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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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39/48

蜂須賀

――街の南西、市場区画にて。

 

 こっちは、割とイノシシの数は少なそうね。

 私は石畳を蹴って、視界に入るイノシシを片っ端から殴り、蹴り飛ばしていく。

 グローブの一撃で頭蓋を陥没させ、ブーツの蹴りで巨体ごと吹き飛ばす。一発、二発、三発――。

 寄生されたイノシシ達は、原型を留めずに光の粒子となって霧散していった。

 

 ……ふぅ、こんなものかしら。

 残るは、もう少し奥に逃げ込んだ数頭くらいね。

 

 その時――。


 「ちょっとぉ。私が育てた可愛いイノシシちゃん達をいじめないでくれるぅ?」


 間延びした女の声が、頭上から降ってきた。

 私は顔を上げる。

 市場の屋根の縁に、細身のゴーレムを肩に乗せた女が、片足を投げ出して座っていた。

 黒と黄色のメッシュを入れた長い髪。

 露出の多い服。

 挑発的な笑み。

 ……育てた? 今、コイツなんて言った?


「……あんた誰?」

蜂須賀(はちすか) 沙織(さおり)よ。サオって呼んでくれていいわよぉ。以後お見知りおきぃ~」


 誰が呼ぶか。

 

「蜂須賀ねぇ……。私は紗奈。育てたイノシシって、どういうことよ」 


 沙織は艶やかに微笑むと、屋根の縁から、ふわりと舞い降りるように飛び降りた。

 猫のように音もなく石畳に着地し、優雅に髪をかき上げる。


「ん~、そのまんまの意味ぃ? 考えなくても分かると思うんだけどぉ。もしかしておバカさんなのかなぁ?」


 ……は?

 なんだコイツ。

 言葉の節々に、人を見下す態度が滲み出ている。

 しかも、こちらに対する警戒心も、戦闘前の緊張も、まるで感じられない。

 完全に、私をナメてる。

 ……そう、グチャグチャにされたいタイプの女ってことね。

 了解したわ。


「そう……。じゃあ……死んで」

夜爪(やそう)


 私は頭の中で固有術式を唱える。

 すると、グローブを纏った両手の指と指の間に、黒く靄の掛かった鋭い爪が、四本ずつ生成された。

 夜の闇を切り裂くような、不吉な刃。


「あらぁ怖いわ」

 

 沙織は仰々しく両手を口元にあて、わざとらしく身を震わせる。


「……出来たらの話だけど。――Soul Link――『蜂針扇(ほうしんせん)』」


 彼女の肩のゴーレムが、内側から弾けるように砕け散った。

 その中から、ブブブブと羽音を立てて、夥しい数の蜂が溢れ出してくる。

 ……コイツ、ゴーレムは『偽装』だったってこと?

 れいくんが言っていたモーター音の正体は、羽音だったわけね。

 

 蜂の群れは沙織の全身を覆い尽くし、彼女の身体を一瞬で隠した。

 そして次の瞬間、蜂が周囲に散ると、沙織の両手には、鮮やかな金と黒の模様が描かれた、二本の大きな鉄扇が握られていた。

 鉄扇の縁には、無数の小さな針が、棘のように並んでいる。


「ねぇ紗奈ちゃん。そんなにピリピリしてると、男が逃げるわよぉ?」

「余計なお世話よ」

月駆(げっく)


 ブーツから禍々しい黒いオーラが噴出し、私の身体能力を極限まで引き上げる。

 ……一気に仕留める。


雷燕(らいえん)

(こく)-点火(てんか)


 脚に雷燕の余白を巡らせ、地面を爆発するように蹴り出す。

 目にも留まらぬ速度で沙織との距離を詰め、グローブに点火術式を込めて、彼女の腹部めがけて鋭くジャブを放った。

 これが当たれば、術式が体内に刻まれる。

 あとはブーツで触れた瞬間、内側から焼き尽くす。


「【蜜霧(みつぎり)】」 


 沙織は涼しい顔で、鉄扇を横一閃に振った。

 扇の縁から、琥珀色の粘ついた霧が、噴水のように一気に噴き出してくる。

 ……まずい、視界が塞がれる。

 私は咄嗟に拳を引き、地面を蹴って大きく跳躍。

 蜜霧の上を飛び越えるように身体を捻り、空中で逆さまになりながら、沙織の脳天めがけて、かかと落としを叩き込もうとする。

 しかし――。


 ザァッ。

 

 沙織は、背中から虫のような薄く透き通った羽を生やし、ふわりと後方へ瞬間的に移動した。

 私のかかと落としは、彼女のいた場所を空しく通り過ぎ、石畳に直撃する。


 ドゴォン!


