遭遇
「そんな……ありえない。いくらバディがいたとしても、この世界に来たばかりの初期プレイヤーが、あんな凄まじい出力を出せるはずが……」
影が紫色の炎に飲み込まれ、吹き飛ばされていく姿を見ていたベルガモッさんは、完全に営業スマイルを忘れ、驚愕の面持ちでこちらを見ている。
「案内人さん! 早くここから逃げよう!」
コモが焦ったように叫んで提案すると、彼女はハッとして、俺たちと空間の裂け目を交互に見やり、早口で口を開いた。
「……ッ、異常事態と判定。直ちに貴方方を安全な隔離領域へ転送します。衝撃に備えてください!」
彼女が腕をこちらへ向けてブツブツと呪文のようなものを念じ始めた途端、背後から凄まじい引力で内臓ごと引っ張られるような感覚に襲われた。
吐き気に必死に耐えていると、不意に景色が反転し、先ほどの黒い空間から一転して、真っ白で無機質な広大な部屋の中へと切り替わった。
影の放っていた気味の悪い気配は消え、空間には彼女と俺たちだけが残された。
「……なんとか、逃げ切れたようです」
少し安堵の表情を浮かべた彼女は、乱れた息を整えながら周りを見渡した。
本当に、逃げ切れたのだろうか。
<Compel Link : ACTIVE>
唐突に。俺の脳内に、ひどく機械的で無機質な女の声が響いた。
直後、隣にいたコモの小さな身体に、かなり濃いエラーノイズが走る。
「え……?」
ビリビリと耳障りな電子音を立てながら、コモの姿がポリゴンのように乱れ、激しく歪み始めた。
「ちょ……なん、で……僕の体が……」
コモが苦痛と困惑の入り混じった表情で呟いたのを最後に、コモの体がまばゆい光の粒子へと分解された。
そしてその粒子は、俺の両手へと強制的に吸い込まれ、無理やり 『別の形』へと再構築されていく。
光が収まると、俺の両手には見慣れない得物が握られていた。
エラーノイズがひどく、テクスチャがブレて見にくいが、右手に握られているのは、刀身にびっしりと呪符のような古い包帯が巻きつけられた無骨な刀。
このままでは到底物を斬れそうにない。
そして左手には、その刀の柄から伸びた鉄の鎖で繋がれている、取り回しの良さそうな峰が櫛状の黒い短刀。
【な、ん……だ、コ、レ……!?】
頭の中に、酷いノイズ混じりでコモの戸惑う声が直接響いてくる。
まさか……コモの肉体がデータ変換されて、この武器に変わったのか?
あまりにノイズが酷く、会話もままならない。
「貴方いまどうやって……」
「いや、俺にも何がなんだか――」
――ビキィ……ビキィィィン!!
俺の言葉を遮るように。
先程、チュートリアル空間で聞いた『空間が軋んで砕ける音』が、この真っ白な安全地帯の部屋に鳴り響いた。
全身の毛穴が一気に粟立つような、暴力的な悪寒。
咄嗟に音がした背後へ振り返り、右手の無骨な刀を盾のように構える。
ガキィィイイイン!!
