第4話 嫌われることを選ぶ人
黒色のカーテンの隙間からこぼれた低い光が、やわらかく、優しく、木の暖かみを感じる慣れ始めたばかりの部屋を照らす。
ゆっくりと体を起こして、ぼんやりとした夢の世界から変えようのない現実へと戻る。あたりに浮かぶ埃はきらきらと舞い、ベッドに、床に、壁に……音を立てずにぶつかる直前で、その輪郭を隠す。
わたしの腰くらいの高さの木製の棚、書き物や読書をするための机と椅子、ろうそくの光を部屋全体に広げるキャンドルホルダー……。それらはまだ眠っているようだった。
「朝……」
わたしは、ベッドのすぐ隣にあるカーテンを開けて、窓ガラス越しに暖かさを浴びた。
東の方角に接するこの部屋でも、日が昇っている時間帯はファミニア様を望むことはできない。ファミニア様がお眠りになっているであろう空にある光に、目が焼けてしまいそうになるだけだった。
ぎゅっと閉じた瞼すらも透過してくる明るさは、期待と希望に満ち溢れていた。星神様の光に慣れたわたしにとってそれは少し眩しすぎる。
地上に降りてから朝を迎えるのはこれで四度目。日の光だけは、いつまで経っても慣れる気がしない。
生理的な涙が出そうになる感覚が遠ざかったあと、そっと目を開け、今度は焼かれないように気をつけながら窓の外に視線をやる。
高く薄い青の空。ぽつぽつと浮かぶ雲たちは、日に照らされた部分を白く、それ以外の部分を空の青さに馴染ませて影を作っている。
それらは星神様方がよく見える夜の星界とは違い、わたしという存在をあくまで突き放すような、良く言えば平等、悪く言えば冷たい、そんな風に思ってしまうくらいの届かない高さにあった。
二階にあるこの部屋からは、村中に間隔を開けてぽつりぽつりと建っている一階建の家たちがよく見える。
もしも、隙間なく周りを囲む杭がなければ、朝の森と村との境界線はなく、独特の清々しさのようなものがよりわかるのかもしれない。まだ日が出てから時間が経っていないからなのか、出歩く人はいなかった。
どこからか聞こえてくるのは小鳥たちが挨拶を交わす声。遠くの方で黄色や橙色に染まる、三角形の頂点で天を突き刺す木々たちに隠れているのだろう。
ふと、木々が一際大きく揺れた。ざわざわと葉がこすれ合うのと同時に、両手では数えられない小鳥たちが飛び立つ。
冷たさを呼ぶ風が吹いた。ベッドから出している両手も、いつの間にか冷たくなっていた。「気をつけないと風邪引くよ」なんて言葉をかけてくださるソルダお兄様は、この空間にはいない。
四日前、村長様——ユズノード様から迎え入れていただいたときの条件、それは、わたしがソルダお兄様と離れ、ユズノード様の目の届く範囲にいるということだった。
ソルダお兄様と唯一会うことができる食事のときに、お兄様は「ウィラを人質にして何がしたい」と呟いていた。
それも堂々とユズノード様の前で言うから、さすがに止めようかと考えたが、当人がお兄様の嫌味を水のようにさらりと飲み込むものだから、結局わたしは何もしないという選択をする以外なかった。
「……ソルダお兄様」
声に出してみたって聞こえる距離にはいない。
お兄様とは定期的に会えるといっても、満足に話せるわけではない。
会うたびにわたしは大丈夫だと伝えているけど、どうにも信じてもらえないのだ。ユズノード様には衣食住を保証していただいているし、勝手に部屋に入ってきたり嫌な言葉を投げつけられたりはしていない。暴力なんてもってのほかだ。
だからわたしは本当に大丈夫。むしろ、ソルダお兄様の方が心配なくらいだ。日に日にユズノード様への嫌味や皮肉が増してきている気がする。
そんなことを考えながら服を着替え、髪を梳かし……、朝の準備を終わらせる。最後に全身鏡の前に立って、紺色のワンピースの裾をひらりと舞わせながらおかしなところがないか確認だ。
光の輪を作る白金のふわふわした髪も、ソルダお兄様たちとお揃いの金色の瞳も、腰のあたりを白いリボンで結んだ星界のような色味のワンピースと白いズボンも、問題なさそうだ。
ちょうどそのとき、部屋にノックの音が響いた。
「ウィラさん、起きていますか」
「はい」
そう返してから開けた扉の先にいたのは、ここ数日で随分と見慣れた金色の髪と青い瞳の無表情な男性——ユズノード様だった。
