ヨル②
「【改式-点火】!!」
地上から、しわがれた、しかし力強い声が響き渡った。
次の瞬間、今にも焼断線を発射する寸前のヨルの右頬に、小さな、しかし鋭い火の玉が直撃した。
威力は弱い。
だが、ヨルの顔を、わずかに横へと揺らすには、十分だった。
瞬間、ヨルの目から、深紅の熱線が暴発した。
俺の眼前を、焼き切るような熱が掠めていく。
前髪が、ジリッ、と焼ける匂い。
しかし、首は無事だった。
……あっぶねぇ……。
「カテリウス様! 何をしているのですか! 早くお逃げを!」
「私が治める街を、私が守らなくてどうする! あんな年端もいかぬ青年が、私達のために頑張っているではないか!」
声の方向を見下ろすと、城下の屋根のすぐ近く、地上の通りに、白髪交じりの威厳ある領主の姿があった。
カテリウスさんが、衛兵の制止を振り切って、自分の意志で地上に降りてきたらしい。
彼の右手には、領主の身分には不釣り合いな、武骨な小さな杖。
……まさか、あの人まで戦いに来てくれるとは。
「……邪魔するなよ。モブの癖に……死んじゃえ!」
ヨルが、不機嫌そうに顔を歪めた。
頬を撫でながら、地上のカテリウスさんを、改めて睨み付ける。
「【焼断線】」
ヨルの目が、再び赤く光る。
今度の標的は、地上のカテリウスさん。
不味い、止めきれない!
「【焔迅】!!」
俺はカテリウスさんの盾になるため、照射された射線上に入ろうと、双槍の先端から炎を噴出させて加速する。
しかし、光速で飛んでいく熱線には、追いつけない。
――間に合えぇぇ!!!
その時――。
ザァッ、と赤い閃光が、カテリウスさんの真横へ降り立った。
「【改式-隆起】」
その赤い閃光は、空中から地面へと着地する勢いそのままに、地面に手を当てた。
次の瞬間、土塊が、カテリウスさんと彼女自身の前に、巨大な障壁となって迫り上がる。
――ジュンッ!
ヨルの熱線は、新たに出現した土の壁に阻まれ、表面を真っ赤に焼くだけで、貫通することは出来なかった。
「おい凪。そんな子供相手に、何やってるんだ」
赤い閃光――もとい団長が、俺に向かって、ジロリと睨み付ける。
赤い長髪が、戦場の風に揺れていた。
その姿を見た俺は、カテリウスさんが助かった安堵感と、この戦いが終わってしまうことへの、なんとも言われぬ損失感を、同時に感じていた。
「……団長、カテリウスさんを助けて貰って、ありがとうございます」
俺は空中で双槍を構え直し、ヨルから視線を外さずに、地上の団長へと声をかけた。
「……だけど、この戦い、俺に任せて貰えないですか?」
俺は、自分でも、自分の言っていることが間違ってると分かっていた。
この状況で、戦いを楽しんでいる場合じゃない。
団長と二人で当たれば、ヨル一人なんて、あっという間に決着が付く。
だけど。 俺の心は、ワクワクしちまってる。
ヨルとの戦いが、本気で楽しい。
男として、こいつと最後まで戦いたい。
どうしようもならねぇんだ、この気持ちは。
「……」
団長は、しばらく沈黙していた。
杖を構えるカテリウスさんを、自分の背後に庇いながら。
そして、空中にいる俺と、目玉の上のヨルを、交互に観察する。
「……いいだろう」
団長の声は、低く落ち着いていた。
「だが、街に被害を出させるな。それが条件だ」
「分かりました」
恐らく、団長は完全には納得していないだろう。
彼女は合理主義者だからだ。
しかし、それでも俺の気持ちを汲んで、戦いを任せてくれる、最高の人だ。
だからみんな、あの人の背中について行くんだろうな。
「ねぇ、誰あのおばさん。お兄さんの仲間?」
ヨルが、空中で首を傾げながら、無邪気に呟いた。
……ヨル。
お前、この世には言って良いことと、絶対に言っちゃいけないことがあるんだぜ。
今のは……完全に、後者だ。
