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【エピローグ 春を数える国】

【エピローグ 春を数える国】


 雪解けの音がしていた。


 ぽたり。


 ぽたり、と軒先から雫が落ちる。


 長かった冬が終わろうとしている。


 新国家《暦国レギス》の朝は、静かな鐘の音から始まる。


 ゴォォォン――。


 柔らかな音色が街へ広がると、人々が一斉に窓を開けた。


「今日は暖かいなぁ」


「立春過ぎてから風が違うね」


「コヨミ様の暦通りだ」


 白い息を吐きながら、人々は笑う。


 市場には朝から活気が満ちていた。


 焼き立てのパンの匂い。


 味噌スープの湯気。


 炊き立ての魔力米。


 魚屋の威勢のいい声。


 かつて飢えと寒さに支配されていた世界とは思えないほど、穏やかだった。


 子供たちが駆け抜ける。


「おはようございます!」


「おう、今日は啓蟄祭の準備だぞ!」


「虫起こす日だー!」


 笑い声が広場へ響く。


 季節を祝う。


 そんな当たり前の文化すら、帝国時代には失われていた。


 だが今、この国では誰もが暦を知っている。


 今日は何の日か。


 いつ種を蒔くか。


 いつ備えるか。


 季節を読むことは、生きることそのものだった。


 一方。


 王城の執務室では。


「主様、朝ですよ」


 柔らかな声が響く。


 冬至だった。


 長い黒髪を揺らしながら、彼女はそっとカーテンを開ける。


 春の朝日が差し込んだ。


「……眩しい」


 机に突っ伏していたコヨミが顔をしかめる。


 その周囲には帳簿の山。


 地脈管理表。


 収穫予測。


 物流計算。


 どう見ても徹夜だった。


 冬至は呆れたように微笑む。


「また寝ていないのですか」


「仕事が残っていた」


「残して寝てください」


「合理的ではない」


「主様が倒れる方が非合理的です」


 正論だった。


 コヨミが黙る。


 その時、扉が勢いよく開いた。


「主様ーっ!!」


 春蕾だった。


 勢いそのままコヨミへ抱きつく。


「うわ」


「外あったかいよ! お花いっぱい咲いてる!」


 その後ろから啓蟄も飛び込んでくる。


「主ー! 畑やばい!」


「害虫か」


「違う! 豊作!」


 さらに夏至が元気よく鍋を抱えて入ってきた。


「朝ごはん持ってきたー!」


「……何故執務室で鍋を」


「主が食べないから!」


 白露は静かに新しい帳簿を差し出す。


「今年度の収穫計算です」


 霜降は壁際で腕を組みながら呟いた。


「不純物は今朝も確認されませんでした」


「平和ってことだよ!」


 春蕾が笑う。


 コヨミは頭を押さえた。


「……お前たち、朝から騒がしい」


「だって主様、仕事ばっかりだもん!」


「主、最近また寝不足!」


「もっと甘やかされるべきです」


「栄養不足です」


「主様は放っておくと帳簿と結婚します」


「しない」


 即答だった。


 神々が一斉に不満そうな顔をする。


 そんな騒がしい空気の中、窓の外から子供たちの声が聞こえてきた。


「コヨミ様ー!!」


 広場に集まった子供たちが手を振っている。


「今日は学校の日ですー!」


「あ……」


 コヨミが止まる。


 今日は暦学校の視察日だった。


 新国家では、子供たちへ必ず季節と数字を教えている。


 読み書き。


 計算。


 天候。


 土壌。


 生きるための知識。


 帝国みたいに、“分からないまま支配される民”を作らないために。


 コヨミはゆっくり立ち上がる。


 すると春蕾が嬉しそうに笑った。


「行くの?」


「ああ」


 外へ出ると、暖かな風が吹いていた。


 広場には人々が集まっている。


「コヨミ様!」


「今年も種まき日和ですね!」


「去年より気温高めですよ!」


 皆、自然に数字を口にしていた。


 コヨミはその光景を静かに見渡す。


 もう誰も、季節を恐れていない。


 春を待ち。


 夏に働き。


 秋に実り。


 冬に備える。


 それだけのことを、ようやく人々は取り戻したのだ。


 その時、小さな女の子が駆け寄ってきた。


「はい!」


 差し出されたのは、一輪の花だった。


 白く小さな花。


「……これは?」


「立春のお花!」


 少女はにこっと笑う。


「コヨミ様のおかげで咲いたの!」


 コヨミは少しだけ目を見開いた。


 やがて静かに花を受け取る。


「……そうか」


 少女は嬉しそうに走っていった。


 春風が吹く。


 柔らかな光。


 人々の笑顔。


 その光景を見ながら、冬至が隣へ並ぶ。


「良い国になりましたね」


「まだ途中だ」


「ふふ」


 冬至が微笑む。


「主様らしいです」


 空を見上げれば、青空の中を渡り鳥が飛んでいく。


 正しい季節。


 正しい風。


 世界は、もう狂っていない。


 その時だった。


 遠くから啓蟄の叫び声が響く。


「主ーっ!! 春蕾がまた畑温めすぎたー!!」


「だって寒そうだったもん!」


「主様、収穫計算が狂います」


「帳簿修正ですね」


「主、仕事増えたな!」


 神々がわちゃわちゃ騒ぎ始める。


 コヨミは深く溜め息を吐いた。


「……まったく」


 だが。


 その口元は、ほんの少しだけ笑っていた。


 春の風が、優しく世界を撫でていく。


 そして今日もまた。


 暦の針は、正しく未来を刻み続けるのだった。



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