灰路
「クッ……すずは離れててくれ! 【紫焔斬】!!」
封幻に巻かれている包帯の隙間から、大量の紫焔が吹き出し、骨剣とヤツ諸共吹き飛ばす。
目の端で、すずが言われた通りに後方の太い樹の陰へと駆け込むのが見えた。
……よし、まずは彼女の安全を確保。
あとは、こいつだけだ。
「……なんだぁ? この感じ」
吹き飛ばされた灰路は、骨剣で地面を抉りながら制止すると、自分の甲冑を撫で回し、不審そうに眉を寄せた。
「タダの斬撃のようで、少し違ぇな。……あいつが言ってた通りか」
あいつ? 誰のことだ?
灰路は俺の疑問を意に介さず、骨剣を地面に突き立てる。
「じゃあ、こうしてみるか。【改式-隆起】」
灰路が地面に手を当てると、姿を隠すように、ヤツの目の前に巨大な土の壁が湧き上がった。
目隠しのつもりか。
……こいつ、頭が回る。
一見ただの粗暴な男に見えて、戦い方は驚くほど合理的だ。
あいつはどこから出てくる――右か、左か、上か。
面倒くせえ、一気に叩き切ればいいだろ!
「【紫焔斬】!」
【だめだよ!!】
「っは! 馬鹿の一つ覚えだな! 【改式‐地牙】!」
俺が大きく封幻を振りかぶった瞬間、コモの声が頭に響き、足元が小刻みに震えた。
地面から巨大な土の牙が迫り上がり、俺の足を絡め取って、丸ごと飲み込もうとする。
クソッ、このままじゃ紫焔斬を飛ばす前に喰われる!
「【雷燕】!!」
俺は咄嗟に右腕に雷燕の余白を集中させ、振り抜く速度だけを限界まで加速させた。
ズガガガガン!!
……コモの声のおかげでギリギリで間に合った。
――ごめんコモ。助かった。
【もっと戦い方を考えてよ!】
刀身が土の牙を粉砕し、その勢いのまま、奥にあった灰路の土壁を爆音と共に貫通する。
しかし、舞い上がる土煙の向こうに、灰路の姿はなかった。
「【骸群】」
頭上から、冷たい声が降ってきた。
俺が反射的に見上げると、灰路は何の支えもなく空中に立ち、その周囲に大量のドクロを召喚していた。
宙に舞う数十のドクロが、カタカタと不気味に音を鳴らして嗤っている。
「まさか、あの状況で咄嗟に雷燕を発動させるとはな。……なかなかやるなァ。お前、名前は?」
「……綴 零人」
「いい名前じゃねぇか。俺は屍野 灰路ってんだ。まぁ、冥土の土産で覚えとけや」
灰路は両手を大きく広げ、上空から俺を見下ろした。
「で、零人。一個聞かせろ。お前、その女とどういう関係だ? 断章を持ってるネーディア風情を、何でそこまで庇う」
「……お前には関係ないだろ」
灰路は片手で頭を押さえ、心底面倒くさそうにヤレヤレと首を振った。
「関係ねぇだァ? 大ありだねぇ。その女に用があるのに、お前が邪魔してんだよ。……なんで庇う? その女、ネーディアの癖に、なァんも出来てねぇじゃねぇか」
灰路の言葉に、樹の陰のすずがビクッと肩を震わせるのが、目の端に映った。
なぜ……そんな言葉を、こいつは平然と吐ける。
すずの事を、何一つ知らないくせに。
【なにも出来てないなんて……】
――コモ……お前の言いたいことは分かってる。すずはみんなに笑顔を与えてくれるんだ。何も出来てない訳じゃない。
内ポケットにしまってあるキャンバスから熱が伝わる気がした。
「……俺が、守りたいと思った人だからだ」
俺は封幻を強く握り直し、灰路の冷たい瞳を真っ直ぐに見返した。
「すずの事を何も知らないお前が、何も出来ないと決めつけるんじゃねぇよ」
「零人君……」
樹の陰から、すずの小さな声が聞こえた。
ネーディアとか、人間とか、そんな区別はどうだっていい。
どんな気持ちで、何を想って生きているのか――それが一番重要なんだ。
少なくとも、灰路のような、人の気持ちすら理解しようとしねぇ奴に、すずを悪く言われる筋合いはない。
「……気持ちわりぃな」
灰路が、ポツリと呟いた。
その声には、先ほどまでの嘲笑も狂気もなかった。
ただ、深く沈んだ、底知れない――嫌悪。
「どういう意味だよ」
「そのまんまの意味だぜ」
灰路は俺を見下ろしたまま、上空で骨剣を肩に担いだ。
「どうして、人間そっくりに作られた、ネーディアなんかを信用できる? 人間と一緒で、気持ちの悪ィそいつらを、よォ!」
【骸口焔弾】
宙に舞うドクロが一斉に大きく口を開き、血のように赤黒い炎の塊を、樹の陰のすずに向かって一斉射出した。
クソッ、すずが狙われた! 間に合えッ!
