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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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絵の値段

 よし、あの目玉は追ってきてないな。

 俺はすずに手を引かれ、裏路地から大通りへと抜け出していた。

 空はすっかり茜色に染まる夕暮れ時で、仕事帰りの住人や買い物帰りの主婦たちが、オレンジ色の光の中を行き交っていた。


「これからどうしよう……。私の家、場所がバレちゃったからもう危ないんだよね?」

「多分な。俺がすずに匿われた所は見られてたっぽいんだ。あの目玉と、窓越しにバッチリ目線が合ってたし」

「え~ん……。寝る場所なくなっちゃったよぉ」

「俺の仲間に匿ってもらえないか聞いてみるよ。事情を話せば、絶対に何とかしてくれるはずだ」


 俺のせいで巻き込んで、住処まで奪ってしまったのだ。

 このまま「じゃあな」と見捨てるなんて、相手がAIであろうと絶対にできない。

 ……でも、ネーデの住人と話していてつくづく思う。

 正直、相手がAIだなんて実感が全く湧かないんだよな。

 人と同じように笑い、怒り、泣き、住処を失って途方に暮れている。

 コモに至っては、もはや親友と呼べるほど特別な感情すら抱いている。

 AIと人って、一体何が違うんだろうな。

 なんか、よく分からなくなってきたわ。


「えっと、ぶつかった時、キミの隣に居た『頭に小さいドラゴン乗せた人』のところに行くの?」


 なんだ、意外と周りのこと見て覚えてるじゃないか。

 

「あ~そうそう。そいつの他にも、仲間が2人と1匹いるよ」

「そうなんだ! もしかしてその一匹って、コモちゃんみたいにかわいい子?」


 すずの言葉を聞いて、肩に乗っているコモが「えへへ」と頭をポリポリ掻いている。

 さては照れ隠しだな!

 それにしても、すずは動物が好きなのだろうか。

 まぁ、女の子はかわいい物が好きっていうし、不思議でもないか。

 

「……ん~、怠け者のふてぶてしい猫かな。あんまりかわいくない」

「え~、でも猫なら絶対かわいいと思うけどなぁ~」


 すず。あの怠惰を絵に描いたような猫を見ていないからそんな事が言えるんだ。

 寝てるか、ダレてるか、文句を言っているかのどれかだぞ、あの猫は。


「とりあえず、仲間はまだカジノに居ると思うから、カジノへ向かおうか」

「大丈夫? 追ってきてる人たちが、そこで待ち構えてたりしない?」

「……可能性はある。でも行かないことには仲間と合流できないから、その時はその時だ!」


 すずに言われて気づいたが、確かに『ジン』と呼ばれていたあの男には、そもそもカジノで出会ったのだ。

 奴らの仲間がまだカジノ周辺に潜んでいる可能性は高い。

 しかし、アーサーたちと待ち合わせの時間も場所も決めていない以上、手掛かりを求めてカジノ方面に戻るしかないのだ。


「見つけたぞ!!!」

「っ!」

 

 やばい! 奴らに見つかったか!?

 俺が咄嗟に身構え、封幻を呼び出そうとした瞬間。


「すず! いい加減、盗んだ食品の代金返せよ!」

 

