第5話 祈りという諦め
地界を暖めるのは、わたしたちの真上に昇った白色の光。
時折髪をさらおうとする冷たい風も今の時間は怖くない。終わりのない澄んだ空は青く、高く、白い雲を散らばせていた。隙間なく立っている杭の向こう側では、黄色や橙色に色付くとんがり帽子のような木々がさわさわと葉を揺らしている。
ユーニア村の出入り口のほど近く、丸太を組み合わせて建てたような一軒家の玄関でわたしたちはその家の持ち主に話を聞いていた。
「ファミニア様はあたしたちを見捨てたんだよ」
「っおい、この方々は、」
象牙色のエプロンを身につけた少し恰幅のいい女性を、ベルル様が慌てた様子で止める。そして、女性と、わたしとソルダお兄様を交互に見ては、ぱくぱくと口を動かしていた。
女性はその慌てた様子に苦笑いをこぼして、子どもに言い聞かせるような声色で言う。
「村中が知ってるさ。ファミニア様の使いなんだろう?」
ぴたりと動きを止めたベルル様の肩にぽんと手を置き、彼女はわたしたちに向き直った。
「その上で言わせてほしい。使いのお二人さん、」
「何?」「何でしょうか?」
わたしたちの重なった言葉に小さく口角を上げたはずなのに、その表情はどこか悲しげで、それでいてどこまでも優しくて。
どんな言葉が飛び出てくるのか全く予想ができないけど、悪意あるものではないという確信だけは持てた。
「ファミニア様は、あたしたちのことをお忘れになったのかい……?」
どうしてそう言うに至ったのか、わたしには全くわからなかった。
ここはファミニア様がご加護を与えられている村だ。だけど、村の人々は皆一様にファミニア様を諦めている。
人々はファミニア様を確かに信じて、確かに祈っている。その上で、ファミニア様は自分たちを見放してしまったのだろうと諦めているようだった。
星界にはさまざまな星神様が在られる。
中には、からかうことが好きな方だっている。星神様からしてみれば些細なことでも、地界で暮らす者にとっては生きる道が変わってしまうほどのこと。そうやって足掻く様子が面白いのだと、笑う星神様もいる。
ファミニア様は、そういう優しくない星神様ではない。
どんなに小さな存在でも、祈る者には必ず救いの手を差し伸べる。だからこそ、ユーニア村の人々が諦める理由がわからない。
だけど、目の前の女性が眉を下げて、今にも泣き出してしまいそうな表情をしているのは事実。わたしたちに問いかけてきたのは事実だ。
何か答えなければいけないのに、相応しい言葉は思いつきそうにない。
すると、ソルダお兄様が一歩に進み出た。
「もしお忘れになっていたら、俺たちは今ここにいない」
「……そうかい。ありがとうね」
彼女に話のお礼を伝えて、村の中心へと歩いている途中、ベルル様に「村の者がすみません」と謝られてしまった。
わたしはあくまで微笑むことを意識して、言葉を返す。
「いえ。……その、わたしは大丈夫ですし、ベルル様が謝ることではないと思います」
「ありがとうございます。ウィラ様もソルダ様も、お優しいですね」
その笑顔はやはり苦しそうで、苦しませている一因がわたしの存在にあるということに耐えられそうになくて、わたしは会釈をしてからそっと視線を逸らした。
数歩前を歩くソルダお兄様は、何か考え込んでいるようだった。真っ直ぐと進む方を向いて、後ろを振り返る気配なんてものはない。そんな余裕はないのかもしれないと、そう思った。
木材の特徴を最大限に活かした、丸太を組み合わせて作ったような一階建の家。この村にある家は、わたしたちが居候させていただいているユズノード様の家を除いて、すべてがその形だ。
屋根の色や玄関の扉、窓の位置といった細かいところは違うが、影と温度感が統一されている。
先ほどの女性の家は木の実のような赤い屋根、その前に話を聞かせていただいた人の家は暖かい時期の木々のような深い緑色の屋根、そのまた前に話を聞かせていただいた人の家は、確か……そこに咲いている花のような黄色い屋根だったはず。
絵に描いた星神様に似ている形の花を踏んでしまわないように、そっと横を通り過ぎる。
そのとき、ざわざわと葉を揺らす音が近づいてきた。冷たさに触れられると同時に、足首の高さの花の隣にあった、丸く集まった白い綿たちが大きく揺れて、一斉に旅立っていく。
空の彼方へ、日の光と雲の白に同化してすぐに見えなくなる。暖かさを振りまいていた日は、流れてきた雲にその姿を隠してしまった。
一度大きく深呼吸、いつの間にか止まっていた足を動かして、少し先を歩く二人に追いつく。わたしを待っていてくださったベルル様の亜麻色の瞳を見て、ふと疑問に思った。
「ベルル様はファミニア様のことをどう思っているのですか?」
「そうですね……このユーニア村を守ってくださっている個人的に思い入れの深い星神様、ですかね。だから、お二人がこの村にやってきて本当に驚いたし嬉しかったんです。きっと、オレたちを助けに来てくれたんだって」
ベルル様のその表情には、苦しさや悲しさというものは見えない。今まで話を聞いてきたどの村の人よりも誇らしげで、今度はその瞳から目を逸せなくなった。
わたしたちがユーニア村を助けるなんてことができるのだろうか。何を助けてほしいのかもわかっていないのに、そんなことができるのだろうか。