「ガッ……!?」
刀から腕、そして全身へと、巨大な鉄槌で殴られたような圧倒的な衝撃が突き抜ける。
俺の体はそのまま吹き飛び、真っ白な部屋の壁を爆発するようにブチ破って、その奥にあった見知らぬ空間の床を派手に転がった。
イッテェ.....。
呼吸ができない。痛みがリアル過ぎる。ダメージ判定なんてもんじゃない、本気で全身の骨が砕けたかと思った。
「ゲホッ……ハァハァ……」
瓦礫を押しのけ、痛む体を無理やり起こす。
吹き飛ばされてきた穴の向こうに、先程までは影でしかなかった存在が、はっきりとしたシルエットを伴って佇んでいた。
そこには先程までは影しか見えていなかった存在が、はっきりとしたシルエットで佇んでいた。
全身を覆うのは、黒く焼け焦げ、ところどころドロドロに溶け落ちた禍々しい重甲冑。
左手には自分の身の丈ほどもある巨大な大剣を引きずり、右手には焼けただれたバックラーを装備している。
しかし、右肩には別の持ち主のものだろうか、別の剣が深々と突き刺さったままであり、右腕は死んだように力なく垂れ下がっていた。
満身創痍のバケモノ。
だが、奴から放たれる底知れない殺気は、案内人のベルガモットには一切向いていない。兜の奥の深い暗闇から、一直線に俺だけを見下ろしている。
【だい、じょう……ぶ!? 逃げ、て!!】
コモが頭の中で必死に叫んでいる。
逃げる? 冗談じゃない。俺の足は、蛇に睨まれた蛙のように完全に竦んで動かない。こちとら一撃防いだだけで全身バラバラになりそうなんだ。
俺は、斬撃を受けて完全に麻痺した右手の刀を諦め、なんとか動く左手の短剣を震えながら構え直した。
ここで死んだら、何のためにバイトして、2年も待ってこの世界に来たか分からない。
相手の動きを見極め、大振りな攻撃を避けた所に、カウンターで首元にこの短剣を突き刺すしかない。
極度の緊張と恐怖で目が乾く。
限界に達し、無意識に、本当に一瞬だけ瞬きをしてしまった。
――目を開けた瞬間。
既に大剣を天高く振りかぶった甲冑が、俺の鼻先、わずか数十センチの距離に立っていた。
クソが! まるでコマ送りのように速い! 素人の目で追い切れる次元じゃない!
「死――」
死を覚悟し、俺が強く目を閉じた、その時。
ガギィィィィィンッ!!!!
「――あっぶねぇ~」
動けずにいた俺の目の前に、突如、黒いコートを翻した影が割り込んできた。
龍を模した禍々しい仮面の男。
その両手で軽々と振るわれた長槍の両端には、奇妙な『輪』が付いていた。その輪がギャリギャリと火花を散らして耳障りな音を立てて高速回転し、大剣の一撃を完全に受け止めていた。さらに、回転する輪からは濃密な霧が噴き出し、周囲の視界を白く奪っていく。
その背中越しに、聞き慣れたお調子者の声がした。
凪だ。龍の仮面で顔は見えないが、その少しおどけた声と、相変わらずの間の良さで分かった。
この野郎、俺だって好きで死にに来たわけじゃないぞ。
甲冑は、想定外の乱入者に弾かれた勢いで数歩後退し、ガタガタと不気味に装甲を揺らして激しく警戒している。
「グギギィ……ガキィ……」
「――【白耀一閃】」
突如。俺たちの後方の濃霧の中から、静かで、だが絶対的な力を持った声が響いた。
直後、霧を切り裂き、すべてを真っ白に塗り潰すような極太の閃光が放たれた。
圧倒的な光量のそれは、一切の回避を許さぬ速度で一直線に甲冑へと吸い込まれ、凄まじい轟音と共に、重装備の巨体を後方へと彼方まで吹き飛ばした。
「……マジかよ」
規格外の威力。
だが、甲冑はその神聖な一撃をまともに受けてもなお、ガタガタと軋む音を立ててゆっくりと起き上がった。
しかし、形勢不利を悟ったのか。甲冑は自ら空間にヒビを入れ、その虚空の中へと這いずるようにして、再び影となって消えていった。
「やぁ。危ない所だったね君」
俺が腰を抜かして警戒を解けずにいると、閃光を放った張本人が、ゆっくりと霧の中から歩み出てきた。
凪と同じ黒いコート。白に近い美しい金髪に、透き通るような青い目。やたらと整った、彫刻のような顔立ちの男だ。
