干渉する者
――街の外、森の中にて。
「【千骸――」
灰路の口から、技の名が漏れた、その時。
俺の後方から、小さいが、はっきりとした、力強い声が聞こえた。
「――Soul Link――『彩筆』」
……すず、なのか!?
俺が振り返る間もなく、すずの背後の空間が、淡い七色の光に包まれた。
彼女筆がSoul Linkで真の姿を見せる。
握り直された筆の穂先からは、絵の具の代わりに、光の粒子が、淡く滴り落ちていた。
「【一筆守り】!」
「――焔葬】!!」
空に浮かび、森の樹冠を覆い尽くす数千のドクロ達が、一斉に大口を開けた。
その口腔の奥から、悲鳴のような甲高い音と共に、大量の赤黒い火の玉が、雨のように放たれる。
しかし、それを迎え撃つように――。
すずは目を閉じ、まるで指揮者のように、空中で筆を優雅に振った。
その軌跡を追って、空中に色鮮やかな絵の具の線が引かれていく。
まるで彼女の頭の中にあるキャンバスに、世界そのものを描き入れていくように。
線は瞬時に虹色の境界となり、降り注ぐ火の玉を、次々と弾き返していった。
……一発、二発、三発――。
すずは、一つ一つの火の玉を防ぐたびに、顔に苦悶の表情を浮かべている。
彼女の小さな額に、汗が滴り落ちる。
単純な防御ではない。彼女は、一発ずつ、火の玉の軌道を見極めて、最も効率の良い境界線を描いている。
ネーディアの中でも、これほどの集中力を持つ者は、そう多くないはずだ。
……だが、すべては防ぎ切れていない。
数本の境界線が、火の玉の威力に耐えきれず、軋み、砕ける。
漏れた火の玉が、すずの方へ落ちていく。
「させるかッ!」
俺は封幻に紫焔を纏わせ、漏れた火の玉を、片端から叩き落としていく。
すずと俺、二人がかりで、ようやく灰路の千骸・焔葬を防ぎ切ったのだ。
空に立ち上がる、灰と虹色の余韻。
その向こうで、灰路が、静かに俺達を見つめていた。
「……」
灰路は、骨の兜の奥から、筆とリンクしたすずを、まじまじと見つめている。
彼の沈黙が、長く続いた。
そして、次第に、彼の口元が獰猛な笑みを浮かべ始めた。
「なんだよ。やれば出来るじゃねェか」
「貴方なんかにやられない!」
すずは右手の彩筆を、灰路へ真っ直ぐに突きつけた。
その小さな体は震えているが、目には、初めて見る覚悟の光が宿っている。
「すず。それが、お前の……?」
「うん。私のこの筆と、リンク出来るんだ」
すずは、振り返ってこちらを見ながら、震える声で微笑んだ。
「かはは! 滾ってくるなァ!」
灰路が、嬉しそうに笑った。
屍灰甲の骨剣を、軽やかに肩に担ぐ。
「んで、零人。お前はいつ本気を出すんだ? ……まだ、その紫焔、絞ってるんだろう?」
……コイツ、本当に、よく観察してやがる。
俺がリミッターで力を絞っていることを、戦闘の合間に、完全に見抜いている。
「零人君」
すずが、俺に向かって、彩筆を構え直した。
「私が、サポートするよ。だから……全力で、あの人を倒そうよ。【余白塗り】」
すずが、彩筆を横一閃に振るう。
次の瞬間、俺の体の中に、彼女の術式が、すうっと染み込むように入り込んできた。
……これは。
今まで内側から溢れて、暴れ回るような濁流だった俺の余白が、急に静まり返った。
波の立たない、深い湖のような静けさ。
封幻に流す余白の出力が、これまでにないほど、滑らかに、安定する。
「……すごいな、すず」
俺は、彼女に向かって、心からの言葉を返した。
「ありがとう。これで、俺もあいつと戦える」
俺は思い切り、封幻に余白を流し込んだ。
すると、爆発的な勢いで紫焔が噴出し、その圧で、周囲の木々が一斉にざわめいた。
森が、震えている。
……これが、すずのサポート込みの、俺の今の全力。
リミッターの上限ギリギリまで、紫焔を絞り出せる。
「いくぞ、灰路!」
【雷燕】
俺は灰路へ向かって、地面を深く抉りながら、一気に間合いを詰めた。
「いいぜェ! そう来なくっちゃなァ!」
灰路は骨剣を構え、迎撃態勢を取る。
【狐幻】
俺は空中で斬りかかる動きを見せながら、コモの能力で幻影を生成し、俺自身は空中に生成した余白の足場を蹴って、横へと瞬時にズレた。
灰路の視界では、俺の本体は消え、幻影だけが彼に向かって突っ込んでいるはず。
そのまま空中で突っ込んでいく幻影に、少し遅れて――俺は右側面から、本体で斬りかかった。
「飛んで火に入る夏の虫ってヤツかァ!?」
灰路は、突っ込んでくる幻影に対して、横薙ぎの一閃を繰り出した。
しかし、骨剣が幻影に触れた瞬間、それは、紫色の炎に変わって、霧散していった。
……気づかなかったな!
