守りたい気持ち
「何だ……? 何してんだ、お前」
俺の突然のリンク解除に、灰路は明らかな困惑の声を上げ、攻撃の手を止めた。
すずが俺へ駆け寄ってきて、腕を失った俺の左肩を見るなり、口元を両手で押さえた。
彼女の瞳が、見開かれている。
……すまない、すず。情けねぇところを見せた。
しかし、不思議なことに――俺の脳内は、この危機的状況に、急速に、冷静さを取り戻していくのを感じていた。
<RECOVERY UNIT : DISPATCHED>
<TARGET PRIORITY : HIGH>
<RECOVERY UNIT : ARRIVAL ETA 00:00:26>
脳内に無機質な女のシステムコールが鳴り響く。
こんな時に回収部隊かよ……。
恐らく断章を持つすずが狙われているはずだ。
「すず、落ち着いて聞いてくれ」
俺は、痛みを噛み殺しながら、出来るだけ冷静な声を出した。
「回収部隊とやらが、こっちに向かって来てる。狙いは、恐らくすずだ。今すぐ街に戻って、アーサー達に助けを求めるんだ」
「零人君!そんなこと言わないで!!私が腕を繋げるから、この状況を一緒に何とかしよう!!」
すずの顔には、はっきりとした怒りすら浮かんでいた。
俺が、彼女に逃げてくれと言ったことへの、怒り。
「【一筆結び】!」
すずが、彩筆を空中に振り抜くと、地面に転がる俺の左腕と、肩の切断面の間に、一本の細い光の線が引かれた。
次の瞬間――。
離れていた俺の左腕が、独りでに、まるで磁石に引き寄せられるかのように、ふわりと宙に浮き上がり、俺の肩へと吸い込まれていく。
俺の左肩で、肉と神経が、繋がっていく感覚があった。
断ち切られた感覚が、徐々に、確かなものとして戻ってくる。
……すずの能力、こんなことまで出来るのか。
<RECOVERY UNIT : ARRIVAL ETA 00:00:15>
「おいおい。俺が逃がすと思ってるのかァ?」
灰路が、骨剣を担いで、こちらへ近づいてきた。
彼の口元は、まだ獰猛な笑みを保っているが、目の奥には、僅かな警戒の色がある。
俺の状況の異常さ――Soul Linkが突然解除されたこと――を、彼も感じ取っているのだろう。
「灰路、俺に協力しろ」
俺は、即座に、彼に告げた。
今は、迷っている暇はない。
「断章が欲しいんだろ。回収部隊が来る。このままだと、すずも、その断章も、まとめて連中に持って行かれるぞ」
「……なんで、お前にそれが分か――」
灰路の問いかけは、最後まで続かなかった。
――パキィ。
森の中の、空中の一点で、空間そのものに、亀裂が入る音が響いた。
俺、灰路、すず、コモ――四人が同時に、その音の方へと目を向ける。
――パキパキパキ。
ガラスが剥がれ落ちるかのように、空間が、次第に剥がれていく。
その奥から、巨大な何かが、徐々に姿を現していた。
……違う。
俺が、最初回収部隊に襲われた時の状況と、明らかに違う。
あの時は、ただ闇の中から黒い甲冑が現れただけだった。
しかし、これは――。
次第に空に、不自然な黒い雲が立ち込めていく。
森の中の、明るかった陽の光が、急速に翳っていく。
天候の悪化と相まって、現れつつあるその『門』は、独特の、神々しいとも、禍々しいとも、つかぬ雰囲気を、纏い始めていた。
「どうやら、本当らしいなァ。……おい、零人」
灰路は、門を凝視したまま、俺に顔を向けずに呟いた。
「なんで、お前、リンク解除してんだ」
……俺だって、わかんねぇんだよ、そんなこと。
「零人! 外部から、干渉された……!」
コモが慌てたように声を上げる。
「今、システムを改変してる! ……リンクできるまで、少し、時間がかかる!」
「リンク出来るようになるまで、私が守る。零人君が、私を守ってくれたように」
コモがいつの間にか、俺の隣に立っていた。
その小さな瞳に映る世界には――無数のコードが、下から上へ、時折書き換わりながら、流れている光景が、はっきりと映り込んでいた。
そして、すずもまた、決意を固めた表情で、彩筆をぎゅっと握りしめていた。
……ちがう。そうじゃない、すず。
俺は、お前に、逃げて欲しいんだ。
お前には、生きていて欲しいんだ……!
