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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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すずの過去①

 私、『彩葉いろはすず』は、大きめの真っ白なキャンバスを脇に抱えながら、故郷であるカテナの街を歩いていた。

 道行く人たちと挨拶を交わしながら、穏やかで活気のある石畳の道をニコニコと進む。


 ちょうど1年前。私たちの世界『ネーデ』は、大きな転換期を迎えた。

 空を覆い隠していた『分厚い雲』を、伝説の勇者様が切り裂いてから、世界は少しだけ平和で明るくなった。

 しかし、それと同時に『ビジター』と呼ばれる、不思議な動物を連れた見慣れない旅人たちが、大量に私たちの世界へ雪崩れ込んできたのだ。


 最初は、ビジターの人たちが自分勝手に暴れ回り、街のあちこちで揉め事が絶えなかったと聞く。

 このカテナの街は辺境のせいか、大都市に比べるとビジターの数も少なく、比較的マシな方だった。

 しかし、マシというだけで、被害が全く無かったわけではない。

 私も、ビジターの人たちの恐ろしい噂を耳にすることはあったが、どこか遠い国の出来事のような感覚で、あまり深く意識はしていなかった。


「おっ! すずちゃん、今日も元気だね。また絵を描きに行くのかい?」

「そうなんです! 昔に比べたら魔獣の数も減って平和になったみたいだし、今日は思い切って、少しだけ街の外へ行ってみようかなって……」

「えぇ!? 街の外にかい? やめときなよ……幾ら平和になったからって、森にはまだ凶暴な魔獣が残ってるんだよ?」


 やっぱり、まだ危ないのかなぁ……。

 でも、どうしても街の防壁の外の景色を見てみたいし、それをキャンバスに描いてみたい。

 私、逃げ足だけには自信があるから、きっと大丈夫……だよね?


「大丈夫大丈夫! 私、こう見えても逃げ足だけはすっごく速いんだから! 危なくなったら、すぐに街まで逃げてくるよ!」

「……本当に大丈夫かねぇ。あまり街から遠く離れちゃだめだよ? ちゃんと衛兵が巡回してる近くで描きなさいよ?」

「心配してくれてありがとう、おばちゃん! 私も怖いから、森の奥までは行かないつもりだよ」


 おばちゃんは心配そうに眉を下げているが、安心してほしい。

 私も絶対に死にたくはないから、今日は外に出る前に、自衛できそうな道具を買いに来たのだ。

 

「ねぇおばちゃん、魔獣よけになりそうな、おすすめの自衛道具って何かある?」

「ん~、カテナの街の近くに出るのは、主に大きなイノシシ型の魔獣だからねぇ。あいつらは鼻が良い分、強い匂いを発する物が苦手なんだよ。こういうのはどうだい?」


 おばちゃんは、自身の露店に並べてある、小さな小瓶を指差した。

 ん~? 香水かな?


「これはただの香水じゃないよ。普通の獣には効かないけど、魔獣が嫌がる成分が入ってて、いざという時の目眩しになるんだ」

「へ~! 良い香り!! おばちゃん、これ幾ら?」


 私は数ある香水の中から、自分の大好きな香りを見つける。

 『金木犀』の香りだ。

 秋にだけ咲く、少し甘くて胸がキュッとなるこの金木犀の香りが、私は大好きだった。


「お金なんていらないよ。タダで持っておきな。その代わり、絶対に怪我せず生きて戻ってくるんだよ? あんたの描くこの街の絵、みんな大好きで楽しみにしてるんだからね」

「やった! ありがとうおばちゃん! もちろん、無事に生きて帰ってくるよ。もしすごくいい絵が描けたら、最初におばちゃんにプレゼントするね!」

「それはうれしいねぇ。首を長くして待ってるよ」

 

 よし、これでちょっと護身用のお金が浮いたぞ~!

 浮いた分で、画材屋さんでいっぱいキャンバスを買って、外の世界の綺麗な色をたくさん描きたいな!


――ガシャァァァンッ!!――


「おい!!」


 ん? なんだろう。

 これから向かおうとしていた大通りの先が騒がしい。

 怒鳴り声と、物が壊れる音が聞こえる。

 何かあったのかな? 私は足音を忍ばせて、そっと人だかりを覗き込んだ。


「お前らAIなんだから、黙って俺らにアイテム渡しとけばいいんだよ!!」

「お願いします……っ。商品すべてを持って行かれてしまうと、明日の生活が出来ないんです……どうか、やめてください……」


 あの中で暴れているのは……ビジターの人、なのかな……?

 八百屋の店主のおじさんが震えながら、派手な装備をした男の人に土下座するように頭を下げている。

 なんか……すごく怖い。

 『AI』ってなんだろう。私たちの事を言っているのかな……?


「うるせぇな! お前らはなぁ、人間様の言うとおりに動いてりゃ良いんだよ!!」


 ビジターの男の人は、ゲラゲラと笑いながら、並べられていた野菜の棚を思い切り蹴り飛ばして破壊した。

 誰か! 誰か助けてあげて!

 非力な私じゃどうにもできないし、誰かあの店主のおじさんを助けて!