【雷燕+水膜】
俺は雷燕で地面を派手に削りながら、すずの正面へ滑り込み、左手のソードブレイカーに薄い水膜を纏わせて、迫り来る炎弾の群れを受け流した。
赤黒い炎は、灰のような微粒子を撒き散らしながら、俺の後方の上空へと弾き飛ばされていく。
「お前だって見ただろ、零人」
炎が散る向こうで、灰路の声が、急に低くなった。
「ネーディアの行動を。……人間と一緒で、強い者には逆らわず、弱い者には強く当たる。あの腐った根性をよォ」
灰路がぶつけてくるのは、底知れないドロドロとした感情の塊だった。
……こいつにも、過去に何かあったんだろう。
俺は、ほんの少し嫌な感情をぶつけられただけだ。
それでもこの世界で精一杯生きているネーディアを、否定する気にはなれない。
だが、すずから聞いた過去に出てきたネーディア達――善意のビジターを罵倒したあの街の人々の姿は、確かに、灰路の言うネーディアの姿そのものでもあった。
「だからって、ネーディア全員が同じじゃないだろ!」
【改式‐石杭】
俺は地面に手を突き、土に余白を流し込む。
地中から、無数の石の杭が灰路を貫こうと突き上がる。
「同じさ!」
灰路は石の杭の間を、まるで踊るように紙一重で躱しながら、骨剣を構えて急降下してきた。
「本当に強ェ奴に出くわせば、必ず媚びる! 相手が善か悪かなんざ、関係ねぇんだよォ!!」
ガキィン!!
頭上から振り下ろされた骨剣を、左手のソードブレイカーで受け止める。
こいつをへし折ってやる――!
ガタガタガタガタ
しかし、いくら腕に余白を流し込んでも、骨剣はビクともしなかった。
むしろ、押し込まれている。
……俺の腕が軋む。
「零人よォ。お前なんで本気で戦ってねぇんだ?お前の余白ならもっと強力な技打てるだろ。……それとも、お前自身、その力を持て余してんのか?」
ぐっ――。
図星を突かれて、俺の動きが一瞬止まる。
こいつ……戦いながら、俺の動きの『鈍さ』を見抜いていやがる。
俺は今、紫焔を全開にできない。
リミッターのせいで、本来出せるはずの威力の半分も出せていない。
さらに、すずを巻き込まないように、攻撃範囲も自分で抑え込んでいる。
俺の戦い方は、灰路から見れば『手加減』にしか見えないだろう。
「いいか、零人。力ってのは持ってるだけじゃ意味がねぇんだよ」
灰路の骨剣が、ぐっと押し込まれる。俺の腕が、ミシリと軋む音を立てた。
「使えてこそ力だ。お前は、それが分かってねぇ」
ガリッ――。
ソードブレイカーの刃が、骨剣の重さに耐えきれず、わずかに削れた。
くそっ……押し負けてる。力でも、技術でも。
「【雷燕】!」
俺は咄嗟に、足元に雷燕を発動させて後方へ跳び退いた。
鍔迫り合いから強引に離脱する。
ザァッと地面を蹴って距離を取り、封幻を構え直す。
ヤツの強さは、火力じゃない。
戦況の読み、立ち回り、相手の動きを観察する目――そのすべてが、俺より一段上だ。
くそ、もし俺が今、リミッターを外して、紫焔を全力で振るえたら……。
ふと、そんな考えが脳裏に浮かんだ瞬間、俺は思わず奥歯を噛んだ。
ダメだ。それをやったら、すずを巻き込む。
封幻の暴走を、俺はまだ完全に制御できない。今ここで全力を出したら、紫焔の余波で、樹の陰のすずまで焼き払う可能性がある。
「……零人君」
風に乗って、すずの小さな声が届いた。
俺は振り向かずに答える。
「大丈夫だ。絶対に、お前のところまでは行かせねぇ」