黒いシャツのボタンを上までしっかりと止めて、同じ色のズボンを着こなしている。金色の石が付いたボウタイが、まるで母なる闇に浮かぶ星神様のようだった。
「おはようございます、ユズノード様」
「ええ、おはようございます。リビングに行きましょう」
挨拶に淡々とした挨拶を返されて、それだけで会話は終了する。あとはいつものように早足に一階へと向かう彼の背を追うだけ。わたしは今日もそうしてしまうのだろうか。
このままずっと何も聞かないというわけにはいかない。初めのころは逆に、これ以上警戒されてはいけないと聞くことを遠慮していたが、それはもう必要ないだろう。
「あの、ユズノード様」
すると、彼はぴたりと足を止めて振り返る。話を聞く姿勢に入ってくださったことに、わたしは微笑んだ。
「何でしょうか」
「ユーニア村について教えてはいただけませんか……?」
ユズノード様はわずかに目を見開いて、すぐに、無感情を映すいつもの表情に戻った。口角は上がりも下がりもしておらず、その目尻は冷たく凪いでいる。
「具体的には、何が知りたいのですか」
「主に知りたいのは二つのことです。一つは、この村とファミニア様の関係について。もう一つは、村を守るようにして並んでいる杭について。どうか、教えていただくことはできませんか?」
「そうですね……。まず、前者に関してはこうしましょう。日が昇っている時間、ベルルと一緒であれば、ソルダさんと共に村の中を歩いてもらって構いません。私の口から何か言うより、そちらの方がわかりやすいはずです」
ベルル様というのは確か、あの門番の男性だ。この数日間、その影を見ることはなかったけど元気なのだろうか。
何はともあれ、これで少しはソルダお兄様を安心させることができそうだ。ユズノード様に気づかれないよう、小さく安堵の息を吐く。
想像していた以上の好条件に、勢いよく「ありがとうございます!」と伝えたら、そっと青色の瞳を逸らされてしまった。
「後者に関しては……明日の夜あたりに嫌でもわかるでしょう」
これ以上は語らないと、向けられた背に言われた気がした。
慌ててユズノード様を追いかけて、階段を降りる。
ふわりと漂ってきたのは焼きたてのパンの甘さと、トマトスープの酸味と旨味が混ざった香り。思わず鳴りそうになったお腹をこっそり押さえる。
レースカーテン越しに日の光を存分に取り込んだリビングは、わたしが眠っていた部屋よりも随分と暖かい。
白いティーポットと黒色のカップが三つ乗せられたトレーが置かれているのは、木ならではの温度感と色を活かしたテーブルだった。
それを囲むようにして、ろうそくの火の影と同じ灰色に塗られた椅子が四つ。その一席に腰掛けていたのは、わたしが着ているものと同じ素材で作られたのであろう、裾が長めの白いシャツと紺色のズボンをまとったソルダお兄様だった。
「ウィラ……」
頭からつま先まで、その金色の瞳にまじまじと確認される。一通り済んだのか、ようやく視線が合った。
「おはようございます、ソルダお兄様」
「うん、おはよう。ところで、無事? ユズノードから嫌なことをされたり言われたりはしてない?」
「大丈夫ですよ。ユズノード様は良くしてくださっています。お兄様の方こそ、大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫」
「でしたら良いのですが……」
ここまでがおはようの挨拶をするたびに繰り返しているやり取りだ。
心配していただけるのは嬉しいけど、逆に、ソルダお兄様の心が疲れてしまわないかと心配になってしまう。わたしは本当に大丈夫だと、お兄様の方こそ本当に大丈夫なのかと、改めて口に出したくなる衝動を抑える。
すると、ユズノード様が淡々とした声で言った。
「過度な心配は嫌われますよ、ソルダさん」
「どの口が」
「それもそうですね」
見かねただけなのか、挑発したかったのか……、ユズノード様の考えはわからない。ただ、まるで、自ら嫌われることを選んでいるような、そんな意図的な何かを感じた。
「朝食にしましょう」
わたしたちに背中を向けるその直前、ユズノード様の青い瞳に悲しさが映ったような気がした。
だけど、キッチンに向かう彼に振り返ってくださいなんて言えるわけもなく、わたしは何にも気づいていないふりをして「手伝います」と追いかけるしかなかった。
*・*・*