 声の主は、八百屋の店主らしきエプロン姿のおじさんだった。

 ……マジでびっくりした。心臓が一瞬止まりかけたぞ。

 ていうか、すず。お前、店の人に名前までバッチリ覚えられてんのか。

 すずを見ると、分かりやすく「やっちまった」と苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。


「あっ……あはは~。ごっ、ごめんなさいおじちゃん!」

「ごめんなさいって……お前なぁ……」


 店のおじさんは、頭をポリポリと掻いて呆れていた。

 しかし、口調からして本気で怒っている訳ではないらしい。

 さっき俺が代わりに払うと言ったし、ここは俺が出るか。


「すみません。すずが盗んだ食品代って、全部でいくらぐらいですか?」

「ん? 累計で2万リンぐらいになってるけどよ……」

「では、これを」


 俺が財布から2万リンと、迷惑料として5千リンを付け加え、店主に渡そうとした。

 すると、すずが慌てて俺の手を両手で押さえ込み、ブンブンと首を横に振った。

 そんなに誰かに奢ってもらうことが嫌なのか。

 でも、逆の立場になったら、俺も自分の尻拭いを他人にされるのは嫌かもしれない。


「そんなに自分で払いたいなら、『貸し』ってことでいいよ。出世払いってやつだ」

「うぅ~……わかった。絶対、絶対に返すから!」


 すずはしばらく葛藤していたが、やがて諦めて俺から借りる形になった。

 俺はどっちでもよかったんだが、本人が納得するのであればそれがいい。


「なぁすずよぉ。お前の描いてる『絵』、もっと高く売ってもいいんじゃねぇか? そうすりゃあ、ちっとはお金に困らなくなるだろ」


 ふと、店主がすずへ提案した。

 すずは、絵を売って生活してるのか。

 

「……絵は……好きで描いてるから、いいの……」


 なんだ?

 すずが、急に顔を俯かせ、ひどく暗い影を落とした。

 少なくとも、自分の好きな物を語る顔ではない。何か、触れられたくない深い理由があるのか?


「でもよぉ。お前の絵、この街じゃ結構評判いいぜ? 美術なんて分からねぇ素人の俺から見ても、すげぇいい絵だなって思えるんだからな。少し高かろうが、買う奴なんていっぱいいるぞ」

「いいんだよ。私、絵でお金儲けしようとは考えてもないし」

「あの~、すずの絵ってそんなにすごいんですか?」

「すごいってもんじゃねぇよ! なんていうのかな。その世界に吸い込まれるような……そう! すずの絵を見てると、描かれた場所の風や情景が、直接心に響いてくるんだ!」


 へぇ~、そんなにすごいのか。

 少し見てみたくなってきた。

 あのアトリエに置いてあった描きかけのキャンバスがそうだったのだろうか。

 俺が感心してすずを見ると、手放しで褒められているというのに、すずは服の裾をギュッと強く握りしめ、まるで何かに耐えるような顔をしていた。

 好きで描いているなら、褒められたら純粋に嬉しいはずなのに。


「あはは……ありがとう、おじちゃん。絵の値段は……考えてみるよ」

「おう! そうしてくれ。こんなに『才能』があって頑張っている子の絵が、安売りされるなんて勿体ねぇからな!」


――ビクッ。

 『才能』という言葉が出た瞬間、すずの肩が不自然に跳ねたのを、俺は見逃さなかった。

 店主はすずへ「がんばれよ」とエールを送ると、満足げに俺たちへ手を振りながら去って行った。

 

 うーむ……。

 すずには、高く売りたくない理由があるんだろうか。

 いくら好きで描いているからといって、適正価格より安く売る必要はない。

 生活がかかっているなら尚更だ。

 聞いてみたいが、今のすずは「これ以上踏み込まないで」というオーラを全身から醸し出していた。


 ……嫌われるかもしれないけど、友達になるなら、少しだけ背中を押してやるべきか。


「なぁすず。絵の値段が安いのは、買い手への優しさじゃない。自分の価値を安売りしてるだけだぞ?」

「――っ!」


 すずが、ハッと顔を上げた。

 夕日に照らされた彼女の顔には、今にも泣き出しそうな、それでいて必死に取り繕った『歪な笑顔』が張り付いていた。


「……うん、そうだね! この話はおしまい! 払ってくれて本当にありがとう! よし、仲間が待ってるカジノへ向かうぞぉ!」


 ……しまった。

 その背中を見た瞬間、俺の胸に冷や水がぶっかけられたような鋭い後悔が走った。

 絶対に、触れてはいけない地雷を踏み抜いてしまった。

 ただの正論が、彼女の心に寄り添うどころか、深く傷つけてしまったことだけは痛いほど分かった。


 でも、どうしてもやっぱり、すずの絵を見てみたい。

 彼女がどんな想いを込めて、あの筆を握っているのかを知りたい。

 俺は自己嫌悪に陥りながらも、夕日の中を足早に進むすずの小さな背中を、静かに追いかけた。

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