第28話 井戸を2か所掘ろう! ……プルルの成長と水の確保
翌朝。
「プルル、おはよう!」
テントの入口を開けた唯衣が、真っ先に声を上げた。
その足元には、小さなスライムがいる。
ぷるん。
「ふふっ、今日も元気だね!」
プルルと名付けられたスライムは、唯衣の声に反応したように身体を揺らした。
昨日、唯衣が少しずつ餌を与え、様子を見ながら距離を縮めた末にテイムした魔物だ。
見た目は半透明の小さな塊。
今のところ、特別な能力があるようには見えない。
ただ、果物や葉を取り込むことが分かったので、何を食べるのか、どのくらい食べるのかを調べている最中だった。
「……本当に、何を食べてるんだろうな」
俺は腕を組んだ。
「昨日は果物と葉っぱを食べましたよね?」
唯衣がしゃがみ込み、プルルを覗き込む。
「ああ。だから今日は、食べた量と反応を記録してみようと思う」
「観察日記ですね!」
蝉丸がノートを片手に近づいてきた。
「昨日の泥水の実験も、条件をそろえてもう一度やりましょう。プルルがいる場合と、いない場合を比較すれば、何か分かるかもしれません」
「そうだな。水の量も泥の量も同じにして、しばらく置いてみよう」
「分かりました」
唯衣が元気よく手を挙げた。
「私も手伝う!」
「頼む。ただし、餌を与えるときは、何をどれだけ与えたか記録してくれ」
「はーい!」
返事だけは立派だ。
まあ、今回は俺も一緒に観察するつもりだから大丈夫だろう。
「ところで、慎之助さんは?」
「ここにいるぞー」
少し離れた場所から声がした。
振り向くと、慎之助さんが大きく伸びをしていた。
「いやあ、朝の空気はうまいな!」
「まだ朝食も食べてませんよ」
「空気は無料だろ?」
「そういう問題じゃないです」
「細かいことは気にするな、海斗」
いつもの調子だ。
異世界に来てから、こういうやり取りがすっかり日常になってしまった。
……まあ、悪くない。
俺たちはこの世界で暮らしていくために、少しずつ生活基盤を整えている。
家を建てる。
水を確保する。
トイレを整備する。
そして、できるだけ快適に暮らせる環境を作る。
そのためには、まず水が必要だった。
◇ ◇ ◇
「それでは、こちらの場所から掘っていきましょう」
午前中。
村の井戸掘りに詳しいダンさんが、家の建設予定地の近くで地面を確認していた。
年齢は五十代くらい。
日に焼けた顔に、がっしりとした身体。
長年、村の水源を見てきた人らしい。
「この辺りは、地形から見ても水が期待できそうです。ただし、実際に掘ってみないと分かりません」
「なるほど」
俺は頷いた。
現代日本なら、水道の蛇口をひねれば水が出る。
だが、ここではそうはいかない。
水を手に入れるためにも、場所を選び、地面を掘り、使える水があるか確かめる必要がある。
「よろしくお願いします」
「任せてください」
ダンさんは道具を手に取り、作業を始めた。
俺たちも邪魔にならない範囲で手伝う。
蝉丸は掘った土の様子を観察し、唯衣は道具を運び、慎之助さんは土を運ぶ役目を引き受けた。
俺も交代しながら作業に加わる。
しばらくすると、ダンさんが掘り出した土を手に取った。
「……うん。この辺りなら、可能性はありそうですな」
「本当ですか?」
「ええ。土の湿り方が変わってきました」
全員の視線が、掘り進められた穴に集まる。
さらに作業を進めると――。
「おっ、来ましたぞ!」
穴の底に、じわりと水がにじみ出てきた。
「おおっ!」
唯衣が声を上げる。
「本当に水が出た!」
「まだ安心するのは早いですよ」
ダンさんが笑った。
「どのくらい水がたまるか、しばらく様子を見なければなりません。水が出たからといって、すぐに井戸として使えるとは限りませんから」
「確かに」
俺は頷いた。
