襲撃
俺達は弾かれたように窓へ駆け寄り、眼下の街を見下ろした。
――地獄だった。
平穏だった石畳の通りを、家屋の二階ほどもある巨大なイノシシの群れが、土煙を上げて蹂躙している。
逃げ惑う住民の悲鳴、家屋が叩き潰される轟音、振るわれた牙に薙ぎ倒される露店。
地上では、衛兵達が必死に槍を突き立てて防衛線を張っているが、上空を黒く覆う『寄生蜂』の群れが彼らの死角から襲いかかり、為す術もなく陣形が一つ、また一つと崩されていく。
「これは……酷いな。僕と紗奈で街へ降りて、前線を押し返す。凪と零人君、すずさんはここでカテリウス様を護衛してくれ」
アーサーは瞬時に状況を判断し、迷いなく窓枠に足をかけた。
普段の柔和な瞳から完全に光が消え、戦場に立つ副団長の顔になっている。
「凪、もし例のプレイヤー達が現れたら、迷わず霧を出して逃げろ。なんとしてでも二人を助けるんだ。……緋音さんが、もうすぐ来る」
「あいよ。アーサーも気をつけろよ」
短い返事を交わすと、アーサーは遥か高所であるこの城の窓から、躊躇なく宙へと身を躍らせた。
俺が慌てて身を乗り出して下を見ると、彼は風を纏うように落下軌道を制御し、城壁の出っ張り、街路樹の枝、屋根の縁を順に蹴って、重力を無視したかのような滑らかな動きで戦場へと急降下していくところだった。
……すっげぇ身体能力だ。
あれだけの高さから飛び降りて、無傷で着地できる人間がこの世に居るのか。
「しょうがないわね。私たちも行くわよ、シー」
「えぇ~……血で毛並みが汚れちゃうから、めんどくさぁい……」
「ふふ……――Soul Link――『黒猫ノ刻装』」
紗奈さんが真名を唱えた瞬間、足元にいたシーの体が黒いオーラとなって弾け、紗奈さんの両手両足に、漆黒のグローブとブーツとして具現化した。
彼女はそのまま、まるで重力から解き放たれた黒豹のように、窓から音もなく宙へ飛び出していった。
「紗奈さんのリンク、初めて見た……」
「姉ちゃんのあの能力、エグいぞ。あの手袋で殴った相手の体内に『術式』を仕込んで、ブーツで触れた瞬間に起爆させるんだからな……」
ひぇっ……。
頭の中に、敵の体が内側から膨張して破裂する映像が一瞬流れ、俺は思わず頬を引きつらせた。
「わ、私たち……ここに居て、大丈夫なのかな?」
「すずさん、もしここが危なくなれば、私のことは見捨てて逃げてくれて構わない。まずはあなたたちと、住民の安全が第一だ!」
すずは急展開に顔を青ざめさせ、椅子の縁を握りしめて震えている。
カテリウスさんは、自身の命よりも真っ先に街と俺たちを案じてくれた。
なんて立派な人だ。こんな状況下で、よくこの落ち着きを保てるな。
「安心してください。俺達が絶対に――」
「凪よ!! ――屈め!!!」
――Soul Link――『宵眼光砲』
【焼断線】
ガルが凪の髪を乱暴に引っ張り上げ、凪が窓の外を見て血相を変えて叫んだ。
俺は思考するより先に、すずの頭を抱え込んで床に伏せる。
――ギュィィンッッ!!!
空気が焦げる強烈なオゾン臭と共に、窓の外から『真っ赤な熱光線』が、横一直線に応接室の中を薙ぎ払った。
……あっぶねぇ!!