地上で、団長のこめかみに、はっきりと血管が浮き上がるのが、ここからでも見えた。
「凪」
団長の声が、戦場の空気を一段と冷やした。
「そのクソガキは、お前が教育しろ。……殺しても構わん」
俺は、双槍を構え直し、ヨルへと改めて向き直った。
ヨルは、地上の団長の怒気を、まったく察しないまま、目玉の上で楽しそうに足を組み替えている。
……ヨル。
世の中に言って良いことと悪いことがある……。
「お兄さん、まだやろうよ。ね、ね?こんなAI共なんて気にしないで戦おうよ!」
「あ?」
ヨルが、楽しげに俺を見上げる。
その純粋な笑顔。
罪悪感のない、子供の遊びの誘い。
しかし聞き捨てならない言葉が聞こえた。
AI共と……ヨルは言った。
ヨルは分かってないんだろう。
このゲームは普通のゲームとは違うと言う事を。
少し冷めちまったな。
……これは団長の言うとおり、少し教育が必要かもしれないな。
ゲームじゃ済まない『戦い』ってのが、どういうもんなのかを。
俺は、奥歯を強く噛んだ。
ガル、これは少し本気だ。
【任せろ、凪】
「ヨル、お前」
「うん?」
「楽しいか? 戦うのが」
「うん! すっごく楽しい!」
即答。
迷いのない、純粋な肯定。
……そうだろうな。
お前にとっちゃ、これは、ただの楽しいゲームなんだ。
目玉が壊れても、人が倒れても、お前の中じゃ『リセット』出来るんだろう。
でもな、ヨル。
俺は、双槍の両輪を激しく回転させた。 ギャリギャリと、水と炎が散る音が、空中に響き渡る。
「……痛みを、知った方が良いな」
【焔迅】
俺は槍の先端の炎を最大出力で噴出させ、空中を一気に駆け抜けた。
目指すは、ヨルの目玉の群れの中心。
ヨル本人。
「あはは! 来た来た!」
ヨルが、目玉達を一斉にこちらへ向ける。
しかし、もう、俺の動きは止まらない。
ガルが、最適な軌道を頭の中に描いてくれる。
【焔潮輪・双破】
左の槍から、衝撃波を放つ。
目玉達が一気に弾け飛び、視界が開ける。
その向こうに、ヨル。
ヨルは、目玉達を盾にしようと、慌てて新しい目玉を分裂させようとした。
しかし、間に合わない。
【改式-雷燕】
俺は、右腕に雷燕を付与し、目にも留まらぬ早さで突きを放つ。
「ヨル、覚悟しろ」
俺は、ヨルの肩めがけて、槍を突き刺した。
――ザシュッ!
「い……いづっ!?」
槍が、ヨルの右肩を貫いた。
ヨルの体勢が、目玉の上で、大きく傾く。
彼は、咄嗟に肩を押さえて、空中の目玉から滑り落ちかけた。
「い、いた……いたい……っ!?」
ヨルの顔が、これまでの楽しげな表情から、一気に歪んだ。
涙が、彼の目尻に、じわっと滲み始める。
……当然だ。
人に攻撃されたら、痛いんだ。
もしかしたら、ヨルにとっちゃ、これは初めての『本物の痛み』だったかもしれない。
ヨルは、ようやく目玉の上で体勢を立て直しながら、震える手で、自分の肩を撫でていた。
その表情には、もう先ほどまでの楽しさは、一切なかった。
「な、なんで……?」
ヨルが、震える声で、俺を見上げた。
「だって、ゲームなのに……。何で、こんなに痛いの……?」
その瞳には、初めて見る『恐怖』が、はっきりと宿っていた。
俺は、双槍を構えたまま、ヨルにゆっくりと近づいた。
ヨルは、肩を押さえて目玉の上に縮こまり、もはや戦う姿勢ですらない。
彼の周囲を覆っていた無数の目玉達も、ヨルの動揺に呼応するように、ふわふわと頼りなく漂うだけ。
「ヨル。お前、現実世界じゃ、痛い思いしたこと、ねぇだろ」
俺は、出来るだけ静かな声で、彼に告げた。
「ないよ……。痛いの、いやだもん」
ヨルは、子供らしい単純な答えを返した。
……うん。だろうな。
「じゃあな、ヨル」
俺は、ヨルの正面で、空中で足を止めた。
「お前が、面白いから、楽しいから、ってだけで攻撃してた連中。みんな、今のお前と同じ気持ちだったんだぜ」