水量が十分かどうか。
季節によって枯れたりしないか。
そして、生活用水として使える水質なのか。
確認すべきことは多い。
「それでも、第一候補で水が出たのは大きいですね」
蝉丸が言った。
「ああ。家の近くで水を確保できれば、生活がかなり楽になる」
俺たちが目指しているのは、単に雨風をしのげる家ではない。
できることなら、風呂も欲しい。
水洗トイレも欲しい。
台所で水を使えるようにもしたい。
そのためには、安定した水源が必要だ。
「ただ、もう1か所も掘っておきたいんだよな」
俺は見取り図を広げた。
「畑にする予定の場所ですか?」
蝉丸が尋ねる。
「ああ。家の近くの井戸だけで全部まかなうと、畑に水を運ぶのが大変だろ?」
「確かに。特に夏場は水やりの量も増えそうですね」
「それに、農業用水と生活用水の水源を分けられるなら、その方が便利だと思う」
もちろん、2か所掘れば必ず水が出るとは限らない。
費用も手間もかかる。
それでも、畑の近くに水源があれば、将来の作業効率は大きく変わるはずだ。
「ダンさん。もう1か所、畑の近くにも井戸を掘ることはできますか?」
「畑の近くですか?」
「はい。家の近くとは別に、農業用水を確保したいんです」
ダンさんは見取り図をのぞき込み、少し考えた。
「地形を確認してみましょう。水が出る保証はできませんが、調べる価値はあると思います」
「お願いします」
「分かりました。まずは、こちらの井戸の様子を見ながら進めましょう」
こうして、家の近くの井戸に続き、畑の近くにも井戸を掘る計画が決まった。
◇ ◇ ◇
昼食を挟み、午後。
俺たちは畑にする予定の土地へ移動した。
家の建設予定地からは少し離れているが、歩いて行ける距離だ。
周囲は開けていて、日当たりも悪くない。
「ここが畑になるんですね!」
唯衣が楽しそうに周囲を見渡す。
「そうだな。野菜を育てられるようになれば、食費も抑えられる」
「トマトとか、キュウリとか!」
「この世界に同じ種類の野菜があるかは分からないけどな」
「じゃあ、似た野菜を探そう!」
「そうだな」
異世界の植物が、地球の植物と同じとは限らない。
食べられるかどうかも、実際に確認する必要がある。
そのあたりは、村人に教えてもらいながら進めていくつもりだ。
「畑に水があれば、かなり便利になりますね」
蝉丸が言った。
「ああ。できれば、手押しポンプを設置したい」
「手押しポンプ?」
慎之助さんが首を傾げる。
「ハンドルを上下させて水をくみ上げる道具です。電気がなくても使えるものがあります」
「なるほど。水をくむたびに桶を下ろさなくてもいいわけか」
「そういうことです」
俺は頷いた。
ただし、ポンプを設置するには、井戸の深さや構造に合ったものを用意する必要がある。
現代の道具をそのまま持ち込めるわけではないから、仕組みを調べ、現地の材料で作れるか検討する必要もあるだろう。
「まずは、水が出るかどうかだな」
「ですね」
ダンさんが地面を調べ、掘る位置を決めた。
そして、作業が始まった。
土を掘り、土質を確認し、さらに深く掘り進める。
家の近くの井戸ほど早くはなかった。
それでも、諦めずに作業を続けていると――。
「……おや?」
ダンさんが手を止めた。
「どうしました?」
「土が変わってきましたな」
穴の底から掘り出された土は、先ほどまでの土よりも湿っていた。
ダンさんは慎重に作業を続ける。
そして。
「おお、こちらも来ましたぞ!」
穴の底に、少しずつ水がにじみ出てきた。
「やった!」
唯衣が両手を上げた。
「畑の方にも水が出た!」
「よかった……」
俺も思わず息を吐いた。
これで、井戸の候補地2か所の両方から水が出たことになる。
ただし、まだ完成ではない。
水が十分にたまるか、継続して使えるか、水質に問題がないか。
