プロローグ
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俺は隣に座る彼(彼女)と、誰かから身を隠すように、暗く狭い押し入れのような場所で息を潜めていた。
ガタガタと、自分の歯が鳴る音がやけに大きく聞こえる。
外からは、何かが砕け散る凄まじい音と、誰かの悲鳴が響き渡っていた。
「れいと……――ジジジ――いって……私のことは――ジジジ――」
目の前で激しいノイズが弾け、声がうまく聞き取れない。
隣にいる彼(彼女)が、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
その瞳は、極彩色に光り輝いていて。
なのに、その目を見た俺の心を満たしたのは「綺麗」なんて感想じゃなく――張り裂けそうなほどの恐怖と絶望、そして底なしの悲しみだった。
ふと、目から頬へ、生温かく濡れた感覚が伝う。
俺は……泣いていた。
――瞬間。
脳の奥で、配線がショートしたような鋭い痛みが走り、視界が白く焼き切れる――。
――キーンコーンカーンコーン――
「っは……!」
放課後を告げるチャイムの音で、俺はガバッと顔を上げた。
……どうやら、数学の授業中に完全に寝落ちしていたらしい。
また、あの夢か。
頬に手を触れると、泣いていた証拠である微かな水滴が、しっかりと指先に残っていた。
子供の頃の記憶の大部分を失ってから、俺はよくこの夢を見る。
そして大抵、無意識のうちに涙を流している。
だけど、これが本当に俺自身の過去の記憶なのかどうかは分からない。
正直なところ、俺ではない『誰かの記憶』を無理やり覗かされているような――そんな不気味な感覚なのだ。
「おーい! 零人!……なんだ? お前また泣いてんのか?」
授業が終わるなり、こっちへ歩いてきた茶髪のチャラ男は『柏木 凪』。
整った顔から活発さを垂れ流し、常に周囲の女子の視線を集めているこいつは、俺の腐れ縁の幼なじみだ。
記憶を失う原因となった『両親の死』をきっかけに、途方に暮れていた俺を引き取ってくれたのが、凪の両親だった。
どうやらそれ以前から俺たちは仲が良かったらしいが、当の俺は、まったく覚えていない。
「うっせぇな。あくびが出ただけだよ。なんか用か?」
「用って程でもないけど……ついに買ったんだろ? ダイブギア」
そう。
俺はバイトで必死に金を貯めて、今日ようやく専用のVR機器――ダイブギアを手に入れた。
今、世界中で熱狂的に流行している、とあるゲームをプレイするためだ。
「まぁな。長かったぜ……。でも、これでやっと一緒に遊べるな」
「俺の家に住み続けてたら、ダイブギアくらいの金、親父がすぐ出してくれただろ。なんで出てったんだよ。うちの飯がマズかったか?」
俺は高校に入ってすぐ、世話になっていた凪の家を出て、ぼろアパートで一人暮らしを始めた。
これ以上迷惑をかけたくなかったというのもあるが、一番の決め手は、凪達と昔遊んだ公園の近くにあるぼろアパートの大家さんから、「一人暮らしを始めるなら家賃安くしとくぞ」と持ちかけられたことだ。
「別に凪の家が嫌だったわけじゃねぇよ。……ただ、これ以上お前の家族に迷惑かけてるのが、申し訳なくってな」
「気にしすぎだっつーの。なぁ? ガル」
凪が、制服の胸ポケットにしまったスマホへ話しかける。
すると服の中から、少し籠もったしわがれ声が返ってきた。
【ワシには、人間の『遠慮』などという非効率な感情は分からんわい。お主らは、もはや家族のようなものじゃろうが】
こいつは凪のバディAI『ガルグイユ』。
二年前にAIWE社から発売された、俺がずっとやりたかったフルダイブ型VRMMO――『Soul Linker』を始める際に、プレイヤーが必ず契約する専用AIだ。
このバディAIというシステムが、また滅茶苦茶に優秀ときている。
現実世界のあらゆる電子製品にアクセスし、生活を丸ごとサポートしてくれるのだ。
そのため『自分だけの超優秀なAI』欲しさに、世界中の人々がこぞって『Soul Linker』を買い求めた。
ただし、このゲームには一つ、大きすぎるリスクがある。
『Soul Linker』の仮想世界において、プレイヤーの命は有限。
一度死ねば二度とログインできず、せっかく手に入れたバディAIも消滅――ロストしてしまうのだ。
賛否が真っ二つに割れる仕様だったが、それでも人々はAI欲しさに購入をやめなかった。
そしていつしか、賢いプレイヤー達はこう考えるようになった。
――ゲームの中で死ぬとAIが消えるなら、最初からログインしなければいい。
AIという「命」を貰っておきながら、仮想世界での冒険は放棄し、現実で自分をサポートさせる『便利な道具』としてだけ酷使する。
今やそれが、世間一般の正しい遊び方とまで言われている。
しかし――そんなAIロストの危険も、世間の冷めた遊び方も理解した上で、それでも『Soul Linker』の世界を満喫しようとする馬鹿なプレイヤーは後を絶たない。
理由は単純。あの世界が、異常なまでにリアルすぎるからだ。
世界を構築する自然も、そこに住むNPC達も、すべてAIが自律思考し、人間と同じように感情を持って生きているらしい。
本物と見紛うそのリアルさに、「第二の人生」と呼んでどっぷり浸かる人間まで現れる始末だ。