 地面が、深い亀裂と共に大きく抉れた。


「いやだ、野蛮ねぇ。女の子ならもっと、可愛くしなくちゃ」

「うっさいわね。アンタみたいな、媚び売りまくりのぶりっ子よりかマシよ」 


 ――ビキビキ――


 私の言葉を聞いた沙織のこめかみに、明らかなしわが寄った。

 あら、思ったよりプライド高いのね。


「……ふふっ」


 沙織は気を取り直すように、艶っぽい笑みを浮かべ直すと、鉄扇で口元を隠した。


「まぁ、それでも貴方のお仲間さんは、初めて会ったとき、私の色気と良い体に夢中でしたけどぉ~? まぁ、あんな危険を感じない男は、私のタイプじゃないから、どうでもいいけどぉ」

 

 ……お仲間さん?

 初めて会ったとき……?

 まさか、れいくん?

 ……このアバズレ、零人に色目使ったってこと?

 しかも、れいくんが見惚れた?

 これは後で、たっぷりお説教が必要ね。

 れいくんには、女を見る目を養って貰わないと困るわ。


「あら、危険を感じる男が好きなの? ずいぶんと、趣味が悪いのねぇ」

「そちらこそ。もしかして、あんな腑抜けた男が、タイプだったりするのぉ?」


 ――ビキビキビキィ――


「「……あ?」」


 ……今、コイツ何て言った?

 れいくんのことを……腑抜け……?


「「死ねやコラァ!!」」


 お互いの怒声が、市場の朝の空気を、引き裂くように響き渡った。


雷燕(らいえん)

 

 私は脚に余白を集中させ、地面を爆裂するように蹴り出した。

 石畳が砕け、私の体は弾丸のように沙織へと突進する。

 ……今度こそ、当ててやる。

 

「あらぁ、怖いわぁ」

 

 沙織は、こちらの本気の踏み込みを見ても、まったく動じない。

 彼女は鉄扇を扇ぐように軽く振り、再び背中の薄羽を震わせる。

 

 ザァッ――。

 

 沙織の体が、再びふわりと宙に浮かび上がった。

 空中に逃げて、私の手の届かない高度まで上昇する気か。

 ……甘いわね。

 

月駆(げっく)

 

 ブーツの黒いオーラを脚に纏わせたまま、私は空中で『二歩目』を踏み込む。

 見えない足場を蹴り砕くように、私の体が一気に空へと駆け上がった。

 月駆の真価。それは『空中を踏める』こと。

 空に逃げたところで、私からは逃げられない。

 

「あらぁ、空も歩けるのねぇ? 器用な子」

 

 沙織は驚きの表情も見せずに、薄羽を震わせて私の頭上へと再上昇する。

 その動きには、まったく焦りがない。

 ……コイツ、最初から空中戦も想定済みってわけね。

 

夜爪(やそう)

 

 私は両手の靄の爪を構え、空を蹴って沙織との距離を一気に詰めた。

 空中で交差する、私の爪と、彼女の鉄扇。

 

「【蜂衣(はちごろも)】」

 

 しかし、爪が彼女に届く寸前、沙織の周囲に無数の蜂が一斉に集合した。

 密集した蜂の群れが、彼女の体を、頭の天辺から足の爪先まで完全に包み込んでいく。

 黒と黄色の動く鎧。それは、彼女自身を守る、生きた防壁だった。

 

「キモッ……!」

 

 思わず吐き捨てる。

 私は爪を振り抜く力を緩めず、蜂衣に夜爪を叩き込んだ。

 ブブブブブブッ!

 爪は確かに蜂の壁を切り裂いた。しかし、千匹はいる蜂の群れの何匹かを潰しただけで、彼女の本体には届かない。

 そして、潰した蜂達は、空中で『弾けた』。

 ボシュンッ!

 

「うっ……!」

 

 弾けた蜂から、毒々しい黄色の煙が一気に吹き出した。

 刺激臭。視界が滲む。咄嗟に息を止めるが、煙はあっという間に私の周囲を覆う。

 ……毒煙!? 蜂を盾にして、攻撃すると毒を撒くタイプ!?

 

「あらぁ、不用意に殴っちゃダメよぉ? 私の可愛い子達は、傷つけられると、ちょっと『興奮』しちゃうから~」

 

 蜂衣の中から、沙織の艶っぽい声が漏れてくる。

 ……このアバズレ、最初からコレ狙いだったわけ。

 私の攻撃を、毒煙の起動装置として使ったのね。

 私は煙の中で身を捻り、月駆で空中を蹴って、毒煙の範囲外まで一気に離脱した。

 数メートル離れた空中で踏みとどまり、息を吐く。

 口の中に、苦い味が広がっていた。

 ……息を止めても、肌から少し成分が入ったかしら。

 手足が、わずかにピリピリする。

 動きが、確実に鈍り始めている。

 

「ふぅ、危ない危ない。本気で来られると、私もちょっとは焦るのよぉ」

 