「うん……」
すずの返事は、震えていた。
でも、彼女は逃げなかった。俺を信じて、樹の陰で身を縮めて、待っている。
……守り切らなきゃ。
俺の弱さで、彼女の信頼を裏切るわけにはいかない。
「お前さ」
灰路が、ふと骨剣を肩に担いで、俺を観察するように首を傾げた。
「なァ、零人。なんでそこまでして、ネーディアを庇う? ……教えてくれや。俺はずっと、それが分からなくてよ」
その声には、戦闘中とは思えない、奇妙な静けさがあった。
いや、静けさではない。乾いた、答えを求めるような響き。
俺は警戒を解かないまま、灰路を睨みつけた。
「……何度も言わせるな。すずは、すずだからだ。ネーディアだからとか、関係ねぇんだよ」
【そうだ。すずはすずなんだ!】
灰路は、しばらく無言で俺を見つめていた。
骨の兜の奥の瞳が、何かを探るように細められる。
「……分かんねぇな」
ポツリと呟いた灰路は、片手で自分の頬の傷を撫でた。
無意識の仕草だった。
深く刻まれた、古い傷跡。
「分かりたくもねぇや。気持ちわりぃ」
その言葉とは裏腹に、灰路の声には微かな揺らぎがあった気がした。
ほんの一瞬で、すぐに彼の目に冷たい殺意が戻ってくる。
「もういい。さっさと終わらせるぞ」
灰路が、骨剣を再び構え直した、その時だった。
――ドォォォォォン!!
遠く、街の方角から、大気を震わせるような爆発音が轟いた。
俺と灰路は、同時にそちらへ視線を向ける。
森の樹冠の向こう、城のあるあたりから、巨大な黒煙の柱が天高く立ち上っていた。
さらにその上空には、夥しい数の蜂の群れが、何か巨大な渦を作って蠢いている。
「……街、にぎやかだな」
灰路の口元が、薄く歪んだ。
愉悦ではない。確認するような、満足するような、奇妙な薄笑い。
「あいつもあいつで楽しんでやがる。……まったく、元気な連中だ」
その言葉に、俺は思わず噛みついた。
「お前らの仲間が、街を……!」
「仲間ねぇ……」
灰路は、その言葉に微かに反応して、皮肉そうに口の端を上げた。
「俺に、仲間なんていねぇよ。ただ、目的が一緒なだけの連中だ」
骨剣の切先が、まっすぐに俺を捉えた。
空気が、ぐっと重くなる。
灰路の周囲の温度が、急激に下がっていくような錯覚。
「……さて、零人」
灰路の声が、これまでで一番低く、平坦になった。
「お前との戯れも、そろそろ飽きてきた」
灰路の足元から、骨が地面を這うようにして無数に湧き出してくる。
空中に浮かぶ骸群のドクロが、一斉にカタカタと音を立て、その目の窪みに、暗紅色の小さな炎が灯り始めた。
数十、数百、数千――。
森の空を埋め尽くすほどの、夥しい数のドクロ。
灰路は、骨剣を高々と掲げた。
「これで、終わらせる」
骨剣の切先に、紅蓮の炎が螺旋を描いて巻きつき、ドクロの口が開いて、赤黒い光がじんわりと光り始める。
空気が、ピリピリと痺れる。
森の木々が、ザワッと一斉に揺れた。
……来る。
俺の本能が、警鐘を鳴らした。
これは、これまでの技とは比較にならない、決定的な何かだ。
俺は封幻を構え、すずの方向にだけは絶対に被害を出さないよう、自分の体を盾にする位置に立つ。
頼む、間に合ってくれ――。
封幻に、ありったけの余白を流し込む。
しかし、リミッターが、それを許してくれない。
奥歯を噛み締める。
「【千骸――」
灰路の口から、技の名が漏れた、その時。




