに、村の人たちに喜んでもらえるなら、やりがいもあるだろう?」
「……まあ、それはそうですね」
蝉丸も、完成したポンプを見ながら頷いた。
「まずは、安定して動くように改良しましょう。話はそれからです」
「頼むぞ、蝉丸」
「はい」
その足元では、プルルがぷるぷると揺れていた。
「ぷるっ!」
「お前も応援してくれるのか?」
唯衣が笑いながら、そっとプルルを撫でる。
プルルの身体が、またほんの少しだけ大きくなったように見えた。
けれど、レベルが上がったのかどうかは、まだ分からない。
俺たちはこれからも観察を続けることにした。
井戸も、手押しポンプも、プルルの成長も。
焦らず、一つずつ確かめていけばいい。
家造りはまだ途中だし、トイレや排水の問題も残っている。
スローライフへの道のりは、思っていたよりずっと長い。
それでも――。
「よし。明日も頑張るか」
俺は、青空の下に広がる自分たちの土地を見渡した。
少しずつ、確実に。
俺たちの暮らしは、この世界に根を下ろし始めていた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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