 毒煙が薄れた向こうで、沙織は蜂衣を解いて、再び鉄扇を構え直した。

 彼女は私と同じ高度に浮いたまま、優雅に微笑む。

 無傷。一切の傷を負っていない。

 ……コイツ、強い。

 いや、強いというより、噛み合わない。

 私の戦闘スタイルは、術式を仕込んで起爆させる近接型。一撃でも当てれば、勝てる。

 しかし沙織は、それを完全に理解した上で、私に『触れさせない』戦い方を選んでいる。

 空中で距離を取る。蜂で防ぐ。毒で消耗させる。

 空が戦場でも、彼女のスタイルは何一つ揺らがない。

 むしろ、地上より自由に立ち回れる分、彼女の方が有利。

 ……搦め手の極致ね。

 

「ねぇ紗奈ちゃん、つまんないわよぉ? もうちょっと、楽しませてよぉ」

「黙れアバズレ……!」

 

雷燕(らいえん)

 

 もう一度、空を蹴る。

 手足のピリつきを無視して、グローブに点火術式を込める。

 今度は、絶対に決める――!

 

「【蜜霧(みつぎり)】」

 

 沙織は、再び鉄扇から琥珀色の霧を噴き出した。

 しかし今度は前方ではなく、私の進路上、彼女の周囲一帯に。


 ブワッ――。

 空中に琥珀色の霧の塊が広がり、私の視界を完全に塞ぐ。

 咄嗟に息を止めて、月駆で霧を上から飛び越そうとした、その瞬間。

 

「【針嵐(はりあらし)】」

 

 霧の向こう側から、沙織の鉄扇が薙ぎ払われた。

 扇の縁の小さな針が、一斉に剥がれて、霧を貫通するように私に向かって飛んでくる。

 針は霧の中で見えない。気配だけが、ヒュンヒュンと風を切る。

 まずい――!

 

夜爪(やそう)】により生えた爪で、勘で見えない針を辛うじて受け止める。

 しかし、視界が塞がれた空中では、すべては防ぎきれない。

 数本の針が、私の頬を、肩を、太腿を掠めて、血の線を引いていく。

 さらに、針を避けるために空中で身を捻った瞬間、月駆の足場が崩れる。

 チッ……!

 空中で姿勢を立て直し、再び足場を踏み直す。

 しかし、その間に沙織は、霧の上空――私の頭上に、楽々と回り込んでいた。

 彼女は最初から、私を『下』に追いやる戦い方をしている。

 空中戦の主導権を、完全に握られている。

 

「ふ~んあれを防ぐんだぁ、ちょっと褒めてあげる」

 

 頭上の沙織の声が、急に低くなった。

 艶っぽさが消え、戦闘者の声に変わっている。

 

「ねぇ、思ったんだけどさぁ」

 

 彼女の鉄扇が、地面を指すように、ゆっくりと下げられる。

 

「貴方、もしかして結構強い? うん、強い。これは……ちょっと真面目にやらないとダメね」

 

 沙織の周囲に、再び蜂が集まり始めた。

 しかし、今度は数が違う。

 彼女の周りの空間が、見る見るうちに黒と黄色に塗りつぶされていく。

 空一面――いや、市場区画一帯の上空が、蜂で覆われていく。

 

「……あ?」

 

 私は、思わず空全体を見渡した。

 その光景は、もう生き物の群れというより、巨大な渦だった。

 無数の蜂が、沙織の頭上で、ぐるぐると螺旋を描いて、巨大な柱を形成していく。

 数千、数万――いや、もっと。

 その柱の中心で、沙織が、艶やかに微笑んだ。

 

「ねぇ、灰路くんが見たら、褒めてくれるかしらぁ」

 

 彼女がぽつりと呟いた言葉が、私の耳の端を掠めた。

 灰路……? 誰のことだ。仲間の名前?

 ともかく、コイツは、その『灰路』とやらに見せるために、本気を出すつもりらしい。

 ……不味い。

 これは、不味い。

 空中で逃げ場がない。下に降りても、上空全体から降り注いでくる。

 

「【蜜葬柱(みっそうちゅう)百花繚乱(ひゃっかりょうらん)】」

 

 沙織の鉄扇が、優雅に天を指した。

 ブォォォォォン――!!

 蜂の柱が、一気に膨張した。

 螺旋を描いていた黒と黄色の群れが、咲き乱れる花のように、四方八方へと展開していく。

 いや、咲くのではない。

 降り注ぐのだ。

 市場区画一帯に。

 毒も、針も、刺激も、すべてを混ぜ込んだ、絶対的な殲滅の柱として。

 ……あ、これ、避けられない。

 私は、月駆の足場で空中に立ったまま、迫りくる巨大な蜂の渦を見上げて、舌打ちをした。

 

「ちっ……これ、面倒な相手だわ」

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