第8話 想いを連れて Side:ソルダ
木々の隙間から白く淡く光る半透明の獣が五匹。ウィラの身長の半分くらいの大きさといったところか。
長剣がすぐには届かない、かつ、俺たちの動きに反応できる距離を取って、鋭い歯を剥き出しにしている。
地を這うような唸り声を上げる月狼に、負けじと俺は睨み返す。
右手を身体の前に交差させて剣の先をやつらへ向ける。背にはユーニア村の出入り口、不安そうに送り出してくれたウィラが中にいるんだ。ここを通すわけにはいかない。
隣のユズノードはその金色の長髪を一つに結び、両腕を伸ばして、縦方向に真っ直ぐと剣を構えている。
それは一切ぶれることなく、薄く鋭いよく研がれた刃物のような殺気と共に、月狼へと向けられていた。疑っていたわけではないが、これまでこの村を守ってきたというのは伊達ではなかったようだ。
じりじりと距離を詰めようとしてくるやつらは、随分と前から飛びかかる準備を済ませていた。
だがそれは俺たちも同じこと。冬に向かう冷たい風が停滞していた空気を揺らす。——瞬間、月狼の金色の瞳が俺を捉えた。
向かいくる月狼、月神の下きらりと光る鋭い鉤爪。反射に任せて一閃の剣を振るう。
続けざまに右上からもう一撃。風を切る音と共に、月狼が小さく呻いた。しっかりと切ったはずなのにその感触はやけに軽い。が、そいつは確かに倒れている。
近づいてきた気配に左下から振り上げる。死角から飛びかかってきた一匹の鉤爪と甲高い音を立て、一度、距離を取る。
背中を合わせたユズノードと、同じ拍子で駆け出した。
また一匹。ユズノードもまた一匹。もう一匹はどこだ?
警戒を強めて周囲を見回す。遠慮がちに木の葉を揺らす冷ややかな風、どこか不釣り合いな高く甘い花の香り。心臓の鼓動は主張を強め、剣を握り直す手はしっとりと冷たくなっている。
どこだ、どこだ、どこだ……。
背の高い草の影には、いない。直立不動の木の影には、いない。
そのとき、視界の端で淡く光るものが動いた。
「上だ!」
最後の一匹は木の上にいた。飛びかかられたユズノードの反応は、間に合わない。そう考えるよりも早く身体が動いていた。
ちょっとした怪我では済まない牙がユズノードの肩に触れるよりも早く、そいつ目掛けて剣を振り下ろす。
五匹の月狼が地面に倒れ動かなくなったことを確認して、俺は振り返った。
「無事?」
「ええ、おかげさまで。ですが、まだまだこれからですよ」
見てくださいとその視線が向けられた先では、月狼が白い光の粒となっていた。それは再び集まって、瞬きをした次の瞬間には俺たちを威嚇する五匹と目が合った。
「……さすがは月神様」
俺たちが剣を構え直すのと、やつらが踏み出すのはほぼ同時だった。
振り下ろして、防いで、振り上げて、切って。背中を合わせて、駆け出して。それでも終わらない戦いに小さな疲労が積み重なってきたころ。
突然、月狼たちがぴたりと動きを止めた。
その金色の双眸がそろって見ているのは俺たちの後ろ側にあるユーニア村。ユズノードに視線をやってもただ軽く首を振られるだけ。
何か異常事態が起こっているのは確かだが、下手に動くのも下策、何もせずただ様子を見ているのも決して良い策とはいえない。
何が起こっているのか、やつらは何をしようとしているのか、村の中に何かあるのか。
そのとき、一匹の月狼が空を見上げて遠吠えをした。まるで何か合図をするような……なんて思考に気を取られていたせいで、反応がわずかに遅れてしまった。
やつらが一斉に走り出す。俺たちなんてどうでもいいというように、村の中へと一直線。
俺がとっさに切れたのは二匹だけ。ユズノードが切れたのも、二匹だけだった。
「ソルダさん!」
「わかってる!」
俺は全速力で村の中へと飛び込んだ。
淡く光る月狼は村の中心——星界儀の下へと向かっているようだった。なぜ……抱いた疑問はすぐさまあり得てほしくない現実へと塗りかえられる。
しゃらん、とひどく聞き覚えのある音がした。
心臓がどくんと暴れ出したのは、背筋に冷たい汗が伝ったのは、走っているからではない。