どちらも、これから確認しなければならない。
「こちらも、しばらく様子を見る必要があります」
ダンさんが念を押す。
「特に畑で使うなら、必要な水量を確保できるかも大事ですな」
「分かりました。引き続き、よろしくお願いします」
「ええ」
俺は見取り図に2つの井戸の位置を書き込んだ。
家の近くの井戸は、生活用水の供給源として整備する。
畑の近くの井戸は、農業用水を確保するために整備する。
そして、畑の井戸には、後日手押しポンプを設置する。
それが今のところの計画だ。
「少しずつ、暮らしが形になってきたな」
俺が呟くと、慎之助さんが笑った。
「だな。あとは風呂とトイレと酒の保管場所だ」
「最後のは慎之助さん個人の希望でしょう」
「何を言う。酒の保管場所は文化の保存に必要だぞ」
「大げさすぎます」
「海斗、異世界で酒を楽しむためには環境整備が大切なんだ」
「はいはい」
唯衣が笑い、蝉丸も肩を揺らした。
こういう会話をしていると、ここが異世界だということを忘れそうになる。
もちろん、現実にはまだ課題だらけだ。
それでも、前に進んでいる実感はあった。
◇ ◇ ◇
井戸の作業が一段落したところで、俺たちはプルルの観察を再開した。
「よし。昨日と同じ条件でやってみよう」
俺は容器を2つ並べた。
どちらにも同じ量の水を入れ、同じ量の土を混ぜる。
片方にはプルルを入れる。
もう片方は、そのままにしておく。
「これなら比較しやすいですね」
蝉丸が記録用のノートを開く。
「観察する時間もそろえましょう。途中で水を動かしたり、容器を移動したりしないように」
「分かった」
唯衣はプルルのそばに座り、じっと様子を見ている。
「プルル、頑張ってね」
ぷるん。
「……応援しても、結果は変わらないと思うぞ」
「気持ちが大事なの!」
「そうですか」
俺は苦笑した。
しばらくすると、プルルの入った容器では、昨日と同じように泥が底へ集まり始めた。
一方、プルルを入れていない容器でも、少しずつ泥が沈んでいる。
「……なるほど」
蝉丸が2つの容器を見比べる。
「どちらも沈殿していますね。ただ、プルルがいる方は、泥のまとまり方が少し違うようにも見えます」
「プルルが泥を取り込んでいるのか?」
「可能性はあります。ただ、まだ断定できません」
蝉丸は慎重だった。
「水の動きや泥の粒の大きさが違うだけかもしれません。もっと観察する必要があります」
「だよな」
見た目が少し変わったからといって、浄化できたと決めつけるわけにはいかない。
仮に泥が減ったとしても、目に見えない汚れや有害なものが残っている可能性がある。
ましてや、飲み水として使うなど論外だ。
「まずは、プルルが何を取り込んでいるのかを調べないとな」
「はい。餌の種類、量、反応、時間経過。できるだけ条件をそろえて記録しましょう」
唯衣も真剣な顔で頷いた。
「プルルが役に立つかもしれないなら、ちゃんと調べたいね」
「ああ。でも、無理はさせないようにしよう」
ぷるん。
プルルは、こちらの会話を理解しているのかいないのか、相変わらずのんびりと揺れていた。
◇ ◇ ◇
夕方。
観察を終えようとしたときだった。
「……あれ?」
唯衣がプルルを見つめて首を傾げた。
「どうした?」
「プルル、ちょっと大きくなってない?」
「え?」
俺と蝉丸も、そばにしゃがみ込んだ。
昨日、テイムしたばかりの頃と比べると、確かに少しだけ大きくなったように見える。
もちろん、置き場所や形の違いによる見間違いかもしれない。
「餌を食べた分、膨らんでいるだけでは?」
蝉丸が指摘する。
「それも考えられるな」
俺は頷いた。
ただ、プルルの身体は、さっきよりも少し張りがあるように見えた。
そのとき――。
ぷるんっ!
