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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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三毛猫の吐息

「零人君~~!!」


 夕暮れのカジノ通りを歩いていると、前方の雑踏の中から、アーサーたちが小走りにこちらへ向かってくるのが見えた。


「おい、零人! お前、ルーレットでとんでもねぇ荒稼ぎしてブラックリスト入りしたって本当か!? 一体いくら毟り取ったんだよ!」

「ほら、正直に紗奈お姉さんに白状してみなさい? 没収はしないからさ」

「……2,000万リンくらい」


 俺が淡々と告げた瞬間。

 二人の目玉が比喩でなく飛び出し、口は顎が外れそうなほど大きく開いていた。

 しばらくそのまま石像のように固まったかと思うと、凪がガタガタと震えながら俺の肩を掴んできた。

 

「……おい。2,000万ってお前……。一番隊の全経費、お前のポケットマネーでなんとかなるんじゃねぇか……?」

「ちょっと凪、賭神様(かけがみさま)に失礼でしょ! 零人様、お肩でもお揉みしましょうか?」

「……気持ち悪いからやめてくれ。本当に姉弟だな、表情がそっくりだ」


 すると、チョチョイと俺の袖が引っ張られた。

 俺の後ろに隠れるようにしていたすずが、不安げに囁く。

 

「零人の……お仲間さん、だよね? 昼間にぶつかった時の人もいるし……」

「あぁ、そうだよ。紹介するよ。この彫刻のような無駄に顔がいい男がアーサー。それで、この驚愕して人格が変わってるのが、柏木姉弟。紗奈さんと凪だ」


 俺の紹介を聞き、すずは「お騒がせしてすみません」とペコリとお辞儀をして自己紹介を始めた。

 紹介を受けた三人は、彼女から漂う金木犀の香りと、そのどこか儚げな雰囲気に、戸惑いながらも温かく挨拶を返してくれた。


「零人君。……それで、このすずさんとはどこで出会ったんだい?」

「話せば長くなるんだ。実は――」


 俺はカジノを追い出されてから、おっちゃんに誘われて謎の宿屋へ連れ込まれたこと、そこで出会った不気味なプレイヤー集団の話を、アーサーたちに聞かせた。

 話が『白髪の、顔に傷がある男』に差し掛かった瞬間。

 アーサーの柔和な顔からスッと笑みが消え、その瞳に鋭い剣呑な光が宿った。


「……その男、肩に『白骨化した人形』を乗せていなかったかい?」

「あぁ、乗せてたよ。……やっぱり、こいつらが緋音さんの言っていた?」

「十中八九、そうだろう。彼らがこの街に現れたということは、事態は我々の想定以上に切迫している」


 アーサーは顎に手を当て、深く考え込む。周囲の空気が一瞬で、戦場のような張り詰めたものに変わった。


「すずさん。……勝手なお願いで申し訳ないが、この一件が片付くまで、僕たちと行動を共にしてくれないかな。君が零人君を匿った時点で、彼らも君の存在をマークしている可能性が高い」

「えっ……いいんですか? 私、一人はすごく心細かったから……皆さんと一緒にいさせてもらえるなら、本当に助かります!」

「気にすることないわよ~。元はといえば、知らないおじさんにホイホイついて行っちゃう、この警戒心ゼロの賭神様が悪いんだしね!」


 グハッ……。紗奈さんの言葉が胸に深く突き刺さる。

 

「零人く~ん! 知らないおじさんに付いて行ったらだめなんでちゅよぉ~?」

 

 ……凪、てめぇ。ニヤニヤしながら赤ん坊をあやすような口調で煽ってきやがって。

 だが、事実は事実だ。俺の迂闊な行動が原因である以上、言い返せないのが辛い。

 

「――ガハッ!?」

 

 俺は無言で、凪の鳩尾に正確無比なボディブローをめり込ませた。

 

「……自業自得だ。この野郎」

「フフッ……あはは! 本当に、みんな仲がいいんだね」

 

 すずが、声を弾ませて笑った。

 さっきまでは俺が過去に踏み込みすぎたせいで、今にも泣き出しそうな表情をしていたが、少しだけ元の明るいすずに戻ったようだ。

 ……よかった。


「立ち話もなんだし、例のプレイヤーに注意しつつ、今夜の宿を探そう。安全のため、大通りに面した視界の開けた宿がいい」

「あっ! それなら、いい宿知ってるよ! 私の知り合いの宿なんだけど、ご飯も美味しいし、すごくしっかりした場所だよ!」

「おっ、それは助かる! アーサー、そこに行こうぜ! 地元の人が言うなら間違いないだろ」

「そうだね。すずさん、案内をお願いできるかな?」

「まっかせてよ! こっち、こっち!」


 すずは俺たちが歩いてきた方向を指差し、何度も振り返りながら大きく手を振って先導する。

 凪がその背中を見ながら、俺の耳元でコソッと囁いた。

 

