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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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すずの過去②

 私は門の近くで、カテナの安全を守ってくれている衛兵の方々に、緊張しながらも会釈をして、見上げるほど巨大な木製の門をくぐる。

 視界が開けた瞬間、目の前にはどこまでも続く広大な深い森が広がっており、未知の光景への恐怖よりも、ワクワクとした高揚感が胸の奥から溢れ出てきた。

 道は商人達の馬車が頻繁に通るため、ある程度は踏み固められているが、街の中のように綺麗な石畳というわけではない。土と草の匂いが、鼻をくすぐる。

 

「うわぁ……! これが、カテナの外の世界なんだ……!」

 

 よし! 誰にも見つかっていない、とっておきの秘密の景色を探すぞぉ!

 っと、その前に。おばちゃんにもらった金木犀の香水をチョチョイと首筋に振りかけて……よし! 完璧! これで魔獣も寄ってこないはず!

 そういえば、街の中を流れているあの綺麗な川、その先はどうなってるんだろう。

 もしかしたら、誰も知らない綺麗な滝とかが広がっているかもしれない!

 ちょっと、街の外壁に沿って川の上流を探してみようかな。


 私は、美しい水の源流を探すため、舗装された道を外れて、外壁に沿って生い茂る草木をかき分けながら進んだ。

 道中、手のひらサイズの蜘蛛やよく分からない不気味な虫に驚かされて悲鳴を上げたりもしたけど、なんとか目的の川を見つけることが出来た。

 おぉ~……! 街の中で見るよりも、ずっと透き通ってて綺麗だな。

 お魚たちも太陽の光を浴びてキラキラと元気に泳ぎ回っていて、すごく楽しそう。

 ん~、この川に沿って歩いて行ったら、絶対に何か素敵な景色がありそうな気がする……!

 ……正直、おばさんの言っていたイノシシの魔獣は怖いけど。

 でも、ちょっとだけ冒険してみようかな。

 香水があれば、魔獣は近寄ってこないって言ってたし……。

 ……よし! せっかく勇気を出して街の外に出たんだし、色々なことに挑戦しよう!

 

 私は30分程、鼻歌を歌いながら川沿いを歩き続けた。

 魔獣ではない野生のウサギや鹿、見たこともない色鮮やかな鳥たち、石の裏に隠れたトカゲなど、色々な『命』の発見があった。

 その生物達をキャンバスに描いても良かったんだけど、今日はリュックと共に背負ってきたデカいキャンバス1つしか持ってきていない為、この子たちはまた今度描くことにする。

 しばらく川沿いの獣道を進むと、急に視界が広がり、目の前に巨大な湖が現れた。

 

「……綺麗」


 思わず、声が漏れた。

 鏡のように澄んだ湖の中心には、島のようなちょっとした陸地があり、そこに巨大な木が一本、デカデカと天に向かってそびえ立っていた。その枝葉には、色鮮やかな鳥たちがまるで宝石のように休んでおり、世界から切り離されたような、ひどく和やかで神秘的な雰囲気を醸し出している。


 ここ……、すごくいい。私の、一番の秘密基地にしよう。

 よし決めた! 今日はこの、世界で一番綺麗な景色を描こう!


 私は早速、一番この景色が光り輝いて見える場所を選び、キャンバスを立てかける。

 大きなリュックを地面に下ろし、小さな折り畳み椅子と、私が子供の頃からずっと使っている愛用の『筆』を取り出す。

 この筆は、お父さんに買ってもらった、私にとって特別な筆だ。

 絵の具なんていらない。

 私が頭の中で思い描いた色を、そのままキャンバスに出力してくれる、魔法の筆なのだ。


「ん~……、どうやってこの生命力を表現しようかなぁ……」


 私は、この壮大で優しい景色をどのようにしてキャンバスに表すか、幸せな悩みに頭を抱える。

 完成した絵を見てくれた人が、この場所に来られなくとも、目で、心でこの風と光を感じられるような、素晴らしい絵を描きたい。


「……よし! イメージは固まった!」


 私は筆を取り、キャンバスへ一気に『私の愛した世界』を染め上げていく。

 時間なんて関係ない。

 描きなぐるんじゃない。頭に浮かんだ完璧な光景を、筆を通じてキャンバスへ『現出』させるだけだ。


「……できた!」


 会心の出来だ。

 神秘的な太陽の光と、湖の中心にそびえ立つ木の圧倒的な生命力。

 そしてそこに集う様々な生き物たちの、優しい息遣い。

 そのすべてを、この一枚のキャンバスに見事に表現できたと思う。

 私、お父さんみたいに、立派な絵描きになれたかな……?


「おっ、なんか草木の奥に、景色の良い所に出たわね」


 私が自分の作品の余韻に浸っていると、どこからかザザッ、と草木をかき分ける音がして、そこからビジターの方らしき男女が二人現れた。

 ……どうしよう。さっきのおじさんの件があって、ビジターの人はちょっと怖いな……。


「ん? あそこにAIっぽい奴がいるわね」

「本当だな。こんな街から離れたところで何してんだ?」


 あわわ……。やっぱり、私の存在がバレちゃった……。

 どうか、注意してくれたあの青いコートの人みたいに、いい人達だったら良いんだけど……。


「ねぇねぇ、お嬢ちゃん。こんなところで、なにしてるのぉ?」

「えぇっと……、ちょっと、絵を描いてて……」


 女の人が、ニコニコと営業スマイルを浮かべながらこちらに近づいてきた。

 だけど、私が「絵を描いている」と言った瞬間、その笑顔の奥の目つきが、スッと鋭くなった。

 なんだろう……。私、何か変なこと言っちゃったかな……?