<RECOVERY UNIT : ARRIVAL ETA 00:00:6>
「……訳が分かんねェが、無力の相手を一方的に倒すのは、趣味じゃねェな」
灰路が、観念したように、骨剣を改めて構え直した。
「回収部隊とやらの相手は手伝う。だが、片付き次第、断章は貰うぜ。それでいいな」
「ああ、それでいい」
俺は、立ち上がりながら、左手を開いたり閉じたりして、感覚を確認した。
……すずのおかげで、繋がってる。
少し違和感はあるが、しっかりと動かせそうだ。
ありがとう、すず。
「だが、すずは、絶対にやらせねぇ」
「ハッ! そういうことは、戦えるようになってから言うんだなァ!」
<RECOVERY UNIT : ARRIVED>
空間が、完全に剥がれ落ちた。
森の中の空中に、巨大な『門』の全貌が、姿を現す。
ゴーン……ゴーン……。
門の中から、深く、重い、鐘のような音が、何度も漏れ出てきた。
空全体の天候が、急激に悪化していく。
雨はまだ降っていない。
しかし、雲の中で、ゴロゴロ、ゴロゴロと、雷鳴が、絶え間なく響き渡っていた。
ギギギィ……。
巨大な門が、軋む音を立てながら、ゆっくりと、外側へ向かって開かれていく。
その隙間から、覗き見える光景は――。
金色の光が、空間を染め上げるように差し込み、白い大理石の柱が並ぶ、神々しい神殿のような場所が、その奥に広がっていた。
まるで、別世界の入り口だ。
「こういう時はなァ!先手必勝だッ!【改式-地牙】」
灰路は、門が完全に開ききる前に、両手を地面に叩きつけた。
地中から、これまでとは比較にならない量の余白を込められた、巨大な地牙が、迫り上がってくる。
その大きさは、開きつつある門全体を、丸ごと丸呑みできるほどの規模だった。
ズガァァァン――!
地牙が、まさに門を上下から噛み砕こうとした、その瞬間。
「ガハッ!?」
凄まじい轟音と共に、地牙が、一瞬で粉砕されて吹き飛ばされた。
そして、その爆ぜた土塊の中から、光のような速さで、一筋の閃光のような斬撃が、灰路めがけて襲いかかる。
灰路の体が、くの字に折れ曲がり、俺の視界から、一気に消し飛ばされた。
「灰路!」
俺は、思わず叫んだ。
凄まじい勢いで吹き飛ばされ、はるか後方で、土煙を上げながら転がっていく灰路。
その光景を横目で確認しながら、俺は、改めて門の方へと視線を戻した。
地牙の破壊によって生まれた、土煙の奥。
その向こうから――。
一人の騎士が、ゆっくりと、こちらへ歩いてきていた。
全身に、金の装飾が綺麗に施された、美しい銀の甲冑。
兜の隙間からは、感情の読めない、白い光だけが漏れている。
俺が以前見た回収部隊とは――全く、かけ離れた姿。
彼は、右手に、豪華な装飾の施された剣を、たった一振り、持っているだけだった。
たった一人。たった一振りの剣。
しかし、彼から漏れ出る余白の圧は、俺がこれまで対峙してきた、どんな敵とも、桁が違っていた。
一際強い風が、これまでの戦闘で禿げ上がった森の地面を、吹き荒れて行く。
土煙が、ゆっくりと晴れていく。
門の中の光景が、徐々に、はっきりと見えるようになってきた。
そして、前を歩く騎士の、その後方。
その上空に――。
……何だ、これは。
天使のような、純白の翼を生やした、女性の体つきの騎士達が、数十体、上空に浮かんでいた。
全員が、白銀の甲冑を纏い、表情は兜で隠されている。
その手に、武器は持っていない。
ただ、整然と、上空に浮かんでいるだけ。
しかし、その存在感だけで、空気を凍りつかせるような威圧を放っている。
<RECOVERY UNIT : The Golden Crown of Saints>
脳内に、奴らの名前が、淡々とアナウンスされた。
……金冠聖列……?
数も多すぎる。
あの数を、相手にできるのか。
その時――。
すずが、彩筆を、これまでで一番強く握りしめた。
そして、一歩、俺を庇うように、前へと進み出た。
「今度は、私が守る番」
すずの背中が、震えていた。
でも、その声には、これまで聞いたことのない、覚悟が宿っていた。
「今まで、誰かに助けて貰ってばっかりだった、私との、お別れ。零人君、だから、もう私に、逃げろなんて言わないで」
……止められない。
ここで「お前は下がってろ」と言うのは、簡単だ。
しかし、彼女の小さな背中から立ち昇る、その覚悟を、否定する言葉を――俺は、持ち合わせていなかった。
……なら、一緒に戦って、すずを守るしかない。
リンク出来なくとも、改式であれば、多少使える。
攻撃手段に乏しいが、コモがシステムを書き換えるまでの時間稼ぎなら、出来る。
「……分かった。リンク出来るまで、俺も時間を稼ぐ。すずも、出来ることをやってくれ」
「うん!」
金冠騎士が、カシャカシャと甲冑を鳴らしながら、ゆっくりとした歩調で、こちらへ近づいてくる。
……いつ来る?