プルルの身体が、一瞬だけ明るく光った。
「えっ!?」
唯衣が目を丸くする。
「今、光りましたよね?」
「見た。俺も見たぞ」
慎之助さんまで身を乗り出した。
「なんだ? 魔法か?」
「分かりません。まずは落ち着いてください」
蝉丸はノートを開き直した。
プルルはしばらく身体を震わせていたが、やがて元のようにぷるぷると揺れ始めた。
「……何か変わったのかな?」
唯衣が心配そうに尋ねる。
「今のところ、見た目以外には分からないな」
俺は慎重に答えた。
突然光ったからといって、すぐに新しい能力を得たとは限らない。
餌を食べたことが関係しているのか。
テイムされた影響なのか。
それとも、スライムには普通にある成長の兆候なのか。
今の俺たちには判断できなかった。
「明日から、餌の量と大きさも記録しましょう」
蝉丸が言った。
「今日の光った時間も書いておいてくれ。プルルの様子を見ながら、無理のない範囲で観察しよう」
「分かりました」
唯衣はプルルをそっと見つめた。
「プルル、少しずつ大きくなってるのかな?」
ぷるん。
返事の代わりのように、プルルが身体を揺らす。
その様子に、唯衣は安心したように笑った。
「そっか。じゃあ、明日も一緒に頑張ろうね!」
俺は、そのやり取りを見ながら考えた。
スライムも生き物である以上、餌を食べ、成長するのだろう。
この世界にはレベルやスキルという仕組みもある。
もし魔物にも成長の段階があるのなら、プルルにも何らかの変化が起こる可能性はある。
だが、今はまだ、身体が少し大きくなったように見え、一瞬光っただけだ。
特別な能力が増えたとも、進化したとも言い切れない。
まずは、毎日の変化を記録していこう。
そう決めた。
◇ ◇ ◇
夕食の準備を始める前に、俺たちは今日の作業内容を確認した。
家の基礎工事は少しずつ進んでいる。
井戸は、家の近くと畑の近くの2か所で水が出た。
畑の井戸には、後日手押しポンプを設置する予定だ。
ただし、どちらも水量や水質の確認を続け、安全に使えるよう整備しなければならない。
「水が使えるようになったら、次は排水ですね」
蝉丸が言った。
「ああ。家の中に水洗トイレを設置するなら、汚水を適切に処理する仕組みが必要だ」
「台所や風呂の排水もありますね」
「そうだな。全部まとめて、どう処理するか考えないといけない」
畑の近くには、屋外用の堆肥トイレも設ける予定だ。
ただし、排泄物をそのまま畑にまくわけではない。
衛生面に配慮して、適切に処理・熟成させたものを、使える状態か確認してから肥料として利用する。
資源を無駄にしないためにも、そこはきちんと考えたい。
「プルルが浄化槽で活躍してくれたら助かるんですけどね」
蝉丸が、観察用の容器を見ながら言った。
「そうだな。でも、今の段階では、浄化に使えるかどうかすら分からない」
「まずは実験を続けるしかありませんね」
「うん。水が澄んで見えるだけじゃ、判断できないからな」
俺はノートに、今日の結果を書き込んだ。
プルルの入った容器では、泥が沈殿し、上の水がやや澄んで見えた。
ただし、比較用の容器でも泥の沈殿が見られた。
現時点では、プルルが水を浄化していると結論づけることはできない。
今後も条件をそろえて観察し、必要なら村の詳しい人にも相談する。
これが、今日の結論だった。
「……地道だな」
俺は小さく呟いた。
「研究って、そういうものじゃないですか?」
蝉丸が眼鏡を押し上げる。
「まあ、そうなんだけどさ」
すぐに便利な仕組みが完成するわけではない。
異世界だからといって、何もかも都合よく進むわけでもない。
だからこそ、少しずつ確かめていくしかないのだ。
「よし。明日も頑張ろう」
「はい!」
唯衣が元気よく返事をする。
「俺は水をくむ手押しポンプの設計を考えてみます」
蝉丸が続いた。
「俺は風呂の完成を祈っておく」
慎之助さんが真剣な顔で言った。
「自分でも何か手伝ってください」
「もちろんだ。風呂ができたら薪を運ぶ!」
「完成前から完成後の話をしないでください」
俺たちは笑った。
こうして、異世界での暮らしは少しずつ前へ進んでいく。
家の近くと畑の近く。
2つの井戸から水が出たのは、大きな一歩だ。
けれど、井戸を安全に使えるようにする作業も、手押しポンプの設置も、まだこれから。
水洗トイレも、浄化槽も、完成には時間がかかるだろう。
そして、プルルもまた、餌を食べながら少しずつ成長しているように見える。
今日見た小さな光が何を意味するのかは、まだ分からない。
ただ、焦って結論を出す必要はない。
毎日世話をして、変化を観察していけばいい。
「……まあ、焦らずやるか」
俺は星の見え始めた空を見上げた。
日本にいた頃とは、何もかも違う生活。
それでも、自分たちの手で少しずつ暮らしを作っていくのは、思っていた以上に楽しかった。
明日は何が分かるだろう。
そんなことを考えながら、俺たちは夕食の準備を始めた。
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