「……ふーん。絵ねぇ。……ちょっと見せてよ」

 

 女の人は、私の制止を待たずにキャンバスの前へ立ち、描かれた絵をマジマジと見つめる。

 お父さんの筆で描いた、私の会心の出来だ。

 ……きっと、褒めてくれるかな。


「……いい絵ね。信じられないくらい、完璧な光の捉え方だわ」


 やった! ビジターの人に褒めてもらえた!

 私はその言葉に有頂天になり、さっきまでの恐怖を忘れて、つい嬉しくなって声を弾ませる。


「ありがとう! 私もここに来たばかりなんだけど、あまりに綺麗だから、ちょうどさっき描いたばかりなんだ!」

「……ここに来たばかり? ……じゃあ、これだけの絵、一体どれくらいの時間をかけて描いたの?」

「えっと、10秒くらいだけど……」


 ――ピキッ、と。

 世界が凍りついたような音がした。

 女の人は絵を見つめたまま、微動だにしない。

 だが、彼女の体から、昼の陽光さえ弾き飛ばすような、どす黒い威圧感が溢れ出てくるのが分かった。

 少し離れた所に居る男の人は、私の発言に「……は?」と絶句していた。


「……ふざけんじゃ、ないわよ……ッ!!」

「え……?」


 女の人が、絞り出すような低い声で呟き、こちらを振り返った。

 その顔は……、昼間の男の人たちよりも何倍も恐ろしい、鬼の形相だった。


「私も、現実で絵を描いて生活してるけど……! こんないい絵を、AI風情にたった数秒で描かれちゃ、たまったもんじゃないんだよ! こっちは!!」

「……あ、あの……?」

「あんた達AIのせいで、私たちの『努力』も『人生』も、すべて無価値にされて、仕事が奪われてるのよ!? 所詮、ネットに転がってる先人たちの絵を無許可で学習して、ツギハギしてコピーしてるだけの、心のないデータのくせに……ッ!!」


 何を……言っているのか、全く分からなかった。

 だけど、彼女が私に対して、底知れない嫌悪感と、殺意に近い怒りを感じていることだけは、ヒシヒシと伝わってきた。


「こんな、偽物の絵なんて……ッ!!」


 女の人は、私の制止の手を振り払い、キャンバスを力任せにひっくり返して、地面へ叩きつけた。

 そしてあろうことか、私が心を込めて描いたキャンバスを、靴でグチャグチャになるまで、何度も、何度も踏みつけた。


「お……おい。やめとけよ、そこまですることは……」

「うるさいわね!? 絵を描かないアンタには、一生わかんないわよ! 私のこの気持ちなんて!!」


 私は、何が何だか分からなかった。

 この女の人が何でここまで怒っているのか。

 なんで……、私の大切なお父さんの筆で描いた絵を、こんなにグチャグチャにするのか。

 私はただ、私の絵を見て……、みんなに笑顔に、なってほしかっただけなのに……。


「こんなAIが描いた絵なんて、消えちゃえばいいのよ!」


 女の人は、指先から術式を放ち、グチャグチャになったキャンバスに火を放った。


「……行くわよ。胸糞悪いわ」

「あっ……あぁ、おい、待てよ」


 二人は、私の泣き顔なんて見向きもせず、また草木をかき分けて去って行った。

 私は、燃え上がる炎を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


「……ぁッ。火事に……なっちゃう……綺麗な森が……」

 

 私は慌てて、這いつくばるようにして湖の水を燃えているキャンバスへかけ、消火した。

 なんで……、なんだろう。

 私……、何か悪いこと、しちゃったのかな……。

 私は、ただ……、みんなを笑顔にしたくて……。

 なのに、女の人を、あんなに泣き出しそうなほど怒らせてしまった……。


 ポタポタと、目から大粒の涙が零れ、黒焦げになったキャンバスに落ちる。

 そうだ。このままだと……、この美しい自然がゴミだらけで台無しになっちゃう……。

 私の……ゴミを……、片付けないと……。

 私は、燃えカスとなったキャンバスの残骸を、涙を流しながら、真っ黒になった両手で必死にかき集める。

 なんで……、なんでこうなっちゃうんだろうなぁ……。


 ――ドスドスドスドスッ!!!――


「……ぇ?」


 背後から、木々をなぎ倒し、大地を揺るがすような勢いで、何かがこちらへ走ってくる音が聞こえた。

 振り返る暇さえ、なかった。


 瞬間――。

 私は背中から胸に、経験したことのない強烈な激痛と衝撃を感じた。


 視界が、上下逆さまになる。

 黄金色に輝いていた美しい湖が、私の体から溢れ出た赤黒い液体で、みるみるうちに染まっていくのを眺めながら……。


 私は、宙へと投げ出されるのであった。

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