俺の頭上数十センチを通過した光線は、分厚い石造りの壁をバターのようにドロドロに溶かし、部屋の反対側まで抉るようにして貫通していた。
もし反応が遅れていたら、俺もすずも、上半身ごと焼き切られていた。
俺は床に這いつくばったまま、慎重に窓の外を睨みつける。
そこには、空中にふわりと浮かぶ『巨大な目玉』に乗った青髪の少年。
そして、その横の空中で、何の支えもなく平然と立つ、白髪で顔に傷のある男の姿があった。
目玉は一つだけではなかった。少年の周囲を、新たな目玉が、ぶよぶよとした粘着質な音と共に次々と分裂・増殖していく。気がつけば、五つ、六つ、七つ……無数のギョロついた瞳が、こちらを冷たく睨みつけていた。
「おいヨル……。外すなよ」
「……ごめん。避けられた」
……間違いない。
昨日の昼間、カジノの裏路地で出会った、あの不気味なプレイヤー達だ。
なぜ、このタイミングで!? しかもよりによって、こんなに堂々と城を直接狙ってきやがった!
「クソッ! ここから離れるぞ! ――Soul Link――『焔潮輪双槍』!!」
「コモ、行くぞ! ――Soul Link――『封幻』!!」
俺と凪は即座に武器を顕現させ、臨戦態勢をとる。
「【迷霧】!!」
凪が槍の輪を激しく回転させると、そこから視界を奪うほどの濃密な白い霧が応接室いっぱいに噴き出した。
これで相手の視界は塞げるはずだ。
「逃げるぞ、こっちだ!」
凪の叫びに合わせて立ち上がろうとした、その時。
【焼断線】
「ぐあっ!?」
霧の向こう側から、正確無比な熱線が照射され、凪の右肩を掠めた。
鮮血が舞い、凪が苦悶の声を上げて膝をつく。
「なん、で……この霧の中で、正確に見えて……やがる……!?」
「君たちの姿……丸見えだよ。消えちゃえ」
少年の眠たげな声と共に、霧の奥で再び凶悪な赤い光が収束し始める。
マズい、あの目玉は熱源か何かでこちらの位置を完全に把握している!
「凪、霧を消せ! ここで防戦一方になるのは不味い! 【紫焔斬】!!」
俺は赤い光の源へ向けて、封幻から紫色の斬撃を放つ。
燃え盛る紫焔が熱線を相殺し、爆風となって部屋の霧を強引に吹き飛ばした。
舞い上がる粉塵の向こうで、白髪の男の口元が、わずかに歪むのが見えた。
「チッ……君たちに用は無いんだけど」
「用がないなら突っかかってくんじゃねえよ!! 【改式・雷燕】!!」
凪は肩から血を流しながらも、電光石火の踏み込みで壁の穴から宙へ飛び出し、白髪の男の眉間へ向けて渾身の槍を突き出した。
「――Soul Link――『屍灰甲』」
ガギィィンッ!!!
白髪の男が面倒くさそうに呟いた瞬間、彼の全身を『骨で編まれた禍々しい甲冑』が瞬時に覆い尽くした。
黒ずんだ骨の鎧。兜は人間の頭蓋骨を模した形状で、関節部分から覗く骨同士がカタカタと不気味な音を立てている。
彼の右手には、いつの間にか分厚い骨の剣が握られていた。
凪の必殺の刺突は、その骨剣によって、火花を散らして完全に受け止められていた。
「邪魔すんじゃねぇよ、ガキ。俺は、そこの女が持ってる『断章』に用があるだけだ」
「……え? わ……わたし?」
すずが、自分の胸元を隠すようにして息を呑んだ。
なん……でだ。
なんでこいつら、すずが断章を持っていることを知ってる!? 俺らだって、今朝アーサーの機械でようやく気づいたばかりだってのに。
「そこの女。断章を素直に渡せば、殺しはしねぇ。早く寄こせ」
男の言葉に、俺は歯軋りした。
こいつら……すずの『体内』に断章があることまでは分かっていないのか。
だが、もし捕まって、その事実がバレたら――こいつらは間違いなく、すずの腹を割いてでもアイテムを取り出そうとするだろう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「零人! すずちゃんを連れて逃げろ! ここは俺が食い止める!」