凪と違い、仮面は付けていない。
危ねぇ。俺がもし女だったら、間違いなく一瞬で恋に落ちてるぞこれ。
「あ、ありがとうございます。死ぬところでした」
「どういたしまして。所で君、それ何?バディがノイズまみれだけど。というかこっちに来て直ぐに『Soul Link』を発動出来るってどういうこと?」
イケメンは少し不思議そうに顎に手をやり、俺の両手の得物をジロジロと観察しながら、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「いや俺にもさっぱり……脳内に突如Compel Linkっていう声が聞こえた途端にこうなって――」
「って、おい!」
言いかけた途端、猛烈な目眩が襲ってきた。
前へ倒れ込む寸前、凪が慌てて支えてくれる。
同時に、ノイズまみれの刀と短刀が光の粒子となり、元のコモの姿へと戻っていった。
「ひどいや!無理矢理LINKするなんて!!」
実体化したコモがプクッと頬を膨らまし、俺に詰め寄ってくる。
「だから、俺はなんもしてねえよ……勝手になったんだって……」
「……ふむ。一先ず、君は休んだ方がいい。君には聞きたい事が山ほどあるし、さっき戦った奴がもう現れないとは限らないからね」
「アーサー。アイツ一体なんだ? 俺も長くやってるが見た事ないし、多分相当ヤバいぞ。未だに攻撃を弾いた腕がビリビリ痺れてる」
凪は槍を持っていた手をヒラヒラと振りながら顔を顰めている。
「僕も分からないな。ああいうイレギュラーは、狙われてた本人達に聞くのが一番なんだけど……。とりあえず君達、うちらのギルド拠点に来なよ。入る入らないは別として、とりあえず君を守ってあげることは出来るからね」
凪に『アーサー』と呼ばれたイケメンは、考え込む様な仕草をした後、俺の足をポコポコと理不尽に殴っているコモを見ながら、優しく提案してきた。
「あ、ありがとうございます。アーサーさん……で良かったですか?」
「あぁ、ごめんね。自己紹介を忘れてた。淺乃 剣っていいます。アーサーって呼ばれてるけど、ただのギルド内のあだ名だから、好きに呼んでくれていいよ。君は?」
眩しい笑顔で自己紹介を受ける。
顔面だけじゃなく、名前もカッコよすぎるな。
「綴 零人です。そこにいる凪の友人です」
「僕はコモ! よろしくねー」
コモは背伸びをしながら、アーサーに元気よく挨拶をする。
さっきまではプンプンと怒っていたのに、切り替えが早すぎる。
「――ちょっと、お待ちください」
その時。部屋の奥でずっと硬直したままだったベルガモットさんが、ようやく口を開いた。
これまでのドタバタと空亡の登場で、すっかり彼女の存在を忘れていた。
「私はこれにて持ち場へ失礼しますが……これまでの甚大な異常事態により、貴方にはしばらくシステム側の『監視』が着くかと思われます。ご了承ください」
「貴方はネーデの巫女ですね。なぜ彼が狙われ、こんな事態になったのか、説明して貰えますか?」
アーサーはベルガモットさん――ネーデの巫女に向かって、鋭く問う。
ネーデの巫女? ベルガモットさんの役職名だろうか。
「申し訳ありません。現在調査中につき、詳細は不明です」
「……巫女の権限でも、分からないと?」
アーサーは少し目を細め、静かだが刺すような威圧感を放ちながら問う。
それに対し、ベルガモットさんはまるで機械のように、無表情のまま淡々と返事をした。
「はい。それでは失礼いたします」
巫女はそう答えると、何もない空間に扉を具現化させ、すっと姿を消した。
「……やれやれ。とりあえず凪。もう霧を止めろ。この騒動で周囲から注目されている。ルミナスへのゲートを繋げるから、さっさと戻ろうか」
「はーいよ」
アーサーはポケットから青く輝く転移結晶を取り出し、力強く握り砕いた。
空間が歪み、立派な石造りの門が現れる。
アーサーは門へと足を進め、振り向きながら、歓迎の笑顔で言った。
「ようこそ、我ら空亡の拠点へ」
俺は凪の肩から離れ、息を整えながら、未知なる門の中へと足を踏み入れた。




