チャット
――えー、ここはここであるからしてー。
時は数学の授業中。
俺は必死に、鶴舞先生の単調な念仏のような声を聞き流さないよう耐えていた。
……あーだめだ。まぶたが勝手に重力に負けて……
っは! 危ない危ない。意識が飛びかけていた。
「おい、綴。寝るんじゃないぞ」
ウトウトと舟を漕いでいたのを、きっちり鶴舞先生にバレていたようだ。
数学の授業は毎回、どうしても眠くなってしまう。俺にとって数学の数式はあまりにも簡単すぎて、脳が暇を持て余してしまうのだ。数学『以外』はからっきし苦手なんだけどな。
俺の前の席に座る凪が、振り返って肩を震わせながら笑ってやがる。
くそ、消しカスでも丸めて頭に投げてやろうか。
――キーンコーンカーンコーン――
「じゃあ、今日はここまでだ。次の範囲も予習しておくように」
鶴舞先生がチョークを置き、教科書をまとめて教室を後にする。
ふぅ。ようやく地獄の時間が終わった。
最近、ソウルリンカーのやり過ぎか、授業中の睡魔が尋常じゃない。
「よっ! またハゲダコに目ぇつけられてたな」
凪がニヤニヤしながら、俺の机に身を乗り出してきた。
おいおい。鶴舞先生にそのあだ名を聞かれたら、お前もただじゃすまないぞ。
「ちょっと最近、ソウルリンカーに潜りっぱなしで眠くてな」
「ずっとだもんな。かといって、今の状況だとログインしないわけにもいかねぇしな」
「そうなんだよ。すずの事も気になるし……」
「おっ! やっぱりお前……」
「だからちげぇって。なんかすずの奴、深い訳ありみたいでさ。何があったか聞いても答えてくれないんだよ。一応、今度絵を描いてるところを見せてもらう時に、事情を話してくれるみたいだけど……」
「たしかになぁ。すずちゃんの俺たちを見る目って、他のAI達と少し違うんだよな。なんていうか、『恐怖してる』って感じの……」
凪も、俺と同じ違和感を抱いていたようだ。
「そういえば零人、緋音さんからSNSのグループに誘われてるぞ」
なんだって。俺のスマホにはそんな通知、一ミリも来てないんだが。
「あ~、そういえば喫茶店の時、お前だけ連絡先交換せずに帰ったっけな。ほいよ。今、招待送ったぜ」
俺はスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。
すると、『空亡チャット』というありきたりな名前のグループへの招待が届いていた。
俺は画面をタップし、グループに参加ボタンを押す。
『れいと が参加しました』
『アカネ:おっ、零人が参加したな。よくやったぞ凪』
参加した数秒後、すぐさま緋音さんと思われる人物からメッセージが飛んできた。
参加メンバーの一覧を見ると、基本的に知っているギルドの面々しかいないようだ。
『なぎざっぷ:また喫茶店で奢ってもらいますからね!』
『れいと:え~、よろしくお願いします』
『アカネ:堅苦しい挨拶はいい。それより任務はどうだ? 順調か?』
緋音さんからの直球の質問に、俺はどう返信しようか迷ってフリック入力の指を止めた。
順調といえば順調だが、トラブル続きと言えなくもない。
すると、俺が文章を考えるより先に、紗奈さんが爆弾を投下した。
『紗奈ぴょん:れいくんがルーレットで2,000万リン荒稼ぎして、ブラックリスト入りして出禁になったの!』
『れいと:ちょっと紗奈さん!? それは今言わなくても!!』
横を見ると、凪がスマホを打ちながら腹を抱えて笑い転げていた。
そして、画面の向こうの緋音さんから、絶対零度のメッセージが返ってくる。
『アカネ:……は? 2,000万? 零人、お前ふざけるなよ。ルミナスの修繕費として全額寄付しろ』
『れいと:勘弁してください!!』
『なぎざっぷ:だけど緋音さん。零人が怪しいプレイヤーと接触したらしいです』
『アカネ:なに?どんなやつだった?』
『れいと:肩に骸骨を乗せた白髪で、顔に傷がある男と、青髪で幼い少年と、ナイスバディの女性でした。あとAIのおっちゃんも仲間みたいな感じでした』
俺がメッセージを送ると、『既読』の文字はすぐについたものの、そこからパタリと返事が来なくなった。
なにか思い出しているのだろうか。それとも、よほどヤバい連中だったのか……?
「……もうそろそろ、荷物まとめて帰るか。その間に緋音さんから返信来るだろ」
凪が沈黙を破り、荷物を鞄へ放り込んで肩にかけた。
たしかに、もう授業は終わって後は帰るだけだしな。
「それもそうだな。緋音さんから返信来なくなったけど、どうしたんだろうな」
「なんか裏で情報集めてるんじゃないか? それか、事態を重く見て直接ネーデへ潜って確認しに行ったのかもな」
確かに、その可能性もあるな。
もしあの連中が、団長さえも動くレベルの危険人物だとしたら。
俺の脳裏に、怯えたようなすずの顔がよぎった。
「急いで帰るか」
一刻も早くネーデに戻らなければならない。
俺は鞄を片手に、少し早足で下駄箱へ向かったのであった。