「いいよなぁ、バディAI。俺のAIはどんなキャラになるのかな」
「さあな。噂じゃ、登録者の深層心理に合わせたAIが生成されるって話だけどな。……口うるさいガルを見てると、本当に俺の心理を反映してんのかよって思うけど」
【なんじゃ? ワシの完璧なサポートに文句でもあるのか? この世話の焼ける鼻タレ小僧め】
胸元でワーワー騒ぐガルに、凪がヤレヤレと肩をすくめる。
……ふむ。たしかに、それぞれに合わせたAIが作られているんだろう。
凪とガルの息の合った漫才みたいなやり取りを見ていると、そう思えてくる。
「にしてもさ。最近SNSで変な噂が話題になってるけど、あれって本当なのか?」
「あぁ、あれか。ある条件を満たすと『AIの制限』が外れるって噂だろ? ……まぁ、このゲームの隠し要素の多さを考えると、可能性は『ゼロ』じゃないな」
そう。『Soul Linker』には、都市伝説めいた噂が大量に囁かれている。
その一つが、「仮想世界の中で特定のデータをすべて集めると、現実世界にいるバディAIの権限制限が解除される」というものだ。
なんだ、ゲームの制限が解除されるだけかよ――と思うかもしれない。
だが考えてみてほしい。現実のあらゆる電子製品にハッキングできるAIが、もし『倫理ロック』を失ったら。
文字通り、世界を裏から支配できてしまう。
開発元のAIWE社も、さすがにそんな危険なプログラムを仕込むはずがないし、ただのネットのデマだとは思うけど。
――その時。
「おい……綴 零人」
背後から、地を這うような低い声がした。
終わった。
振り返らなくても分かる。数学教師の鶴舞先生だ。
生徒たちから陰で呼ばれているあだ名は『ハゲダコ』。一度怒ると説教が異常に長いことで有名な先生である。
十中八九、さっきまで堂々と授業中に寝ていた件だろう。
俺は助けを求めて凪へチラリと視線を送る。が、あいつ……明後日の方向を向いて、下手くそな口笛を吹いてやがる。見捨てられた。
「お前、私の授業で毎回寝やがって……。私の話は、そんなに退屈か?」
「あっ……いや、別にそういうわけじゃ……」
俺は数学だけは滅茶苦茶得意だから、正直、内容自体は退屈ではある。
……他は壊滅的だけどな。
「ほう? ならば、放課後の職員室でミッチリ特別授業でもしてやろうか……」
これはまずい。
早く帰って、届いたばかりのダイブギアで『Soul Linker』をプレイしたいのに。説教コースに入ったら、今日中にログインできるかも怪しくなる。
ここは……勢いに任せて、仮病で逃げ切るしかない!
「すんません、急な体調不良なので早退します!!」
俺は叫び、机の横に引っ掛けてあった鞄をひっつかんで、教室の扉目掛けて駆け出した。
その背中に、聞き慣れた声が続く。
「俺も、ばぁちゃんが多分なんかヤバいと思うので帰りまぁす!!」
馬鹿が付いてきた。
『多分なんかヤバい』って何だ。
曖昧すぎるし、いくらなんでも不謹慎すぎるだろ。咄嗟の嘘でも、もっとマシな言い訳があるはずだ。
鶴舞先生は一瞬、呆気にとられた顔で俺たちを見送っていたが――すぐに般若の形相になって怒鳴り声を上げた。
「馬鹿ども!! 体調不良の人間がそんな俊敏に動けるかァ!! あと柏木! 嘘をつくならもっとマシな嘘をつけェェ!!」
鶴舞先生が、茹でダコみたいに顔を真っ赤にして追いかけてくる。
俺たちは授業終わりで混雑した廊下を、人混みを掻き分けながら全力で走った。
さすがにこの人混みじゃ追いつけないだろう――そう思って後ろを振り向くと、鶴舞先生は、いた。
速い。先生、めちゃくちゃ速い。本当に年齢詐称してない?
というか、生徒の避け方がキモい。軟体動物みたいにクネクネとすり抜けてくる。
廊下を曲がって階段へ――というところで、凪が走りながらスマホを開いて叫んだ。
「ガル! 何とかならないか!?」
【無茶を言うでない!! なんだあの恐ろしい生物は! 魑魅魍魎の類ではないのか!?】
「恐ろしいってお前、AIだろ……!」
俺が息を切らしながらツッコんでいると、凪がニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
……嫌な予感がする。
「零人。二手に分かれようぜ」
「いいけど、どうやって!?」
「俺が引きつける。お前は先に帰って、登録してこい」
やけに格好つけたサムズアップ。
自らを犠牲にする歴戦の勇者みたいな顔をしている。
……ここは、勇者・凪の覚悟を無駄にしないためにも、潔く託して逃げることにしよう。
「……グッドラック、凪」
「グッドラック、戦友……」
妙にノリが良くて腹立つ。
凪は振り返りざま、両手を広げて鶴舞先生の前に立ちはだかり、叫んだ。
「そういえばァ! 鶴舞先生、この前ェ、駅前で若いねぇちゃんとォ――」
「やめんかァァァァァァッ!!!」
鶴舞先生の顔色が赤から青へ変わり、完全に俺を無視して凪の方へ方向転換した。
……南無、凪。
明日、ジュースでも奢ってやろう。
俺は一人、階段を駆け下りた。
早く帰って、Soul Linkerの世界に潜る。
たったそれだけのはずなのに――なぜか、胸の奥が妙にざわついていた。
なんだろう。
――誰かに、"見られている"気がした。




