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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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38/48

ジン

 ――時は少し遡り。

 

 僕は石畳の街路を蹴って屋根の上に跳び、勢いを殺さずに次の屋根へ、また次の屋根へと飛び移っていく。

 眼下では石造りの家屋が、巨大なイノシシによって一軒、また一軒と踏み潰されていた。

 目指すは、街の中心広場。

 被害が最も集中している場所だ。

 

 ふと、背後で響いた轟音に、僕は咄嗟に振り返った。

 城の外壁が、赤い熱光線に貫かれ、内側から黒煙を噴き上げている。

 遠目に、空中に浮かぶ巨大な目玉と、骨の甲冑を纏った白髪の男が見えた。

 ……間違いない。例の二人組のプレイヤーだ。

 ……不味い。

 これは、誘導されたか?

 

 街の警戒網が察知できなかった蜂の侵入経路、寄生イノシシの異常な行動、そしてこの絶妙なタイミングでの本丸襲撃。

 すべてが、僕らの戦力を分散させるためだったとしたら――。

 いや。仮にそうだとしても、城には凪がいる。零人君もいる。

 彼らなら、緋音さんが到着するまでの数分は持ちこたえられるはずだ。

 今、僕がやるべきは、街の被害をこれ以上広げないこと。

 

「いや……いやだ! 死にたくないぃぃ!!」

 

 絶望に塗れた青年の悲鳴が、僕の意識を引き戻した。

 崩れかけた家屋の前で、若い男が一人、巨大なイノシシの牙の前に膝をつき、震えている。

 逃げ場はない。あと数秒で、彼は牙に貫かれる。

 ……殲滅する。

 

「――Soul Link――『聖剣(せいけん)フィリア』」

白耀一閃(はくよういっせん)

 

 僕の右腕に握られた愛剣・フィリアが、刀身全体を白い光で輝かせた。

 その極輝の閃光を、一直線にイノシシの腹へ突き刺し、爆ぜさせる。

 寄生していた蜂もろとも、巨体は粉々に砕け散り、光の粒子となって霧散していった。

 

「大丈夫かい? 立てるかな?」

「あっ……ありがとうございます!! 助かりました!!」

 

 青年は何度も頭を下げ、イノシシの居ない方角へと一目散に走り去っていった。

 僕は周囲を見渡す。広場には、まだ数頭の寄生イノシシが、住民を追い回している。

 時間がない。

 一瞬で片付ける。

 

「【白耀連閃(はくようれんせん)】」

 

 腰を低く落とし、地面を蹴る。

 僕の身体が残像を残しながら広場を駆け抜け、すれ違いざまに振るったフィリアが、住民を巻き込まないよう精密な軌道で、イノシシ達の急所を順に貫いていく。

 一頭、二頭、三頭――。

 数秒のうちに、広場のすべてのイノシシが光の粒子となって消えた。

 ……とりあえず、この付近は片付いた。

 あとは紗奈が向かった通りの方が残っているはずだから、合流しに――。

 

 ザッ。

 

 その時、僕の背後で、誰かが軽やかに着地する音が聞こえた。

 

「困るんすよぇ。そんな簡単にイノシシ達を殺してくれちゃあ」

 

 間延びした、緊張感の欠片もない声。

 僕は警戒しながら、ゆっくりと振り返る。

 そこには、茶色のトレンチコートを纏い、バケットハットを深く被った男が立っていた。

 片手の中で、白い立方体――サイコロが、コトコトと音を立てて転がされている。

 

「そのコート、アンタ兄貴の仲間っしょ?」

 

 男は、僕の身なりを上から下まで眺めると、口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「儲けさせて貰った兄貴に免じて、逃がしてやってもいいっすよ。帰ってくれ無いっすかねぇ」

 

 兄貴……? 儲けた……?

