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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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32/33

本物

「私、あの後どうなったか全然覚えて無くて……。誰か通りすがりの人に助けてもらったのか、それとも魔獣に襲われたのが悪い夢だったのか……。気づいたら、湖の中心にあったあの木のそばで、一人で倒れてたんだ」

「……」


 俺は、あまりにも壮絶で理不尽なすずの過去を聞いて、言葉を失っていた。

 そして同時に、自分自身に対して心底腹が立っていた。

 知らなかったとはいえ、無神経に過去のことを掘り起こしてしまったこと。

 あろうことか、すずに絵を見せてもらった時、彼女の絵をグチャグチャにしたあの最低なプレイヤーと同じ反応を示してしまったこと。

 俺……本当に最低じゃねぇか……。


「あの……さ……。本当に……ごめん」

「謝ることないよ。零人君は、何も悪いことしてないじゃん」


 すずは寂しそうに笑った。

 ダメだ。

 ……俺は、こんなに心優しく、ただ誰かを笑顔にしたいと願うすずに襲いかかる『不条理』が、絶対

に許せなかった。

 俺の偏見も、あのプレイヤーの傲慢さも、魔獣の暴力も、この世界そのものも……。

 心優しい人が、理不尽に踏みにじられるこの不条理に……。

 

 ――ジリッ。

 その時。俺の脳の奥深くで、火花が散るような『システムノイズ』が鳴り響いた。


「っ……あ……?」


 激しい頭痛。真っ白にロックされていたはずの過去の記憶の扉が、俺の強烈な『怒り』と『悲しみ』の感情に呼応して、わずかに軋む。

 

 少しだけ……思い……出した。

 そうだ。俺は昔から、この不条理に対して絶対的な憎悪を抱いていた。

 理不尽に奪われることも、傷つけられることも。

 俺は一度、その不条理から、最も大切な誰かを……守れなかった。

 

 ノイズの向こう側で、少女が、俺に向かって悲しそうに微笑んでいる幻影が見えた気がした。


 絶対に守らなきゃいけない、俺が守りたかった人に、俺は……守られた。

 心優しい人は、絶対に幸せにならなければいけないのに……。

 そうでなければ……あまりにも救われないじゃないか……。

 

「……零人君? どうしたの?」

「……すず」

 

 俺は、震える息を吐き出し、すずの目を真っ直ぐに見つめた。

 そして誓う。

 二度と、同じ過ちを繰り返さない為に。

 優しい人が、これ以上苦しまないようにする為に。

 今度こそ、守ると誓った人を、絶対に最後まで守り抜く為に。


「今後、この先どんな災難がすずに訪れようと……必ず俺が守る。俺に、守らせてほしい」

「え……?」


 すずは目を丸くして固まった。

 そりゃそうだろう。昨日出会ったばかりのプレイヤーに、いきなりそんなプロポーズみたいなことを言われても、誰だって戸惑う。

 でも、これは俺の自己満足だ。

 断られたって構わない。

 優しい人が辛い思いをする、こんなクソみたいな不条理を、俺は絶対に許さない。


「……何で、私なんかに……」

「私なんかじゃねぇよ。すずは、とびっきり良い奴じゃねぇか。俺は、お前みたいに優しい奴がひどい目に遭って、自分を卑下してるのが一番許せないんだ」

「私、自分がいい人だなんて……。だって、あの時店主さんのお店が荒らされてた時だって、私怖くてなにも出来ずに……」

「何も出来て無くねーよ。俺は、店主さんはお前に救われたと思うよ。すずの絵は、世界一なんだぜ? すずの優しい思いが籠もった絵をもらって、あの人はもう一度やり直す気力が湧いたはずだよ」

「僕もそう思う! あんなに綺麗で優しい絵を貰って、元気にならない人なんて絶対にいないよ!」

「あり……がとう……っ」


 両手を胸の前でグッと握りしめ、すずは深く俯き、ポタポタと大粒の涙を零した。


「私……自分の絵が、分からなくなってたんだ……。あのビジターの人にああやって言われて……。私みたいなネーディアが描く絵は、誰かの努力を踏みにじって、誰かを不幸にするだけの『偽物』なのかなって……ずっと、怖くて……っ」

「すずの絵は『本物』だよ。誰かが笑顔になってほしいっていう、お前の心がちゃんと籠もってる。俺には伝わった」


 そうだ。すずの絵は、ただ冷徹にデータをツギハギして出力されただけのものじゃない。

 彼女がこの世界を美しいと感じた心と、愛情が、絵に確かに宿っているんだ。

 

 すずに酷いことをしたプレイヤーの言うことは、間違っている。

 すず達AIが悪いのではない。

 AIにモラルのない事を頼む人間達が批判されるべきなんだ。

 言われた事を行った AIが批判される不条理なんて、……あってはいけないんだよ。


「……よかったら、この絵……零人君に貰ってほしいな」


 すずは涙を拭うと、今、目の前に広がる朝日の光景を描いたキャンバスを、両手で俺へ手渡した。

 受け取ったそれは、キャンバスの物質的な重さだけではない、すずのこの世界に対する愛情の重みが確かに感じられた。


「ありがとう。……絶対に大切にするよ」


 俺はその絵を、空亡のコートの内ポケットへ大切にしまう。

 今度、ルミナスにある俺の自室に飾ろう。


「……それにしても、誰が私を助けてくれたんだろう……。着ていた服に、ベットリ血が付いてたから、夢では無いと思うんだけど……」

「まぁ、生きてて何よりじゃないか。服の下とか……肌に傷とか残ってないか?」

「えっ!? んもう! 零人君のエッチ! 恥ずかしいなぁ……」


 俺は自分の発言に気づき、ボッと顔から火が出るほど赤面した。

 違う! そういうセクハラ的な意味で言ったわけじゃなくて、ただ怪我が治ってるか心配しただけで!


「……何、朝からイチャついてんのさ。それより、もう用が済んだなら早く帰ろうよ。僕、お腹ペコペコなんだけど」


 コモが俺たち二人を、ジト目の呆れ顔で見つめている。

 忘れてた。

 アーサー達を置いて、二人だけで抜け出してきたんだった。

 みんなが起きてくる前に、早く宿に戻らねば。


「そ、そうだな! そろそろ戻ろうか!」

「え~、もうちょっとだけ、ここで一緒に景色を楽しもうよ。……私のこと、守ってくれるんでしょ?」


 すずは涙の跡が残る顔でニヤニヤと笑いながら、俺が立ち上がったばかりのベンチの隣をペンペンと叩く。

 何か、めちゃくちゃこっぱずかしい。

 さっきは感情の勢いに任せて言ってしまったが、冷静に思い返すと、かなりクサくて恥ずかしいセリフを言ってしまった気がする。


「あ~もう! 早く宿に戻るぞ!」

「ああっ、ちょっと! 零人君、引っ張んないでよー!」

 

 俺は顔の熱をごまかすために、すずの手を強引に引っつかむと、黄金色に輝く高台を後にして、宿へと全力で走り出すのであった。

 繋いだ彼女の手は、ただのデータなんかじゃない。間違いなく、温かな命の熱を帯びていた。

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