唯一、ファミニア様を諦めていないベルル様に、わたしたちを受け入れてくださったユズノード様に、心良く話を聞かせてくださった村の人々に、何か、返したい。
ソルダお兄様が言っていた通り、ファミニア様がこの村の近くにわたしたちを降ろしたのには何かしらの意味があるのだろう。それは、もしかするとユーニア村を助けることなのかもしれない。
「……ベルル様は、ファミニア様のことを想ってくださるのですね」
「もちろんです」
にかりと笑ったベルル様の後ろで、日が再び顔を出したのが見えた。
眩しさに目を焼かれてしまい、わたしは地面のソルダお兄様とベルル様の影を追う。ふと、わたしが両腕を広げたくらいの大きさの影が差した。
「これは……」
見上げた先には随分と懐かしいものがあった。
中心には、両手で抱えるほどの透明な水晶。それを囲むようにして、大きさの違う三つの曇りのない銀色の輪が向きを変えて重なっている。球状になったそれらを貫くように、深みのある風合いの金色の矢印が東の空を指していた。
隙間を開けて、その下にあるのは、わたしの身長と同じくらいの長さの銀色の杖。先端には、地界から見た星神様をかたどった細工と六つの輪がついている。振ると、しゃらんと鈴のような音がなるのだ。
村の中心、当たり前のようにして宙に浮かぶそれには見覚えしかない。
ファミニア様の御殿の〈捧げの間〉——テンヴィスお兄様が定期的に舞を踊っていたところにあったものとよく似ている。確かこれは……
「星界儀。これが指しているのはファミニア様が在られるところ……で間違いない、ベルル?」
ソルダお兄様の言う通り、星界儀だ。指定した星神様が在られる位置を指す星具。星神様から加護を受けている場所に、決まって一つはあるものだ。
「その通りです。ユーニア村にご加護をくださっているのはファミニア様なので。村長の先祖はファミニア様から直接ご加護をいただいているはずです」
「その割に、ユズノードは祈ってなさそうだけどね」
「ソルダお兄様……」
「いいんです。実際そうですから。村長だけが祈ってないんです」
確かに、話を聞いた人たちにファミニア様を諦めている人はいても、祈らない人はいなかった。
ユズノード様は祈っていない。それは疑いようもない事実なのだろう。振り返ってみれば、彼が祈っているところを見たことがなかった。
「それは、どうしてなのでしょうか……」
わたしのその疑問には、近づいてきた規則正しい足音の主が答えた。
「祈ったところで何も守れないからです」
「村長!」
ユズノード様は、ファミニア様からご加護を受けた証である金色の髪を微動だにさせず、淡々と言う。
ファミニア様を軽んじているようにも聞こえる言葉に、ソルダお兄様はぴくりと眉を動かした。
「守れないってどういうこと?」
「そのままの意味です。星神〈ファミニア〉に祈ったって、私の娘は守られなかった。祈ったら守られると過信して、自分の力で守ることを疎かにした。いざというときに守るということを邪魔する祈りなど、する意味がありません」
一際強い冷たい風が吹く。彼の金色の髪が揺れる。
「祈りの不確かさなんて、星神〈ファミニア〉から守られてきたあなた方にわかるはずがないでしょう?」
ユズノード様の無ではない表情を初めて見た。眉間にくしゃりとしわを寄せて、嗤っていた。
何かに耐えるように、何かを思い出すように、何かを受け入れようとしているように。とても、悲しい表情だった。
きっとこれが、彼の無表情の下に押さえ込んでいた心の深い部分なのだろう。
わたしたちやベルル様方から嫌われるように振る舞うのは、隙を見せないようにしているのは、娘という存在を守ることができなかったことに対する贖罪のようなものなのだろう。
根拠も何もないのに、ただ、そうであると、そうであってほしいと思った。ユズノード様は責任感のある優しい人だ。きっと、そういう人だ。
どんな言葉をかけていいのかわからないわたしと違って、ソルダお兄様は静かに呟く。
「ユズノード。今の言葉、取り消して」
お兄様がそう言った理由もよくわかった。
星神〈ファミニア〉の使いたちを蔑む言葉は、すなわち、星神〈ファミニア〉をも蔑む言葉。
星神〈ファミニア〉の使いたちを尊ぶ言葉は、すなわち、星神〈ファミニア〉をも尊ぶ言葉。
ファミニア様は常々そういう風に言われていたから。
だけど、おそらく、
「お断りします。祈ることに頼るくらいなら、自分に頼った方がましです」
ユズノード様は言葉を変えない。
ファミニア様に頼る、ではなく、祈ることに頼る。わたしの希望が多分に含まれているかもしれないけど、ユズノード様はファミニア様を嫌いになったわけではないのかもしれない。
ソルダお兄様もわたしと同じ考えに至ったようで、畳み掛けるように口を開こうとはしなかった。
「……守れるの、ですか?」
純粋な疑問だった。
「ええ、守ります。たとえこの身がどうなろうとも、この村だけは守ります……必ず」
ユズノード様は、いつの間にか無という感情を映すいつもの表情に戻っていた。その青い瞳は星界儀が指し示す東の空に向けられていた。
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