 ……ああ、思い出した。

 零人君が言っていた、カジノで会ったという『おじさん』か。

 『兄貴』というのは、零人君のことを指しているのだろう。

 彼の話によれば、カジノで派手に勝った零人君に、このおじさんが媚びを売っていた、という話だった。

 でも、零人君から聞いていた印象とは、随分と違う。零人君は確か『気の良さそうなおじさん』と表現していたはずだ。

 目の前のこの男は……どこか、得体が知れない。

 

「あなたは……この騒動の首謀者の一人なのかな?」

「ん~、そうであったり、そうでなかったり?」

 

 はぐらかし方が、絶妙に癇に障る。

 僕は試すように、フィリアから余白の圧をわずかに漏らして、男に向けて放った。

 通常の戦闘員なら、この圧だけで膝をつく。

 

 しかし――。

 男は、片手のサイコロを上に放り投げ、それをキャッチする動きを、止めなかった。

 ……気づいていないのか?

 それとも、気づいていて、あえてその素振りを見せないのか?

 余白量を読めない、ただの弱者か――それとも、すべてを察知した上で、態度を崩さない強者か。

 判断がつかない。

 

「僕の邪魔をするのなら……切る」

「おおっと! 怖いねぇ。おじさん、切られたくないから、ちょっと力を使っちゃおうかな」

 

 男はサイコロを掌に握り込むと、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「――Soul Link――『曲刃遊戯(きょくじんゆうぎ)』」

 

 男の手元の空間が、わずかに歪む。

 次の瞬間、彼の右手には一本の鋭利なナイフが握られていた。

 ネーディアの中で、Soul Linkを使いこなせる者は限られる。

 ……こいつ、ただの戦闘員じゃない。

 

「ほいっと」

 

 男は右手のナイフを、無造作な軌道で僕に向けて投げてきた。

 遅い。

 僕は身を屈めて踏み込み、フィリアで男ごと切り伏せようとする。

 

「【曲刃(きょくじん)】」

 

 ――!?

 キィン!

 

 僕の背後を通り過ぎたはずのナイフが、急角度で軌道を変え、僕の背中へと襲いかかった。

 反射的にフィリアを背後へ滑り込ませ、刀身でナイフを弾き返す。

 危なかった――!

 

「すごいねぇ! よく反応できたよ」

 

 男は両手でパチパチと拍手を送ってきた。

 愉快そうな笑顔。

 しかしその目の奥には、何の感情も浮かんでいない。

 

白耀一閃(はくよういっせん)

 

 僕は隙を突くように、フィリアから閃光を放った。

 男は、コートの裾を翻して紙一重で閃光を躱し、そのまま近くの路地へと身を翻して走り去る。

 

「待て!」

 

 僕は慌てて男の背中を追った。

 路地の壁を駆け抜けながら、ふと視界の隅に、銀色の光が反射する。

 壁に、ナイフが一本、深く突き刺さっていた。

 そして、そのナイフに貫かれるようにして、一枚のトランプが壁に縫い付けられている。

 

 ……これは。

「【書換術(かきかえじゅつ)-(ばく)】」

 

 走り去る男の声と同時に、僕の脳内で警鐘が鳴り響いた。

 

 ドゴォン!

 

 ナイフが刺さっていた壁が、内側から一気に爆ぜた。石材の破片と粉塵が、僕を包み込もうと迫ってくる。

 クソッ、罠か――!

 僕は飛び散る瓦礫を、走りながらフィリアで叩き斬って、その先を突き進む。

 

改式(かいしき)-雷燕(らいえん)

 

 脚に余白を集中させ、一気に男との距離を詰める。

 男の背中まで、あと数歩。

 フィリアを振り上げ、彼の肩を狙って袈裟懸(けさが)けに振り下ろす――!

 その瞬間、男が寸前のところで振り向いた。

 帽子の影で顔の半分しか見えないが、その口元には、心底愉しんでいるような、ニヤリとした笑みが浮かんでいた。

 

「【刃戻し(はもどし)】」

 

 ぞくり――。

 僕の背筋に、強烈な悪寒が走る。

 咄嗟に踏み込みを止め、振り向きざまに横一閃にフィリアを振るう。

 

 キンッ!

