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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第0章 始まり

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契約

 なんとか学校を脱出し、家まで小走りで帰った。早く潜りたい。早く契約したい。早く――。

 古びたアパートの階段を駆け上がり、乱暴に鍵を回す。


「ただいまーっと」


 当然、返事はない。

 返ってきたら、それはそれで大事件だ。

 靴を脱ぎ捨て、部屋の奥へ。昨夜から準備して、綺麗に拭き上げておいたダイブギアを手に取る。


「……お前のせいで昨日眠れなくて、授業中寝ちまったんだぞ」


 そう愚痴をこぼしながら、ギアを頭部に装着する。

 電源の起動。網膜スキャン。規約の確認。


 そういえば、『Soul Linker』にはもう一つ、かなり特殊な仕様がある。

 『容姿が現実世界そのままになる』ことだ。

 よくあるゲームのような、美男美女に化けられるキャラメイク機能は存在しない。プレイヤーネームの設定もない。

 すべて、現実の生体情報をそのまま仮想空間へ持ち込む方式なのだ。

そもそもこのゲームには『メニュー画面』すら存在しないらしいので、名前を設定する必要もないのだろう。


 しばらくすると、視界に表示されたロゴが、一瞬だけ鋭く光った。


 ――Soul(ソウル) Linker(リンカー)――


「よし。行くぞ」


 ベッドへ仰向けに寝転がり、ダイブ開始のスイッチを押す。

 意識が、すうっと深い海の底へ沈むように遠ざかっていった。


――――――――――――――――――――――――――


 目が覚めるような、あるいは生まれ落ちるような感覚。

 パッと視界が開く。

 巨大な真っ黒い空間の中に、俺は一人で立っていた。

 手を動かし、足を動かす。

 現実と全く同じ。重力も、皮膚の感覚も、寸分の狂いもない。


「……すげぇ」


 あまりのリアルさに感動した次の瞬間、景色が切り替わった。

 海のど真ん中――いや、空中に浮いているのか。

 足元は透明なガラスのようで、その下には吸い込まれそうなほど深い青が広がっている。

 その海中から、巨大な光の文字が湧き上がってきた。


 ―― A.I.W.E ――


 このゲームの運営に関わっている巨大企業。

 最近、AI関連のニュースで嫌というほど目にする名前だ。

 再び景色が切り替わり、今度は黒い地面だけが果てしなく続く空間になった。

 そこに、少々大げさで派手すぎる文字が浮かび上がる。


 ―― ようこそ、新たなる世界ネーデへ ――


「……センスどうなってんだよ」


 虹色に光る文字の奥から、一人の美しい女性が歩いてきた。

 整った顔立ち。まるで淡い光を纏っているかのようだ。


 ――その時。

 突然、目の前の空間に『ジリッ』と赤いノイズが走った。

直後、脳の奥底が焼けるように痛む。


「っ……!?」


 視界が明滅し、景色が切り替わる。なぜか『ひどく懐かしさを感じる場所』が、ボヤけて見えた気がした。

 それに、途切れ途切れだが、どこか遠いところから声が聞こえてくる。


(な……るの………わた……よ)


「――大丈夫ですか?」


 ハッとして顔を上げる。気付かぬうちに膝を突いて蹲っていた俺を、案内人の女性が心配そうに覗き込んでいた。

 花のような甘い香りが、フッと鼻をかすめる。


「え? あ、はい……大丈夫です」


 声を掛けられた途端、視界のノイズは消え、脳を焼くような痛みも綺麗に消え去った。

 何が何だか分からないが、いきなりバグか? ログアウトしたら、念のためダイブギアを見直した方が良さそうだ。

 彼女は俺の無事を確認すると安心したように微笑み、恭しく頭を下げた。


「こちらの世界の案内を担当します。ベルガモットと申します」

「よ、よろしくお願いします」


 んー。

 このベルガモットさん、この空間の役割からして恐らくAIだとは思うんだけど……すごいな。

 目の前で話していて、機械的な違和感がまるで無い。本当に、生きた人間と話しているみたいだ。


「まず、こちらの世界『ネーデ』の基本ルールについて説明させていただきます。この世界ネーデは、『もし現実に魔法が存在したら』をモチーフとして作られました。プレイヤーの皆様は、この世界で自由に生活し、冒険することが出来ます。しかし、一つだけ注意してください」


 ベルガモットさんの瞳が、ほんの少しだけ真剣な色を帯びた。


「一度『命』を失うと、もう二度とこちらの世界へ戻ることは出来ません。『命を大事に』ですね」


 言いながら、ベルガモットさんは腕を上げ、空中にホログラムのディスプレイを表示させる。

 そこには、プレイヤーらしき人間が巨大なドラゴンに生きたまま食い殺される映像が、無修正で映し出されていた。


 おぇっ。

 ……なかなかにグロいし、リアルすぎるだろ。


「了解です。死んだら終わりってことですね」

「はい。そして、皆様プレイヤーはネーデで『魔法』を使えるようになります。しかし、自由に力を扱うには、あなたの手足となる『バディ』との契約が必要です」


 待ってました!

