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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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踏み込む覚悟

 カジノへと続く裏通りを歩みながら、俺とすずの間に微妙な沈黙が流れる。

 どうしたものか。俺は気の利いた会話の糸口を見つけられずにいた。

 この微妙な空気に耐えかねたのか、すずが先に、えへへと無理に笑顔を貼り付けた。


「……そっ、それにしても、なんであの目玉に追われてたの? もしかして、私と一緒で何か物盗んだとか?」

「誰が盗むか! カジノで知り合った変なおっさんについて行ったら、ヤバそうな連中のアジトでさ。命からがら逃げてきただけだよ」


 すずは少し冗談を交えて、この空気を和らげたいようだ。

 彼女はキョロキョロと不安そうに周囲を見渡しているが、あの不気味な目玉が追ってきている気配はない。


「零人は……コモちゃんが居るから、ビジター……なんだよね? 魔獣をテイムしてる、わけではないよね」

 

 すずは、俺の顔色を窺うように上目遣いで質問してきた。その表情には、明らかな『恐れ』が混じっている。

 やはりすずも、プレイヤーに対して強いトラウマや警戒心を抱いているのだろう。


「あぁ、そうだよ。……やっぱり、あんまり良いイメージないかな」

「……ちょっとね。少し前に、すごく……嫌なことがあって、それで……」

「嫌なこと? 何かされたのか?」

「……うん」


 すずは一瞬だけ目を伏せ、自分の服の裾をギュッと強く握りしめた。だが、すぐに顔を上げ、慌てて首を振る。


「あっ! でもでも! ビジターの人が、全員悪い人だなんて思ってないよ!?」


 すずは俺に気を使ったのか、プレイヤーに対して必死にフォローを入れる。

 俺は別に気にしていないのに。……本当に、優しい子なんだな。


 なんともやるせない話だ。

 ゲームだからと現実の倫理観を捨て、何をしたっていいと勘違いしている層が居るのは確かだ。

 しかし、この世界に来てまだ1週間足らずだが、それでも俺にはハッキリと分かることがある。

 この世界に存在している住人達には、間違いなく『感情』があり、それぞれの確かな『心』を持って生きているということだ。


 確かに俺も昔、普通のテレビゲームでは無茶苦茶なプレイをしたこともある。

 だが、この『ネーデ』は別だ。

 生きているんだ。AIが。この世界が。

 すずは今も必死で俺に笑顔を見せようとしているが、その震える瞳からは、隠しきれない深い悲しみが 伝わってくる。

 ただのデータが、こんなにも痛々しい顔をするはずがない。

 AIと人って、一体何が違うんだろうな。

 いや、もう何も違わないんじゃないか。

 こんなにもポジティブで明るい子を、トラウマを抱えるほど悲しませる連中がいるという事実に、俺の胸の奥で静かな怒りが込み上げていた。


「……なんか、同じビジターとしてごめん」

「零人が謝ることじゃないよ。私たちネーディア……君たちの言葉で言うと『AI』だったかな? 私たちにだって悪い人は居るし、それはビジターも私たちも一緒だよ」


 そういうと、すずは俺に向かって、今度は少しだけ柔らかな笑顔を向けた。

 あぁ。強い子なんだな。

 俺は、その健気な笑顔に思わず目を奪われ、ジッと見惚れてしまった。

 

 ――ガスッ


 俺が少し赤面して呆けていると、肩に乗っていたコモがジト目で俺の側頭部を蹴ってきた。


「痛っ、なんだよ」

「ん~? べっつに~?」


 コモは頭の後ろで腕を組みながら、プイッとそっぽを向いている。

 ヤキモチでも焼いてんのか?


「なぁ。今度、時間があるときに、すずが絵を描いてる所を見せてくれないか? すごく興味があるんだ」

「……いいよ。でも、あんまり期待しないでね……私、本当に下手くそなんだから」

「さっきの八百屋のおじさんも大絶賛してたから、下手なわけがないと思うけどな。それに、上手い下手を決めるのは、描く本人じゃなくて見る人だろ」

「……」


 やはりだ。

 すずは、自分の絵を俺へ見せることに、明確な『恐怖』を感じている。

 間違いなく、プレイヤーと彼女の絵との間に、決定的な『何か』があったんだ。

 このまま無遠慮に質問を続ければ、彼女の心は完全に閉ざされてしまうかもしれない。

 しかし、俺はどうしても彼女の痛みに触れたかった。

 すずが落としたあの筆は、黒ずむほど使い込まれていて、確かな年季があった。それは彼女が今まで、心から絵を愛し、描き続けてきた何よりの証拠だ。

 そんな彼女が、心無いプレイヤーのせいで自分の好きな物を誇れなくなってしまっているのだとしたら、それは絶対に間違っている。

 なんとかしてあげたい。

 嫌われたって良い。この痛みを、少しでも軽くしてやりたい。俺は本気でそう思っていた。

 

「……すずはさ、なんで絵を描いてるんだ? 純粋に、描くことが好きだからか?」

「……それもあるけど。私は……私が描いた絵を見た人が、笑顔になって、少しでも幸せな気分になれたら、うれしいなって思って描いてる……」

 

 なら、尚更分からないな。

 なぜ周囲の人間がすずの絵を見て正当に評価してくれているのに、彼女自身がそんな悲しい顔をするのか。

 俺は嫌だった。こんなに人の良い彼女が、自分を卑下して苦しんでいるのが。

 優しい人間が嫌な思いをするこの世界が、許せなかった。


「俺で良かったら、すずに何があったのか聞かせてくれないか。……すずのそんな無理して笑ってる顔、見てらんねぇよ」


 俺が立ち止まり、真剣な声で尋ねると、すずも足を止めてうつむいた。

 長い沈黙が落ちる。


「……今は、無理。……ごめんね」


 すずは消え入りそうな声で呟いた後、俺を見上げて小さく微笑んだ。


「……今度、私が絵を描いてる所を見せるときでも、良いかな」


……まぁ、そうだよな。

 今日出会ったばかりの得体の知れないプレイヤーに、自分の最大のトラウマを打ち明けようなどとすぐには思えないはずだ。

 でも、「絶対言わない」ではなく、「今度なら」と言ってくれた。

 彼女の心に、確実に一歩前進できた。

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