「……なぁ零人。結構かわいい子じゃねぇか。やるなぁお前」

「うるせぇよ。別にそういうんじゃないから」

「照れんなって! 素直で良い子そうだしさ。……でも、なんであんな子が盗みなんてしてたんだ?」

「……なんか、いろいろあるみたいだ。一応聞いてはみたけど、話してくれなかった」


 凪も「ふーん」と呟き、前を行くすずの背中を、少しだけ案じるような目で見つめた。

 やはり彼も、彼女の持つ『違和感』に気づいたのだろう。

 

 歩くこと数分。

 大通りに面していながらも、どこか穏やかな空気を纏った、趣のある大きな宿へとたどり着いた。

 

「ここだよ! 『三毛猫の吐息』! ここなら絶対に安心だよ!」


 すずが重厚な木の扉を開けると、そこには清潔感の漂う広々としたエントランスが広がっていた。受付には穏やかな表情の女性が座り、俺たちの姿を見て優しく微笑む。

 壁のあちこちには、額縁に入った風景画が何点も飾られていた。


「あら。すず、いらっしゃい。今日は泊まりかい?」

「おばさん。今日は、お友達を連れてきたの。五人分、部屋は空いてる?」

「えぇ、大丈夫よ。個室を人数分用意しましょうか」

「うん! ……あ」


 その瞬間、すずがギギギと壊れた人形のように首を回し、俺たちを振り返った。

 

「……ごめん。私……お金、持ってなかった……」

 

 絶望に打ちひしがれ、死んだ魚のような目になっている。

 

「ハハハ。いいんだよ。ここは僕が出そう」

 

 アーサーが流れるような動作で全員分の宿泊代を支払った。

 ……おい。イケメンな上に、懐の広さまで完璧かよ。

 

 俺は手続きの間、何気なく壁に飾られた一枚の絵に目を留めた。

 ……絶句した。

 森の深部を流れる滝を描いたその絵は、ただの『風景画』ではなかった。

 飛沫の冷たさ、木漏れ日の暖かさ、そして森の湿った土の匂いまでが、キャンバスの中から溢れ出してくるような……。

 まるでそこだけ現実を切り抜いて貼り付けたような、異様なまでの生命力が宿っていた。


「その絵、気に入ったのかい? ……それはね、そこにいるすずが描いた絵なんだよ」

「えっ……」

「すごく上手だろう? 私はいつも彼女に『売れば高値がつくよ』って言っているのに、本人は全然自分を認めようとはしないんだよ。勿体ない話さね」


 おばさんの言葉に、俺は再び絵を見つめ直した。

 これが……すずの絵。

 絵の知識なんて全くない俺にさえ、突き刺さるように伝わってくる。描き手が、どれほどこの世界の美しさを愛し、一筆一筆に魂を削って向き合ってきたのかが。

 横を見ると、アーサーもまた、吸い込まれるようにその絵を凝視していた。


「……あはは。そんなに、ジロジロ見られると恥ずかしいな……。私の絵、どう……かな?」

「……すごく、良い。なんでこれほどの才能がありながら、自分を誇れないのか、不思議で仕方がないよ」


 お世辞じゃない。この絵には、見る者の心を揺さぶる『本物』が宿っている。

 アーサーも深く頷きながら、絞り出すように言った。

 

「……驚いたな。趣味の域を完全に超えている。描き手の情熱というか、世界に対する深い敬意が伝わってくるようだ」

「私、絵のことはよく分からないけど……。でも、この絵を見てると、なんだか不思議と落ち着くよ。ね、シー。あんたも珍しく見入ってるじゃない」

「アタイの美貌に見合った、格調高い絵だわ……。これ、アタイの寝床に飾りたい」

 

 あの毒舌なシーまでもが、感心したように尻尾を揺らしている。


「うぅ……っ。もう、そんなに見ないでよ! 恥ずかしくて死んじゃう! ほら、みんな自分の部屋に行くよ!!」


 顔を真っ赤にしたすずに背中を押され、俺たちは急き立てられるように二階の個室へと追いやられた。

 もう少し、あの絵を見ていたかった。

 ……もっと、彼女の描く世界を知りたかった。

 


 俺は部屋に入ると、すずの描いた滝の残像を脳裏に焼き付けながら、現実へとログアウトするための操作を開始した。

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