救援
「……これどうしよう。私の能力じゃあ相性最悪で、あれをどうすることもできないし……凪かツルギちゃんの所に逃げる? ……逃げられるかしら」
私は上空に広がる蜂柱を見上げ、絶望していた。
――ドォォォォォン!!
その時、私達が居たカテリウスさんの城の上空で、巨大な爆発音が轟いた。
黒煙が城の屋根から噴き上がるのが、遠目にも見える。
……この爆発、恐らく凪ね。
私とツルギちゃんが出た後に、何かあったみたい。
……向こうも向こうで、大変ってわけね。
「あはははは! この術式を前に、為す術も無いようねぇ!!」
あのアバズレが、上空でムカつく事をほざいている。
……悔しいけど、事実だわ。
回避と防御に専念すれば、もしかしたら生き残れるかもしれないが、可能性は低い。
しかも、相手は私を仕留めた後、ためらいなく街の人達まで殺すだろう。
「儚く散りなさぁい。……やれ」
沙織が、鉄扇を優雅に振り下ろした。
その瞬間、上空の巨大な蜂柱から、暴力の嵐が一斉に降り注いできた。
無数の蜂、針、毒煙、蜜の塊。
空全体が、絶望そのものになって、私に襲いかかってくる。
……死んだかな、これは。
目を閉じようとした、その瞬間――。
「……――Soul Link――『緋律銃棍』」
女性的でありながら、芯の通った、低めの声が、私の真横で響いた。
……遅いよ、赤ちゃん。
私は閉じかけた目をうっすらと開けた。
いつの間にか、私のすぐ隣の空中に、長い赤髪の女性が立っていた。
月駆ではなく、彼女自身の余白で空を踏みしめている。
その両手には、いつ顕現したのか、二振りの赤黒い金属のトンファー。
ただし、ただのトンファーじゃない。
握りの先端から、銃口がギラリと覗いていた。
「【緋弾】【返響】」
緋音は両手の緋律銃棍を、頭上に斜めに掲げて、流れるようにトリガーを引いた。
カチッ。
硬質な音と共に、緋律の銃口から、圧縮された赤く光る弾丸が、上空へと真っ直ぐに赤い線を引いて飛んでいく。
トリガーを引くごとに、シリンダーがカシャン、カシャンと異質な音を立てて回転する。
緋律から放たれた弾丸は、空中で『キィィン』という甲高い音と共に、無数に跳ね返り――降り注ぐ暴力を、一発、一発、確実に消していくのだった。
毒煙は赤い閃光に弾けて消え、針は弾丸に貫かれて落ち、蜜の塊は爆ぜて霧散する。
返響――音により跳ね返す性質を持っているらしい。
数秒のうちに、私の周囲の死の雨は、すべて掻き消えていた。
「……だ……誰なの? お前は……」
沙織が、初めて明確な動揺を見せた。
その口元が、わずかに引き攣っている。
「ん? 赤井 緋音だが」
緋音は、片方の銃棍を肩に担ぐようにして、淡々と名乗った。
まるで、自己紹介の手間を惜しむような気軽さで。
「赤井……緋音……」
沙織の声が、震え始めていた。
「まさか……あのRED!?」
「まぁ、そう呼ばれていた時もあったな」
緋音は、興味なさそうに鼻を鳴らした。
そしてふと、横にいる私の方を見て、静かに眉を寄せる。
「そんなことより紗奈、危なかったな。またお前の悪い癖が出たんじゃないか? 頭に血が上ると考えなしに突っ込むのは、やめた方が良い」
「えへへ、まぁ、そういうときもあるって!」
私は、ピリつく手足を誤魔化すように、両腕を頭の後ろで組んだ。
「それより助かったよ、赤ちゃん。マジで死ぬところだった」
その瞬間、緋音の眉が、明らかに歪んだ。
「……いい加減、その『赤ちゃん』っていうの、やめろ。恥ずかしい」
「え~いいじゃん。かわいいもん」
でも、本当に助かったよ、緋音。
……私一人じゃ、こいつには勝てなかったわ。
「……分が悪いわねぇ。ここはちょっと、引かせてもらおうかしら」
空中の沙織が、艶っぽい笑みを取り戻しながら、ゆっくりと後退し始めた。
しかし、その目の奥には、明らかな焦りが見えている。
「逃がすわけないだろ」
緋音の声が、底冷えするように低くなった。
彼女の右手の緋律銃棍が、すっと沙織に向けられる。
【緋弾】
カチッ。
たった一発。
無造作なトリガーの一引き。
しかし、放たれた赤い弾丸は、跳ね返ることなく、真っ直ぐに沙織の左肩を撃ち抜いた。
「かはっ……!?」
沙織の白い肩から、赤い血飛沫が舞った。
彼女の体勢が空中で大きく崩れ、薄羽の制御を失う。
しかし、緋音はそこで止まらなかった。
緋音は左の緋律銃棍も構え直し、両手のトンファーを沙織へ向ける。
その瞳には、冷たい光が宿っていた。
「【緋弾】」
カチッ。カチッ。
立て続けに二発。
赤い弾丸が、よろめく沙織の体めがけて、二方向から放たれた。
今度は跳ね返りの返響を込めていない。直接、肉を撃ち抜くための、純粋な銃撃。
「【蜂衣】!」
しかし沙織は、ボロボロの体でも、戦意までは失っていなかった。
残った蜂を強引に呼び寄せ、薄い蜂の鎧を瞬時に再形成する。
ボシュッ! ボシュッ!