あいつの攻撃方法は?
空に浮かぶ翼の女騎士達は、何で攻撃してくる?
分からないことだらけだ。
しかし――ここで、何とかしないと、すべてを失う。
やるしかないんだ。やるしか。
その時、金冠騎士の歩調が、徐々に速くなっていく。
歩くから、駆けるへと、滑らかに移行する。
……来る!
ならばタイミングを取らせず、俺が先に!
「【改式-雷燕】」
俺は両脚に、雷燕のイメージを描いた余白を、一気に流し込んだ。
弾けるように、地面を爆裂させながら、俺は金冠騎士へと突っ込んでいく。
姿勢を低くし、スライディングするかのように、彼の足下へと、滑り込んだ。
「【改式‐石杭】!!」
滑り込みながら、地面に左手を当て、金冠騎士の腹めがけて、地中から鋭い石の杭を、勢いよく突き上げる。
金冠騎士はそれを察知し、剣を横一閃に振るって、石杭を叩き折ろうとした。
「【一筆守り】!」
しかし、そこに、すずが完璧に合わせた。
金冠騎士が剣を振るう、その瞬間に――。
空中に、白色の細い境界線が、すっと引かれる。
金冠騎士の剣は、その境界線に阻まれ、横薙ぎの軌道を、完全に逸らされた。
そして、俺の石杭は、ガラ空きになった金冠騎士の腹部に、まっすぐ突き刺さり――。
その勢いのまま、彼の巨体を、宙へと突き上げた。
……いいぞ、すず!
俺は、言わずとも、彼女が完璧に合わせてくれると信じていた。
その無言の期待に、すずは応えた。
俺達は二人で、ようやく、この圧倒的な敵に一撃を入れることが出来たのだ。
しかし――。
――ジリジリジリ……。
頭上から、電気が迸るような音が、曇った空全体から聞こえる
俺は、はっと、上を見上げた。
……翼装の女騎士達が。
彼女達は、いつの間にかその白い両手に、金色に輝く雷の槍をそれぞれ握っていた。
そして、その全員が、雷槍を俺一人に向かって、振り下ろそうとしている。
――これは、防げない!!
「……【千骸・焔葬】!!」
その時、俺の遥か後方から、地鳴りのような声が、響いた。
大量の、赤黒い火の玉が、降り注ぐ雷の槍の群れを、吹き飛ばすように、空高く打ち上げられていく。
灰をまき散らしながら、雷の槍が、火の玉に貫かれて、空中で消滅していった。
俺は、思わず後ろを振り返った。
……灰路。
頭上に、再び大量のドクロを浮かべて、屍灰甲を血で汚しながら、彼は俯いて、こちらに歩いてきていた。
その足取りは、戦って吹き飛ばされた直後とは思えないほど、確かなものだった。
「うぜェ。対等じゃねェ。理不尽だ」
灰路は、無意識のように、自分の頬の傷を、指でなぞった。
屍灰甲の兜の奥から覗くその瞳には――。
今までに見たことのない、純粋な、深い、怒りが、滲み出ていた。
「たった、二人に……寄ってたかりやがって……」
握りしめた骨剣の刀身に、赤黒い炎が、螺旋を描いて渦巻く。
「強者が、弱者を甚振るんじゃねェよ……ッ!」
次の瞬間――。
灰路は、両脚に紫色の紫電を迸らせながら、まるで弾けるように、上空へと一気に駆け上がった。
雷燕を、極限まで応用した超加速。
空に浮かぶ翼装女騎士の一人に、彼は迫る。
ザン――!
骨剣が、女騎士の体を、上下に両断した。
切り裂かれた女騎士の体から、金色の靄のような何かが、ぶわりと吹き出していく。
女騎士は、断たれた体のまま、ゆっくりと、石杭で腹部の鎧を凹ませた金冠騎士のすぐ近くの、地面へと落下していった。
金冠騎士は、腹部の凹みからは大したダメージを感じさせず、その堅牢さを誇っていた。
――グサッ。
金冠騎士は、地面に落ちた翼装女騎士へ、無感情に近寄り――。
彼女の兜の、顔の部分めがけて、自分の装飾剣を、まっすぐに突き刺した。
「は……?」
俺は、息を呑んだ。
金冠騎士は、自分の仲間を、躊躇なく――。
すると、突き刺された翼装女騎士の体から、彼女の余白が、剣を伝って、金冠騎士へと、ゆっくりと、しかし大量に、流れ込んでいった。
……奴ら、味方を、エネルギー源として、使うのか?