いけない、そんなことがあってはいけない。だからこそ俺は、地面に張り付きそうになった足を意地でも動かす。
月狼はその態勢を低くし、星界儀の下にいる誰かに向けて唸っていた。
ひらりと舞う白いワンピース、ふわふわした白金の髪は動きに合わせて揺れている。彼女は、その身長と同じくらいの銀色の杖を横にし、東の空へ掲げ、右足を下げて一礼をした。
ウィラは、〈想いの舞〉を舞っていた。
左手に星神の杖を持ち、両腕を広げしゃらんと一振り。そしてくるりと回ってから、祈るように星界を指す。
月狼にも、俺にも気づいておらず、ただひたすらに舞を捧げる。
やつは明らかに怯えていた。その尻尾を足の間に隠し、ウィラから離れようとじりじりと距離を取っている。唸り声は小さくなり、眼光の鋭さは鳴りを潜めようとしている。
だけど、月狼は一定の位置よりかは下がらず、それどころか助走をつけて駆け出した。
「っ、ウィラ!?」
剣が届く範囲ではあった。
守り切る自信はあった。
それでもウィラが傷つく可能性は十分にあった。
俺に、声を上げないなんてことはできなかった。
——しゃらん、と星神の杖の先についた六つの輪が音を立てる。
剣を振り下ろした先で月狼は倒れ、白い光の粒となる。それらがもう一度集まり、狼の姿に戻ることはなく、だんだんと欠けていく月神の方へと舞い上がっていった。
世界の進む速さが、元に戻った。実際はほんの一瞬のことだったのだろう。だけど俺には途方もなく永い時間に感じた。
どこまでも自由な風が吹いた。
花の香りと冷たさと同時に、しゃらん、と耳障りのいい音がした。あたりでは控えめな音量で虫が鳴き、遠くの方から梟の安堵したような声がする。
ウィラは何にも気づいておらず、星界儀の下で舞っていた。
星神の杖で左を指し、右手は胸の位置に。自らを抱き寄せるように腕を交差したあと、両腕を真横に広げる。その金色の瞳は杖の先へと向けられており、反対側の手は指の先までしっかりと伸びている。
テンヴィスの力強い舞とは違う、触れたら壊れてしまいそうな儚さを持つ舞。
右に一歩、左に一歩、そのままくるりと一回り。確かに繊細だけど、同時に、強い想いが込められている。しゃらんと響く杖の音には、ウィラの想いが込められている。
その想いに引き寄せられたのか、その想いに応えようとしたのか、どこからか金色の光の粒が現れた。ウィラの一挙手一投足に合わせて、きらり、ひらりと舞い踊る。
ぴたりと止まり、途端に動く。緩急のはっきりした動きを追って、その正装の袖がついていく。
母なる闇に包まれた星界。そこに在られる数え切れないほどの星神様方から見守られた地界。その片隅でウィラは舞う。
人ひとり分の距離を開けて隣に来たユズノードは、その青い瞳をウィラに向けたままぽつりと呟いた。
「これは、奇跡……?」
「〈想いの舞〉だよ。お姿を隠されているファミニア様の代わりに、今はウィラがこの村を守っている」
「では月狼たちが去っていったのは……」
「ウィラが舞っているからだろうね」
正しく奇跡だ。想いの奇跡だ。
ウィラはたった一人でこの村に穏やかな夜を連れてきた。風の自由を、ありのままの香りを、当たり前の音を、心地よい温度を。
しゃらん、と星神の杖が音を立て、不安げな表情をした村の人々が顔を出す。そしてウィラに視線を奪われて、自身の左胸に手を当てる。
それは俺とユズノードも例外ではなかった。
ねぇ、ウィラ。君にまだ言えてないことがあるんだ。俺たちが敬愛する星神〈ファミニア〉はもうすぐ……、……いや、今は祈ることだけをしたい。ウィラの〈想いの舞〉に乗せて、祈りを捧げたい。
どうか、ファミニア様へ。どうか、この祈りをファミニア様へ。
——あなた様が彼方遠く、届かぬところに在られようとも。
あなた様が俺たちを忘れようとも。
俺たちはあなた様を想っております。
この奇跡は、ウィラの〈想いの舞〉は、星神様の時間が終わり、夜が明けるまで続くのだろう。
そしてそのあともずっと、ずっと、俺たちの祈りは続いていく。
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