記憶
「これは少しまずいな……零人君!! 出力を抑えるんだ!!」
僕はこの不思議な少年――零人君を、隅々まで観察していた。
彼はこちらの世界へ来た直後、異様な者に追われて死にかけていた。
凪が「友人が来るから迎えに行く」と言うので付いていけば、その友人は、ノイズまみれとはいえSoul Linkらしきものを発現させていたのだ。
本来なら、ありえない事だ。
例えるなら――会ったこともない初対面の相手の思考を瞬時に理解し、同調するのと同義。システム的にも、感情的にも、不可能に近い。
だから、試しにSoul Linkを練習させてみた。
本当なら、もっと時間をかけてバディとの絆を育ませるべきだったのに。
完全に、僕の好奇心と油断が招いた結果だ。今となっては、後悔しかない。
「ぐぅ、うあああああァァッ!!」
零人君は、刀から間欠泉のように溢れ出す炎を、必死に抑え込もうとしている。
仮想空間には紫色の炎が吹き荒れ、空間の至る所にヒビが入り、ビリビリとノイズを走らせていた。
この空間を構成する『余白』そのものが、あの炎に喰われて不安定になっている。
「アーサー! この炎、ただの炎じゃねぇ!! 炎の形をした『何か別の現象』だ!!」
凪が空中で高出力の『水膜』を展開し続けている。だが、その水膜すらも、触れたそばから削り取られるように消えていた。
「紗奈! 零人君を気絶させる事は出来ないか!?」
「難しいわ……! あの炎、異常すぎる。周りの余白をガリガリ削ってる。仮想空間の結界がもう持たないし、迂闊に近寄ったらどうなるか分からないわ……!」
凪と紗奈の言う通りだ。
凪の水膜は、蒸発しているのではない。文字通り、システム上から『消失』させられている。
一刻も早く、あの暴走を封じ込めなければ。
「来てくれ。――Soul Link――聖盾『プシューケー』!!」
僕は異次元空間からプシューケーを呼び出し、構える。
「【白環結界】!!」
制御を失った零人君の周囲を、隔離するように光の結界で覆う。
なんとか炎の拡大は防いだ。――が。
「ぐッ……!?」
僕の肉体から、ガリガリと、自分の中の余白が削られていく感覚に襲われた。
なんだ、この不快感は。
自分の中に『異物』が入り込み、全く別の何かに書き換えられていくような悪寒。
これは……ダメージじゃない。精神汚染系か!?
「くそ……零人君! コモちゃん!! 君たちは二人で一人だ。相手を読んで合わせるんじゃない! 相手の全てを『受け入れろ』!」
僕は結界が破られないよう、上部だけを開けて、炎のエネルギーを上空へ逃がす形に再構築する。
常に発動を意識していないと、結界ごと僕自身が消失させられそうだ。
それに、これ以上は仮想空間そのものが崩壊する。
僕は震える片手でシステムパネルを呼び出し、強引に仮想空間の設定を解除した。
景色が、元の訓練場に戻る。天井が吹き抜けの構造で、本当に助かった。
「……零人! お前ならやれる。コモを信じろ!」
凪が結界の外から叫ぶ。
「最悪の場合、リミッターを意識しろ! 自分で制御するんじゃない、外部から強制的に抑え込まれるイメージだ! そうすれば、自分で自分を一時的に『封印』できる!」
……それは確かに有効な手段だ。だが、諸刃の剣でもある。
一度『限界』のイメージを固めてしまえば、体はそれに適応し、本来の力を引き出せなくなってしまう。
これほどの規格外の力だ。完全に制御できれば理想だが……制御不能である以上、今は封印する他ない。
「ぐぅ、ァ……ッ!」
僕たちの声が届いているのか――結界の維持に喰われる余白の消費量が、ほんのわずかだが、下がった気がした。
――――――――――――――――――――――――――
【コモ! コモ!!!】
俺は全身が引き裂かれるような痛みに耐えながら、必死に脳内でコモへ呼びかけていた。
しかし、リンクのパイプを通して返ってくるのは、強烈な『負の感情』と『拒絶』、そして激しい『困惑』だった。
Soul Linkが発動している以上、繋がること自体は出来ているはずだ。
アーサーは「拒絶されるとリンクできない」と言っていたのに――俺たちの繋がりは、何か根本的なところで間違っている気がする。
俺の脳内では、俺の過去の記憶と、おそらくコモのものであろうノイズ混じりの映像が、延々とフラッシュバックしてはグチャグチャに混ざり合っていた。
凪がリミッターがどうとか叫んでいたが、そんな器用な事を考える余裕は無い。
【コモ! 何かあったのか? 俺、お前に何かしちまったか!?】