次の瞬間、金冠騎士の周囲の空間が、ぐにゃりと歪むほどの、凄まじい量の余白が、彼の体から放たれた。
金冠騎士は、剣を翼装女騎士から引き抜くと、それを自分の頭の上へと、ゆっくりと振りかぶっていく。
また――辺り全体に、鐘の音が響き渡った。
ゴーン。
――鐘が鳴る。
すると、金冠騎士の頭上、遙か上空に、巨大な雷の槍が一本出現した。
その一本に込められた余白量は、尋常ではない。
ゴーン。
――鐘が鳴る。
その雷の槍が、二本に増殖した。
ゴーン。
――鐘が鳴る。
二本の槍が、四本に増殖する。
「おいおい……なんだそりゃ……」
空中に立つ灰路が、その光景を見上げて、明らかに動揺していた。
骨剣を握る彼の手が、わずかに震えている。
鐘が鳴るたび、上空にある黄金の暴力が、倍々に増えていく。
その一つ一つに込められた余白量が、桁違いだった。
今の俺が、リミッターをかけられた状態で、全力で込められる紫焔斬と、ほぼ同等の威力。
それが、一本ずつ。
あれが、このまま辺り一帯に振り下ろされれば――。
森は更地になるどころか、巨大なクレーターが、ここに刻まれることになるだろう。
さすがに卑怯だろ……それは。
どうすりゃいいんだよ。
どうすずを守れば……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その時――。
私は、空を見上げていた。
そこには、神秘的な光景が、広がっていた。
大量の雷。
黄金色に輝く、無数の槍。
……こんな状況で、何をと自分でも思う。
みんなの命が関わっている、今。
絵描きとしての自分が、少し嫌になる。
でも――。
そんな自分を、零人君は、認めてくれた。
嬉しかった。
優しい絵と、言ってくれたこと。
私の絵を……『本物』と、言ってくれたこと。
……その時、かな。
零人君を、一人の男の子として、見ちゃうようになったのは。
私は守りたい。
私を守ると言ってくれた、零人君に死んで欲しくない。
私の大好きな――。
――ジジジ。
視界に一瞬ノイズが走る。
心臓が……熱くなる。
何だろうこれ。
すると彩筆が、すずの手の中で、急に重くなった。
いや、重くなったのではない。
筆そのものが、変わり始めている。
彼女の体から溢れる、強い感情に呼応するように、彩筆の柄に七色の光が螺旋を描いて巻き付き、穂先には、淡い金色の光が宿った。
それは、もはや絵筆ではなかった。
もっと深い、もっと本質的な何か。
私は、その筆の真の姿を、本能で理解した。
「――Over Link――『命彩筆』」
私の右手が、ふわりと宙に上がる。
その手の中に、淡い七色の光を放つ巨大な彩筆が、しっかりと握られていた。
私の周囲を、無数の光の粒子が、舞い始める。
いや――光の粒子ではない。
それは、世界そのものを構成する『データ』だった。
私の目に映る世界が、一気に変わっていく。
空も、地面も、木々も、曇った空に浮かぶ大量の雷も、すべてが、光るコードと数字の流れに見えた。
ああ――そういうことなんだ。
すべてを理解した。
私は、データだった。
最初から。
私が描いてきた絵も、零人君と過ごした時間も、お父さんの筆も、すべて、データの集合だった。
でも――。
私は、彩筆を、ぎゅっと握り直した。
でも、それでも。
私はここにいた。
絵を描きたかった。
零人君を、好きになった。
それは、データだとしても、『本物』の気持ちだった。
……だから、いま、それを最後まで貫く。
金冠騎士が、ゆっくりと剣を振り下ろし始めた。
空を埋め尽くす、巨大な黄金の暴力。
それが、私達を押しつぶそうと、降り注いでくる。
「【終彩……――」
私は、空中にゆっくりと筆を構えた。
迫りくる死の権化。
私は、目を閉じない。
その全てを、視界に収めたまま――。
世界の上に、一本の線を描いた。
「世界一筆】」
命彩筆が、世界そのものに、一筆を入れた。