 

 ギリギリで間に合った。

 先ほど僕が弾き返したナイフが、いつの間にか僕の背後に戻ってきており、僕の首筋を狙っていた。

 刃戻し――投げて、戻す、二段構えの攻撃。

 ……戦いづらい。

 完全に、男の手の平の上で踊らされている。

 

 息が、知らず知らずのうちに、わずかに乱れていた。 

 

 「すごいねぇ、本当に。アンタ、相当な使い手っすね」


 刃戻しを防がれた直後、男は間延びした口調で僕を称賛しながら、軽やかに後方へと跳び退いた。

 彼の右手の中で、サイコロが再びコトコトと音を立て始める。

 ……あのサイコロ、ずっと振り続けている。何の意味があるのか。

 いや、考えるな。今は、目の前のこいつを見極めるのが先だ。


 「【伏せ札(ふせふだ)-(さん)】」


 男が囁くように呟いた瞬間、彼のトレンチコートの内側から、無数のトランプが扇状に放たれた。

 カードはひらひらと宙を舞いながら、路地の壁、地面、頭上の張り出し屋根――ありとあらゆる場所に、貼り付いていく。

 数えるだけで、優に二十枚は超えている。

 ……まずい。 僕は咄嗟に、自分の周囲を見渡した。

 左右の壁、足元の石畳、頭上の梁、背後の柱。

 ほぼすべての場所に、トランプが一枚ずつ貼り付いていた。 

 戦場が、丸ごと罠と化している。


 「あれぇ? 動かないんすか、お兄さん」


 男は路地の奥で、片足をブラブラと振りながら、楽しそうに僕を見ている。

 その手の中で、サイコロが軽やかに転がる。


「……動けないだろう、これでは」

「あれれ、バレちゃいました?」


 男はおどけたように肩をすくめた。


「あ、そういや、僕まだ名乗ってませんでしたねぇ」

 

 男は片手でバケットハットの鍔を少し持ち上げ、もう片方の手のサイコロを宙へ放り投げた。


 「ジン。ただのジン。よろしくっす、お兄さん」


 ジン、か。

 名乗ってきたのは、自分の優位を確信しているからか。

 それとも、単に礼儀のつもりか。

 判断はつかないが、こちらも応じない訳にはいかない。

 名乗らないで戦うのは、僕の流儀ではない。


「……淺乃 剣。空亡の副団長を務めている」

「ふぅ~ん、副団長さんっすか。空亡って言ったら、確かそこそこ名の通った旅団っすよね。と言うか淺乃っていうと……あの世界を救ったという勇者の?……なるほどなぁ、強いはずっすわぁ」 


 ジンは納得したように何度も頷くと、サイコロを再びキャッチした。


 「じゃあ、こうしましょうかぁ、剣さん。出目で決めるってのはどうっすか? おじさんが今からサイコロを振って、出た目に応じて、どの札を起動するか決めますよ。なかなかドキドキするでしょ?」 


 ……サイコロ? なんだ、こいつは何を言っているんだ?

 戦闘の最中に、何の出目だ。

 いや、これも揺さぶりの一種か。

 僕に余計な思考をさせて、判断を遅らせる――それが狙いなら、乗ってはいけない。 

 僕は深く息を吐き、目を閉じた。


「……いや、結構。あなたの戯れに付き合うつもりはない」

「えぇ~、つれないなぁ」


 目を開けると同時に、僕は脚に余白を集中させ、地面を蹴った。


 【白耀連閃(はくようれんせん)


 フィリアを構え、貼り付いたトランプを、片端から斬り払っていく。

 壁のカード、地面のカード、梁のカード――。

 光の閃きが、路地を駆け抜けるたびに、トランプは紙片となって地に落ちていった。

 起動される前に、すべてのカードを無効化する。

 これが最も確実な対処だ。


 「……あらら」

 