問いかけても、コモから伝わる感情の嵐は止まない。
【僕は……分からない。自分が……全てが……この感情が……!】
コモから伝わる困惑が、底なし沼のように深くなっていく。
何がどうなってるんだ。
頭の中に流れ込んでくるのは、俺とコモが、見知らぬ場所で楽しく遊んでいる記憶。
今日会ったばかりのコモと、こんな日々を過ごしたはずがない。記憶喪失の俺にだって、それくらいは分かる。
【これは、コモの記憶なのか?】
少なくとも、俺の記憶じゃない。
――いや、違う。
その楽しい記憶の裏側に、真っ黒なノイズに塗れた『何か』に怯えて泣き叫ぶ、別の記憶がこびりついている。
【わかんないんだよ! 何もかも!】
コモが、精神世界で絶叫した。
【今日会ったばかりの零人に、何でこんな懐かしい感情が湧き出てくるのかも! この訳の分からない記憶が誰のものなのかも! 僕はシステムが作ったAIのはずなのに、なんでこんなに胸が痛いんだよ!】
その悲痛な叫びは、俺の胸を鋭く抉った。
俺には、その苦しみが痛いほど分かる。
俺も昔から、同じ暗闇の中で苦しんできた。今でも時折、自分の過去が混濁することがある。自分が何者なのか、どこから来たのかも分からない、あの恐怖。
【コモ、少し話を聞いてくれないか。姿を見せてくれ】
俺が強く願うと、突然頭の痛みが引き――気づけば俺は、真っ白で無機質な空間の中に立っていた。
目の前には、膝を抱えて座り込み、顔を埋めて震えているコモの姿があった。
俺はその横に腰を下ろし、静かに語りかける。
【コモ……お前、自分の過去の記憶が無いのか?】
【……何も、覚えてない。自分がどうやって生まれたのかも。……でも、僕には『失ったはずの過去』の重さだけが、あるんだ……】
コモは顔を伏せたまま、泣くような声で絞り出した。
コモはAIだ。人間のような過去がある可能性は低い。
だけど――もしコモが、「自分が何者か分からない」という苦しみだけを与えられて生まれた存在だとしたら。あまりにも、救いがなさすぎる。
俺は……コモを助けてやりたい。
ゲームのシステムだからじゃない。俺のバディだからでもない。
俺の魂が、そう叫んでいるんだ。
【俺もさ、子供の頃の記憶が無いんだ】
【え……?】
コモが、弾かれたように顔を上げた。
その顔は、システムが作ったプログラムなんかじゃなく――孤独に怯える、一人の子供の顔だった。
【凪達は優しいから何があったかは言ってこないけど、思い出したくもないような、悲惨な何かがあったんだと思う】
【…………】
コモは、すがるような目で俺を見つめている。
今日会ったばかりで、おこがましいかもしれない。
でも、俺は今まで、凪や紗奈さん、色んな人に助けられて生きてきた。
――次は俺が、誰かを守る番だ。
【コモがAIだろうが関係ない。お前にも、過去に何かあったのかもしれない。それで、いつかその過去に立ち向かわなきゃいけない時が、必ず来る。一人じゃ怖いかもしれない。……でもさ、お前には俺がいる。俺が助ける。だから、コモ……お前も、俺を助けてくれよ】
俺はコモの瞳を、真っ直ぐに見つめて言った。
そして少し照れくさくなって、目線を外し、白い天井を仰ぐ。
【……僕も、零人を助けるよ】
静かな、だが確かな声が響いた。
【実は、ひとつだけ覚えている事があるんだ。ここ、ネーデで『何かを成さなければいけない』ということ。それが何かは分からない。でも……零人と一緒にいれば、分かる気がするんだ。だから、一緒に思い出していこう】
コモはそう言うと立ち上がり、俺へ小さな手を差し出した。
不安げに、けれど、その瞳にはもう迷いはなかった。
俺はコモの手を強く握り返し、立ち上がる。
その瞬間、俺たちを隔てていた見えない壁が崩れ去り――本当の意味で『繋がった』気がした。
【早速で悪いが、コモ。今、この力が全く制御できないんだ。どうにか出来ないか?】
【もう! 零人はヘタクソなんだよ! もっと僕を上手く扱ってよね!】
コモはプンプンと怒りながら、腰に手を当てた。
さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいな切り替えの早さだ。
【零人が僕の出力を完全に扱えるようになるまで、凪が言ったみたいに『リミッター』をかけるしかないと思うよ】
【やっぱりそうだよなぁ……。よしコモ、意識の世界から現実に戻るぞ。二人で、あの炎を封印するんだ】
【うん! 二人で一緒に頑張ろう!】
俺たちは強く手を握り合い、意識の世界から現実へと帰還する事を念じた。