 俺はそれが一番楽しみだったんだ。

 でも、一つ根本的な疑問がある。剣と魔法のファンタジー世界だというのに、一体どうやって魔法を使うんだろう。

 ステータス画面も無いってのに。


「あの、どうやって魔法を使うんですか?」

「そうですね。感覚的に言うと――白紙の紙に、出したい魔法の属性、範囲、出力、座標の『指定コード』をイメージで書き込んで、この世界を構築するシステムに直接割り込ませる……といったイメージでしょうか。それを裏で高速で補助してくれるのが、バディの役割です。あ、もちろんバディなしでも魔法は使えますよ。今言った複雑な演算を、すべて自分の脳内で処理出来れば、ですが」


 うん。無理!

 何言ってるかさっぱりわかんねぇ!

 要するに、『プログラムのコードを頭の中で書いて、世界のシステムにコピペする』みたいな感覚なのだろうか。


「バディなしで自力で魔法を使うメリットって、何かあるんですか?」

「えぇ。この世界では『余白』と呼ばれていますが……あなたに分かりやすく言うと、MP(マジックポイント)の消費量が下がります。白紙の紙にも容量の上限がありますよね? 書き込む情報量が多いほど紙を多く使うのと同じで、強力な術式にはそれなりの『余白』を消費します。バディに演算を依頼するという行為は、それ自体が情報量を増やすため、おのずと消費量も増える。これが結構、馬鹿にならないのです。それと、プレイヤー自身の脳の処理能力も影響します。すべてがバディ任せ、というわけではありません」