俺は、ガラ空きになった灰路の左腹に、封幻を真横から叩きつけた。
「っぐ……!」
灰路の体が、骨剣を持ったまま、横へと大きく吹き飛ばされる。
土煙を上げて、彼は数メートル先で、辛うじて勢いを殺した。
「昨日俺の前から消えたあの術か……。めんどくせェな」
灰路は、左腹を押さえながら、苛立ったように呟いた。
屍灰甲の脇腹部分に、ひびが入っているのが見える。
「じゃあ、こうするか。【灰骸火雨】」
灰路は、骨剣を握ったまま、上空へと腕を高く掲げた。
すると、上空に浮かんでいたドクロ達が、一斉に内側から燃え始めた。
数千のドクロが、灰をまき散らしながら、まるで隕石のように、辺り一帯へ向かって降り注いでくる。
……灰路のヤツ、考えたな。
俺自身を狙わずに、周囲全体を攻撃すれば、たとえ俺の本体が見えなくても、関係ない。
俺を捉える必要さえ、ない。
しかし、俺にも考えはある。
あいつのドクロは、空中にある。
ならば、本気の紫焔斬を放っても、すずや地上への影響は最小限で済むはず。
「ハハ……俺はそのドクロを、まとめて消し去ってやるよ」
俺は封幻を上空へと振り上げ、これまでにない量の余白を、刀身に流し込んだ。
「【紫焔斬】!」
【ブチかましてやろッ!】
コモの叫び声が、頭の中で響く。
封幻から、膨大な紫色の炎が、爆発的に吹き出した。
特大の紫焔斬が、空へと放たれる。
空気を裂きながら、世界そのものを書き換えるような紫の閃光が、降り注ぐドクロの群れへ向かって、真っ直ぐに突き進んでいった。
ボシュンッ! ボシュンッ! ボシュンッ!
ドクロ達は、紫焔の斬撃に触れた瞬間、大量の灰をばら撒きながら、空中で次々と爆散していった。
数千のドクロが、一筋の紫の光線によって、根こそぎ消し飛ばされていく。
空に立ち昇る、灰の雨。
辺り一面、灰色の粉塵で埋め尽くされる。
……やった、か?
その時、灰路が、ニヤリと、嫌な笑みを浮かべた。
「戦い方ってのが、分かってねぇなァ」
灰路の右手が、すっと天に向けられる。
「【灰燐火】」
灰路が術式を唱えた瞬間――。
空から降る灰が、パチパチパチ、と無数の火花を、一斉に散らし始めた。
……マズイ!!
「【灰爆】」
次の瞬間、辺り一面を巻き込む、巨大な爆発が、俺を呑み込んだ。
ドゴォォォォン――!!