ヨルが、はっとした顔で、俺を見上げた。
「お前の焼断線で、避けきれずに焼かれた連中。お前の目玉に潰された連中。みんな、痛かったんだ。今のお前みたいに、泣きたかったんだ」
俺は、双槍をゆっくりと降ろした。
「ゲームだから、リアルじゃないから――そういう理由で、何やってもいいわけじゃねぇんだ。お前が誰かに『痛み』を与えたら、相手は、本気で『痛い』んだぜ」
ヨルは、答えなかった。
ただ、肩を押さえたまま、唇を噛んで、俺の言葉を聞いていた。
その目尻からは、涙が、ぽろぽろと零れ落ちていた。
……届いてんのか、これ。
子供の心ってのは、よく分からねぇ。
でも、今のお前は、少なくとも『痛み』を知った。
それは、お前にとって、初めての一歩だ。
「……ぼく」
ヨルが、震える声で、ようやく口を開いた。
「ぼく、悪いこと、してたの……?」
「ああ」
「……ぐすっ……ぐすっ……」
ヨルは、子供らしく、本気でしゃくり上げ始めた。
目玉の上で小さく丸まって、肩を震わせて、泣いている。
……ったく、こんな小さい子供が、こんなゲームやってるのが、間違ってんだよな。
俺は、深く息を吐いた。
「もう、二度とやるなよ」
「……うん」
「これっきりだ。次に俺と戦場で会ったら、容赦しねぇぞ」
「……うん。わかった」
ヨルは、しゃくり上げながら、それでも素直に頷いた。
……素直なんだよな、本来は。
だから余計にやるせねぇ。
「……お兄さん」
「あん?」
「ごめんなさい」
ヨルが、しゃくり上げながら、はっきりと謝罪した。
その声には、最後まで残っていた挑発も、無邪気な悪意も、もうなかった。
ただ、子供らしい、純粋な反省だけが、滲んでいた。
俺は、なんとも言えない顔で、頭を掻いた。
「……次に会う時は、敵じゃないといいな」
「……うん」
ヨルは、最後に小さく頷くと、しょぼくれた様子で、残った目玉達を集めて、街の外の方角へと、ふらふらと飛び去っていった。
その背中は、来た時の不気味さの欠片もない、ただの泣きべその子供のものだった。
……ふぅ。 俺は、ようやく双槍を解いて、屋根の上にどっかりと座り込んだ。
ガルが、頭の中で、優しく労ってくる。
【よくやったぞ、凪】
……ああ。
多分、これが、俺に出来る精一杯だ。
あいつを倒さず、痛みだけを教えて、帰す。
それが、人として正しいことかどうかは、分からねぇ。
でも、子供をゲームとは言え、本気で殺すのは、俺には出来なかった。
「凪」
地上から、団長の声が聞こえた。
見下ろすと、団長とカテリウスさんが、屋根のすぐ下まで来ていた。
「……お前、思ったより、いい兄貴分してるじゃないか」
「えー、それ褒めてます?」
「褒めてる」
団長は、珍しく口元を緩めて、フッと笑った。
その笑顔は、戦場では滅多に見られないものだった。
「で、団長。次は?」
「ああ。零人だ」
団長の表情が、一瞬で戦場のものに戻った。
彼女は、空を見上げる。
森の方角――まだ、紫の閃光が、不規則に瞬き続けている場所。
「あの紫の光、まだ続いてる。零人はまだ戦闘中だ。すぐに、合流する」
俺は、屋根から立ち上がった。
肩の傷は、まだ痛む。
しかし、団長が来てくれた以上、ここで休んでいる場合じゃない。
「……俺も、行きます」
「いや、お前はカテリウスさんを護衛しろ。傷だらけのお前を、これ以上戦場に出すわけにはいかん」
「うっ……了解です」
団長は、すでに余白を脚に纏わせ、地面を蹴って空へと飛び上がろうとしていた。
その背中に、俺は、思わず声をかけた。
「団長」
「ん?」
「……零人と、すずちゃんを、頼みます」
団長は、わずかに振り返ると、無言で頷いた。
そして、迷うことなく、森の方角へと飛び立っていった。
……頼みます、団長。
あいつらは、絶対、無事に連れて帰ってきてください。