 難しいな。

 かなり作り込まれたシステムだが、一般的なゲームの『ボタン一つで魔法が出る』仕様とは根本から違う。魔法を使うこと自体が、一種のハッキングのようなものらしい。

 もっと事前に、ネットで詳しく調べておくべきだったな。


「ありがとうございます。仕組みはよく分かりました」

「それでは早速、あなたの命綱となるバディとの契約に移りましょうか」

「お願いします!」

「では、場所を切り替えましょう」


 彼女はそう告げると、目を閉じてパチンと指を鳴らした。


 すると突然、周りを埋め尽くしていた黒い空間が、水面に石を投げ入れたように一度沈み――次の瞬間、発光する円形の床が現れた。床には幾何学的な紋様が薄く光っている。

 中心に立つよう促され、その通りにすると、目の前に半透明のホログラムウィンドウが現れた。


 <Buddy(バディ) Link(リンク) Contract(契約) / Install(インストール)>


「これが……契約画面」

「はい。承認してください。『承認する』と念じれば、あなたの深層心理に適したバディが自動で選定されます」


 彼女の目の前にも同様の管理ウィンドウが浮かんでおり、指でトントンと叩いて、早く進めるよう促してくる。

 俺は息を吸い込み、「承認」と念じた。

 次の瞬間、ウィンドウの表示が勝手にパパパッと増えていく。


 <Buddy(バディ) Link(リンク) : ACTIVE(アクティブ)>

 <Resonance(共振) : CALIBRAT(調整中)ING>


「お、順調――」


 と思ったのも束の間。異常を示す『赤い警告』が、画面を塗りつぶすように上書きされた。


 <FLAG(フラグ) : ORIGIN(起源)-CANDIDATE(候補者)>


「……は?」


 続けざまに、気味の悪い表示が滝のように流れる。


 <RECOVERY U(回収部隊)NIT : DISPATCH(派遣)ED>

 <TARGET(目標) PRIORITY(優先度) : Unknown(不明)>


 明らかに、正常なプロセスじゃない。

そして、その文字列が表示された瞬間――空間の空気が、凍りついた。

 明確な殺意。

システムから『見られた』と分かる、圧倒的で暴力的な悪寒。

 ベルガモットさんが、ほんの一瞬だけ目を細めた。先程までの営業用の優しい笑顔が完全に消え、声のトーンが機械的に低くなる。


「これは一体……。プレイヤー、貴方、裏で何をしているのですか」

「いやいやいや! 何ですかこれ! 『回収部隊』って!」

「詳細は――不明」


 彼女が言い切るより早く、ウィンドウの最下段に短いログが流れた。


 <RECOVERY U(回収部隊)NIT : ARRIVAL(到着まで) ETA 00:00:12>


 遠くの暗闇が、かすかに白く滲んだ。

 何かが、この安全なはずのチュートリアル空間の『外側』に立っている。

 その影が、一歩、近づいた。

 ギギギ、と世界のシステムそのものが軋むような、おぞましいノイズが響く。影が近づくたび、その周辺だけ空間がバグったようにモザイク状に歪んでいた。

 直感が、俺の魂の奥底で警報を鳴らしている。

 ――あれに触れられたら、ゲームオーバーどころじゃ済まない。俺自身の『何か』が消される。


 <ETA 00:00:07>


「……クソ、一体なんなんだよ!」


 その瞬間。

 俺の目の前に、先程の赤い警告を強引に上書きするように、別のウィンドウが激しく割り込んできた。


 <UNAUTHORIZ(許可されていない)ED INTERRU(中断)PTION>

 <SOURCE(ソース) : UNKNOWN(不明)>


「――え」


 足元の紋様の中心が、ふっと白く光る。

 光が脈打ち、空間が不自然に歪む。

 次の瞬間、そこから"影"が飛び出した。

 獣の耳。ふさふさの尻尾。身長は俺の腰ほどしかない。

 人型だが、狐の要素が色濃い少年(少女?)だ。目が妙に澄んでいて、口元は笑っているのに、瞳には冷たい光が宿っている。


「……来るの、早いね」


 陶器のように無機質で綺麗な声。若いが、男とも女とも断言できない。

 案内人のベルガモットさんが、慌てて俺を庇うように前へ出る。


「契約手続きへの不正干渉……!? プレイヤー、直ちに退避してください!」


 狐は、彼女の警告を意に介さず肩をすくめた。


「退避? 僕はただ、契約しに来ただけだよ」


 そして、狐が俺を見る。

 視線が刺さる。

 鋭い目だ。なのに、どこか温かい。

 なぜか俺の本能が、「こいつなら大丈夫だ」と絶対的な安心感を告げていた。


「君。早く僕を承認して貰えないかな?」


 狐が、俺に向かって小さな手を差し出す。

 悩んでいる猶予はない。

 この意味不明で絶望的な状況を打破するには、この怪しい狐の力を信じるしかない。


「……分かった」


 俺の返事に、狐は小さく、満足げに笑った。


「賢いね。じゃあ、覚えといて。僕の名前」


 彼(彼女?)は、軽く指先で自分自身を指差す。


「コモ」


 その瞬間、俺のウィンドウのログが激しく書き換わった。


 <Buddy(バディ) Link(リンク) : ACTIVE(アクティブ)>

 <LINK(リンク) STATUS(ステータス) : Buddy(バディ) Link(リンク)>

 <NOTE(ノート) : ORIGIN(起源) SOULLINK(ソウルリンク) / LOCKED(ロック)>


「うん! これで僕たちの契約は完了だね。君には言いたい事が山ほどあるけど、まずはこの最悪な状況を何とかしなきゃね」


 コモは、先程の冷たさとは打って変わって、子供らしい陽気な声で笑う。

 その時。外周に迫っていた影が、システムの境界を物理的に破壊して、ついに俺たちの空間へと侵入してきた。


 <RECOVERY U(回収部隊)NIT : ARRIVED(到着)>


 暗闇の中で、空間そのものが"砕ける"嫌な音がした。

 コモが、その小さな手で俺の手首を強く掴む。


「考えてる時間、もうないよ。腕を前にかざして、こう唱えて!」


 言われるがまま、腕を前にかざす。

 すると俺の脳内に直接、ひとつの『単語』が強制的に流れ込んできた。

俺は息を吸い込み、迫り来る圧倒的な死の気配へ向かって、その言葉を世界に叩きつけるように叫んだ。


「「紫焔(しえん)!!」」


 コモと俺の声が、重なる。

 その瞬間――MPやスタミナといったゲーム内の数値が減るのではなく、俺の"魂"そのものをゴリッと削り取られたような、強烈で生々しい喪失感が全身を駆け抜けた。


 ――直後。

 俺の腕から、すべてを焼き尽くす圧倒的な質量の『紫色の炎』が、暴風となって解き放たれた。

 いや――あれは、炎なんかじゃない。

 炎が触れた空間そのものが『エラー』を起こしたように削り取られ、消滅していく。


「ガアァァァァァッ!?」


 凄まじい轟音。

 先ほどまで絶対的な恐怖を放っていた黒い影は、空間ごと削り取る紫の炎の衝撃に耐えきれず、自ら抉じ開けた空間の裂け目の中へと、無惨に吹き飛ばされていった。


 空間を喰らい、燃え盛る紫の残滓を見つめながら――コモが、薄く笑う。


「――行くよ」

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