 私は祈るように周りを見渡したが……集まった街の人たちは皆、目を背けて、見て見ぬ振りをしていた。

 理由はわかる。

 私たちも、幼い頃から自衛のための基礎的な『術式』を習っていて、ある程度は戦える。

 しかし、ビジターの人たちは、強力な『バディ』と呼ばれる生き物と契約しており、私たち一般市民が束になっても到底太刀打ち出来ない強さを持っているのだ。

 でも……それでも、誰か……動かないの? 誰も助けないの?

 

 ……私も、か。

 私も、見て見ぬ振りをしているこの人達と一緒なんだ。

 ただ震えて見ているだけで、助けに入る勇気もない、怖くて動けない……弱いネーディアなんだ。

 

「ねぇ君たち。相手がNPCだからって、そんなみっともない事やめなよ」

 

 その時。人混みを掻き分けて進み出た、別の青いコートを着たビジターの人が、店を荒らしている男達に静かに声をかけた。

 あぁ、よかった。

 あの人が、助けてくれる。

 これで揉め事も終わってくれる。


「あぁん? なんだテメェ……っち、同じプレイヤーか。これはただのゲームなんだから、俺達が何しようが勝手だろ」

「たしかにゲームの仕様上は自由だけど、あまり現地AIの好感度を下げないでほしいんだよね。僕らまで街で生活しづらくなるし、率直に言って迷惑なんだ」


 なんか、専門用語ばかりでよく分からないけど、ビジターの人達同士で睨み合っている。

 でも、私は後から来た青いコートのビジターの人に勝ってほしい。

 あの人は、私たちネーディアを助けようとしてくれている、いい人そうだから。


「……チッ、あっそ。なんか白けたぜ。こんな貧乏くさい寂れた街じゃなくて、別のデカい街に行こうぜ」


 店を荒らしていた男が、分が悪いと悟ったのか、仲間を引き連れて乱暴に唾を吐き捨て、この場を去って行った。

 その場に残された、注意してくれたビジターの人は「やれやれ」と頬をポリポリと掻きながら、去って行く彼らの背を見つめている。


「……出てけよ」


 ふと、この光景を静かに見ていた通行人の一人が、あろうことか『助けてくれたビジターの人』へ向かって、暗い声で呟いた。


「そうだ……。お前らも出て行けよ!! ビジターがこの街に来るせいで、私たちの生活は滅茶苦茶だ!!」

「善人のフリをして、どうせお前も同じビジターなんだろ!! 街から出て行け!!」


 一人が叫ぶと、周りの街の人達も堰を切ったように便乗して、一人ポツンと立っているビジターの人へ、憎悪の籠もった罵声を浴びせ始めた。

 ……なんで?

 この人は、暴れていた人を注意してくれた、いい人なのに。

 みんなどうしちゃったの?

 さっきの店を荒らしていた怖い人には何も言えなかったくせに、どうして助けてくれたこの優しい人に、そんなひどいことを言えるの?


「…………」


 心優しいビジターの人は、反論することもなく、ただ悲しそうに目を伏せた。

 そしてフードを深く被り、身を縮こめて、石を投げてくる大通りを避けるように、路地裏へと一人で消えて行った。

 しかし、その後ろ姿が見えなくなっても、周りの人たちは怯えを誤魔化すように罵声を浴びせ続けていた。


 みんな、やめてよ……。

 いい人にまで、そこまでしなくてもいいじゃん……。

 でも、私はまた、何も出来なかった。何も、言えなかった。

 なんて弱いんだろう、私。

 

 私は自己嫌悪に深く沈み、両手で顔を覆った。

 ふと視線を落とすと、めちゃくちゃにされた商品の前で、店主のおじさんがへたり込んでいるのが見えた。

 おじさんは目から大粒の涙を流し、人生を否定されたような、ひどくいたたまれない姿を晒していた。


 私に、なにか出来ることはないだろうか。

 何も出来なかった、弱い私に。

 私は駆け寄り、店主のおじさんの前で膝を屈めた。


「……ごめんなさい。私、そこで見てたのに……怖くて、何も出来なかったです……」

「……あぁ、すずちゃんか。気にすること……無いよ。私が逆の立場でも……きっと、動けなかっただろうからね……」


 店主のおじさんは、涙をこぼしながらも、私に気を遣って無理やり笑顔を顔に貼り付けた。

 その歪な笑顔が、私の心を深く、深く抉った。

 

「おじさん……! もし良かったら、この絵、もらってくれませんか。私の絵、少しだけ街で人気があるみたいで、もしかしたら少し高く売れるかもしれません。壊されたお店の修繕費の足しにでも当ててください!」


 私は懐に入れていた、割と自信作だった小さな風景画のキャンバスを、店主のおじさんへ両手で差し出した。


「いいのかい……? こんな綺麗で、心のこもった絵をいただいてしまって……」

「私には……絵を描くことぐらいしか、出来る事がないですから……」

「……ありがとう。これは売らないよ。大事な宝物として、新しい店に飾らせてもらうよ」

 

 店主のおじさんは私の絵を、壊れ物を扱うように両手で大切そうに抱きしめた。

 少しは、誰かの力になれたのかな……。

 私は、自分の無力さにひどく悲しい気持ちになりながら、本来の目的の場所である『街の外の森』へと向かって歩き出すのだった。

 

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