「凪!?」
「いいから行け!! 【焔潮輪・双破】!!」
凪の手の中で、一本だった槍が中央から二つに分かれる。
彼は双槍の乱舞で強力な水と炎の衝撃波を放ち、灰路の屍灰甲をわずかに後退させた。同時に、噴き出た熱風が、増殖していたヨルの目玉のうち手前にあった三つを一気に焼き払う。
「……すず、行くぞ!!」
俺はその隙を見逃さず、すずの細い体を両腕で抱き上げ、お姫様抱っこの形で胸に強く引き寄せた。
彼女の体温が伝わってくる。
震えている。
当然だ。
一瞬で命を狙われる立場になったのだから。
【改式・雷燕】
制御できるギリギリの余白量を脚力に注ぎ込み、俺は城の壁を蹴り砕く勢いで、一気に街の外に広がる森の方角へと飛翔した。
目指すは、街の外に広がる深い森。あそこなら、樹木で視界が遮られる。あの目玉も、すべての熱源を完璧には捉えきれないはずだ。
背後で、城の一部が崩落する激しい戦闘音が響く。
頼む、無事でいてくれよ、凪……!
俺はすずを抱えたまま、城壁を越え、街の防壁を越え、眼下に広がる深い森の樹冠を突き抜けて、地面を抉るようにして乱暴に着地した。
土煙が舞い上がり、衝撃で膝が砕けそうになる。
「はぁっ……はぁっ……」
息が荒く乱れる。雷燕の連発は、想像以上に余白を消耗する。
だが、ここまで来れば、一旦は――。
俺はすずをそっと地面に下ろし、周囲の気配を探った。
森は静かだ。鳥の声もしない。風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえる。
……静かすぎる。
その違和感に俺の背筋が凍りついたのと、地面に長い影が落ちたのは、ほぼ同時だった。
ザッ。
乾いた葉を踏む、たった一歩の音。
「……逃げんなよ。追いかけるのがめんどくせぇだろ」
背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走った。
俺は咄嗟にすずを背後に庇い、封幻を振り被って振り返る。
ギギィィィンッ!!!
耳障りな金属音。
俺の封幻は、頭上から振り下ろされた白髪の男の骨剣と、ギリギリのところで交差していた。
嘘だろ。
どうやって一瞬でここまで追いついて来やがった……!?
凪は……? いや、考えないようにしろ。
今は目の前の化け物をどうにかすることだけを考えろ。
「なんで……そんなに断章にこだわるんだよ!!」
「なんでって……? アハハハハハ!!」
白髪の男は、俺と鍔迫り合いをしたまま、片手で顔を覆って狂ったように爆笑し始めた。
その歪んだ笑顔には、明確な狂気が宿っている。
しかし、その笑い声には、どこか乾いた響きがあった。
喜びや楽しさからではない、何か別の感情が滲み出ているような――。
「お前、馬鹿かよ。SNSの裏掲示板でも話題になってるだろ? 断章を集めれば『バディの制限が解除される』とかなんとかってな。……まぁ、俺はそんな胡散臭ぇ噂、ハナから信じちゃいねぇがな」
「は? 信じてねぇのに、なんでこんな執拗に狙うんだよ!」
俺の問いに、男はピタリと笑いを止め、底知れない暗い瞳で俺を射抜いた。
その瞳の奥には、どこか深い何かが沈んでいる気がした。憎悪でも狂気でもない、もっと別の――。
しかし、それを確かめる暇はなかった。
男は、獲物を舐め回すように舌を出し、自らの胸を親指で突き刺すようにして宣言する。
「あぁ? ……そんなに教えてほしいなら」
男の骨の甲冑から、ドス黒い殺意のオーラが爆発的に膨れ上がる。
「俺が『降参』って泣き叫ぶまで、骨の髄まで痛められたら教えてやるよォ!!」