周りの木々が一気に吹き飛ばされ、地面が深く抉れ、凄まじい衝撃波が、空気を歪ませて広がっていく。
俺の視界が、白い炎で埋め尽くされた――。
しかし、俺は、生きていた。
目の前には、色鮮やかな絵の具で空間が彩られた、虹色の壁。
すずの『一筆守り』が、爆発のすべてを、俺の眼前で受け止めていた。
……また、助けられちまったな。
「零人君! 防御は私に任せて! 零人君は、あの人を倒すことだけを考えて!」
すずの声が、虹色の壁の向こうから、強く響いた。
……恥ずかしい。
また、守ると誓った人に、助けて貰ってる。
俺は、いつだって、成長しないな……。
でも――。
すずを、信じる。
俺は俺で、やるべきことをやる。
二人で戦うんだ。
「……ああ! すず、頼んだ」
「うん!」
「まさか、2度も防がれるとはなァ。そっちのネーディアの方が、お前より強いんじゃねぇかァ?」
灰路は、嘲笑するように呟きながら、骨剣を地面へと突き立てた。
「【改式-地牙】!」
地面が震え、巨大な土の牙が、俺を飲み込もうと、一気に迫り上がってくる。
「それごと、叩き切る! 【紫焔斬】!」
俺は封幻を、地牙の中心めがけて、振り下ろし――。
――????――
数キロ離れた、深い森の奥にある、ひっそりとした山頂にて。
一人の少年が、片手に持った双眼鏡を覗き込みながら、はるか彼方の戦いを、まるで遠くの花火を眺めるような気軽さで、観賞していた。
黒のジャケットに、黒と銀色の髪。年の頃は、十七、八といったところ。
その隣には、息を呑むほどに美しい女性が、忠実な侍女のように、静かに付き従っている。
「ねぇ。あれがお前の言ってた『起源候補者』?」
「はい。そうでございます、玄嗣様」
「ねぇ、いい加減その名前で呼ぶの、やめてくんない? 古くさいじゃん、その名前。クロでいいって、何回言ったら覚えるのさ」
青年が、わざとらしく拗ねたように頬を膨らませる。
「……承知致しました。クロ様」
「うん、それでいいよ」
女性の言葉に満足そうに頷きながら、青年――クロは、「だけど」と呟いて、顎に手を当て、首を傾げた。
「あの、包帯がグルグル巻かれた剣を持ってるヤツだよね? どこからどう見ても、男だけどなぁ」
「システムには、明確に引っかかりました」
その答えを聞いたクロは、「ん~」と腕を組みながら、悩むように首を捻った。
「じゃあ、こうしようか。本当に『アイツ』なら、こっちが少しイタズラしても、気づくか、もしくは影響がないはずだ」
「何をなさるおつもりで?」
「こうするんだよ」
クロは、軽やかに片手を伸ばし、空中で何かを操作するような動作をした。
その指先に、青白い光の文字列が浮かび上がる。
<Soul Link:FORCED DEACTIVATION>
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――ジリ……。
なんだ……この感覚。
俺は、灰路の地牙に向かって、紫焔斬を放とうと振りかぶっていた。
しかし、その瞬間、全身に、強烈な違和感が走った。
手の感覚が、急に遠くなる。
……シュン
振りかぶった封幻が、目の前から、まるで霧のように――消えた。
「は……?」
俺が叩き切るはずだった、灰路の地牙が、勢いを止めず、俺に牙を剥く。
咄嗟に右へと身を投げ出すように飛んだが――。
ジャギィッ!
左腕に、燃えるような激痛が走った。
俺は、地面に身を投げ出した状態で、横を見た。
……宙を舞う、俺の左腕が、そこにはあった。
切断面から噴き出る、自分の血。
地牙の土の牙の先端に、ぽとり、と、俺の左腕が落ちる。
封幻も、消えている。
俺の右手には、もう、武器がない。
コモは……?
視線を巡らせると、コモが、驚愕の表情を浮かべながら、俺とは逆の方向へと、強制的に飛ばされて、地面に転がっていた。
「零人君!!!」
すずが、絶叫した。
……何が、起こった?
いきなり、リンクが、途切れた。
意味が……分からない。
「……Soul……Link……」
「なんで!? なんで、リンクできないの!?」
俺は、地面に倒れ込んだまま、コモを見つめ、Soul Linkを唱える。
しかし――。
帰ってくるのは、リンクできず、困惑するコモの、悲鳴のような声だけだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ん~、どうやら、違うみたいだね」
クロは、双眼鏡から目を離し、つまらなさそうに肩をすくめた。
「『アイツ』なら、僕のこの程度の操作、気づくか、もしくは無視できるはず。気づかずに、こうも簡単に腕を持ってかれちゃうようじゃ、外れだ。まぁいいや、帰ろうか」
「承知致しました、クロ様」
女性が、頭を下げる。
すると、クロは、思い出したように、彼女へと振り返った。
「あっ! 断章だけは回収しといてね。回収部隊、使って良いからさ」
「起源候補者は、いかが致しますか?」
「ほっといて良いよ。あの感じだと、あのプレイヤー――灰路だっけ?――に殺されそうだし、わざわざ手を汚す必要もないでしょ。それより早くこの体に慣れないと」
クロは、欠伸混じりに踵を返した。
「さぁ、行くよ、『ベルガモット』」