 ジンの声に、初めて、わずかな焦りの色が混じった気がした。


 「これは想定外っすねぇ。アンタ、刀身に余白を巡らせるだけじゃなくて、刀身の軌道そのものを精密に制御してるんすか。僕の仕込みを、一個ずつ綺麗に潰していくとは……」


 ジンはサイコロを握り込み、初めて、笑顔を引っ込めた。


 「ねぇ、剣さん。一個聞いていいっすか?」


 僕は最後の一枚のトランプを切り裂きながら、彼を睨みつける。


 「剣さんみたいに強いお人が、なんで仲間だの守るだの、そんな面倒なことに肩入れするんすかぇ?」


 その声には、これまでの飄々とした調子と、少し違う響きがあった。

 純粋な疑問。あるいは、純粋な侮蔑。

 僕はゆっくりと振り返り、フィリアの切先をジンに向けた。


「……守るのが、面倒事だと?」

「そっすよぉ。だって面倒っしょ? 強い者に従う。利益のある方に付く。それで十分っしょ?」


 ジンは、自分の胸を親指でトントンと叩いた。


「剣さんみたいに、義理だの仲間だので動くなんて、僕にはちょっと、信じられないっすね。そんなのに命を懸ける意味が、分からない」


 彼の目には、嘲笑が浮かんでいた。

 いや――嘲笑ではない。

 あれは、本気で『理解できない』者の目だ。

 彼は、僕の生き方が、心の底から不思議で仕方ないのだ。

 ……同じネーディアでも、これほどまでに違うものか。

 僕はわずかに目を伏せた。

 それと同時に、奥歯を強く噛む。

 彼の言葉に、苛立ちも、悲しみもあった。

 しかし、最も強かったのは――哀れみだった。


「……あなたは、誰のことも、何のことも、愛したことがないんだね」

「は?」

「だから、分からないんだ。誰かのために命を懸ける、その気持ちが」


 ジンの口元から、笑みが、すっと消えた。

 その目に、初めて、底冷えするような何かが灯った気がした。

 ……だが。

 その何かを確かめる前に、ジンは再び口角を吊り上げた。


「ま、結構結構。剣さんの話、面白かったっすよぉ」


 ジンはサイコロを宙へ高く放り投げ、振り返って、路地のさらに奥へと走り出した。


「いやぁ、敵わないっすね~。おじさん、強い人とは戦いたくないんすよぉ」 


 彼の背中が、路地の角を曲がろうとする。

 僕は咄嗟に追おうと踏み出した。


「あれ? もう終わりっすか? 残念ですよ。次会った時は、お手柔らかにお願いしますわぁ」


 声の方向と、ジンの実際の位置が、ズレている――!

 はっと僕が気づいた瞬間、足元の石畳が、ガコッと音を立てて沈み込んだ。


「【書換術(かきかえじゅつ)-(そく)】」 


 声が、僕の真下から響いた。

 地面に、最後の一枚のトランプが、僕の足元に貼り付けられていた。

 

 いつの間に――!

 黒い縄状の影が、トランプから一気に伸び上がり、僕の両足首に絡みついた。 しまった――! 動きが、完全に封じられる。

 わずかコンマ数秒。たった、それだけの時間。

 しかし、ジンを追うには、致命的な遅れだった。

 

 僕は怒りに任せて、フィリアを足元に振り下ろし、影の縄を一刀で断ち切った。

 しかし、僕が顔を上げた時には、すでにジンの姿は、路地のどこにも残っていなかった。

 ただ、彼が最後に放り投げたサイコロが、コロコロと石畳を転がってきて、僕の足元で、止まった。 ……ゾロ目の、一。

 

 僕は、深く息を吐いた。

 逃げられた。完全に、彼の手の上で。

 あの男――何が本当で、何が嘘だったのか、最後まで掴めなかった。

 ただ一つ、確かなことがあるとすれば。 彼は、戦闘の力量だけで測れる相手ではない。

 もっと、根本的な――空虚。

 

 ……零人君のところは、どうなっているだろう。

 紗奈は、凪は、すずさんは。

 僕は唇を強く噛み、サイコロを蹴り飛ばすと、街の中心へと駆け出した。


 その頃。

 街の南西、市場区画の入り組んだ通りで――。

 

 紗奈は一人、巨大な蜂の渦を見上げて、舌打ちをしていた。

「ちっ……これ、面倒な相手だわ」

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