一発目は太腿に直撃して貫通したが、二発目は蜂衣の何匹かを犠牲にして辛うじて逸らされた。
「あ、ぐっ……!」
足を貫く痛みに耐えながらも、沙織は鉄扇を必死に振った。
「【針嵐】!」
扇の縁の小さな針が、一斉に剥がれて、緋音と私を狙って嵐のように飛んでくる。
目に見える限り、もう蜂衣の防御が崩れている。
残った針すべてを、最後の悪足掻きとして放ったのだろう。
「面倒な」
緋音は、興味なさそうに呟くと、右手の緋律を、針嵐の中心めがけてトリガーを引いた。
「【緋弾】【返響】」
カチッ。
赤い弾丸が、針嵐の真ん中で『キィィン』と音を立てて爆ぜ、波紋のように音の反発が広がっていく。
無数の針が、その音の波に押し戻されるように、一斉に方向を変え、沙織自身の元へと逆流していった。
「ひっ……!?」
沙織は咄嗟に蜂衣の残りを総動員して、自分の針から身を守る。
しかし、それで彼女の余白は完全に底を尽きた。
ボロボロになった蜂衣が、空中で、ぱらぱらと崩れていく。
「もう一発で死ぬぞ。立ち去るか、ここで死ぬか、選べ」
緋音は、両方の銃口を、改めて沙織に向け直した。
「……ッ」
沙織は、奥歯を強く噛み締めた。
その目の奥に、屈辱と、それを上回る恐怖が、はっきりと浮かんでいる。
「……灰路くん、ごめんねぇ……」
彼女は、もう緋音にも私にも視線を向けなかった。
誰に向けてでもない独り言を、力なく呟いた後、沙織はわずかに残った蜂達の力を借りて、ふらふらと街の外の方角へ飛び去っていった。
血の線が、空中に点々と引かれていく。
……灰路? またその名前ね。
私は、空から落ちる血の跡を目で追いながら、その名を頭の片隅に刻み込んだ。
あの女が、本気で執着していた相手。
アイツらのリーダー格、ってところかしらね。
「……ふぅ」
緋音は緋律を解除し、ようやく緊張を緩めた。
空中に立っていた彼女の体が、ふわりと地上へ降りていく。
私も月駆を解いて、彼女の隣に並ぶように石畳へ着地した。
着地した瞬間――。
ふらっ。
手足のピリつきが、急に強くなった。
毒の影響が、ようやく本格的に出てきたらしい。
「おっと」
「あ、ごめん……」
膝が抜けかけた私を、緋音が片腕で支えてくれた。
ああもう、情けない。空亡の二番手が、毒程度でこの体たらくとは。
「毒か? 動けるか」
「ん……動けるけど、本調子じゃないわ。針嵐の擦過傷も、ちょっと痛む」
「無理するな。少し休んでろ」
緋音は私を近くの建物の壁に背を預けさせ、自分のポーチから小さな緑色の薬瓶を取り出した。
「ちょうど持ってた回復薬だ。飲んどけ」
「あんがと」
苦い薬を一気に飲み下す。
……効果は、思ったよりすぐに表れた。手足のピリつきが、徐々に和らいでいく。
「で、状況は」
「ツルギちゃんがイノシシ討伐に向かってる。私はあのアバズレと、零人と凪は……」
その時、再び――。
――ドォォォォン!
城の方角で、二度目の爆発音が轟いた。
今度はさっきよりも大きい。
城の上空、青空の只中に、黒煙が浮かんでいる。
「凪のヤツ、やってるな」
緋音が、城の上空を見上げて、わずかに口角を上げた。
「私は凪のところに行く。お前は、ここでしばらく休んでろ」
緋音は立ち上がり、空を見上げた。
「動けるようになったら、街の南口に向かえ。アーサーに合流して、状況を立て直す」
緋音は、空中の戦場ではなく、その向こうの森の方角に、ふと視線を投げた。
遠目に、紫の閃光が、森の上空に瞬いている。
あれは……紫焔斬? れいくん、何であんな所に?
「……凪のところを片付け次第、私が向かう」
そう言うと、緋音は迷うことなく、自分の余白を脚に巡らせて、地面を蹴った。
ふわりと、しかし力強く、彼女の体が空へと駆け上がっていく。
その背中は、すぐに屋根を越えて、城の上空――凪と青髪の少年が戦う、空中の戦場へと飛び去っていった。
……行ったわね。
私は壁にもたれたまま、深く息を吐いた。
れいくん、無事でいてね。
ツルギちゃんも、凪も。
私はそっと目を閉じ、自分の体が回復するのを、待った。




