すず
俺はコモを肩に乗せ、薄暗い路地裏を全速力で駆ける。
早くアーサー達と合流しなければ……。
「コモ! 追っ手は来てないか?」
「僕の作った『影』がやられた。今は見えないけど、すぐ追っ手がくるかも!」
とりあえず人目の多い大通りへと逃げるしかないか。
奴らもあんな裏路地の宿に潜んでいるということは、まだ表立って騒ぎを起こしたくないはずだ。
「零人! 避けて!!!」
「っ!」
コモの切羽詰まった声に、俺は咄嗟に左へダイブする。
直後、背後から放たれた『赤い熱線』が俺のすぐ横を通過し、石畳をジュッと音を立ててドロドロに溶かした。
俺が背後を振り返ると、人の頭ぐらいの大きさの『巨大な目玉』が、ギョロギョロと視線を動かしながら空中に浮かんでいた。
あっぶねぇ! コモの声がなかったら頭を撃ち抜かれてたぞ。
ここはやるしかないか?
いや、もしすぐにあの不気味な目玉を倒せなかったら、あの白髪の男たちが合流してくる可能性が高い。そうなった場合、4対1で圧倒的に不利だ。
逃げるしかない……!
「コモ! さっき使ってた幻覚、もう一度使えるか?」
「うん! 走るだけとか、単純な1つの動きであれば影を動かせるよ!」
「じゃあ、この先のT字路で俺が右に曲がる! 影を左へ走らせてくれ!」
巨大な目玉は、瞬きのような粘着質な音を立てながら、不気味に空を滑って追いかけてくる。
意外と速いな、あの目玉……!
よし、T字路が目の前だ。行くぞコモ!
――【狐幻】――
俺の体から紫色の霧が抜け出し、俺と瓜二つの影が現れる。
作戦通り、俺は右へ、影は左へと左右に分かれた。
……は?
右に曲がった俺の目の前には巨大なレンガの壁が立ちはだかり、完全な行き止まりだった。
まずいまずいまずい。
背後から、目玉がジリジリと迫ってくる。
……Soul Linkして戦うしかないか。
俺は覚悟を決め、後ろを振り返った。
「……こっち!」
突如、横にあった古びた木の扉が開き、俺は腕を強く掴まれて中へ引きずり込まれた。
「痛って!」
なんだなんだ、なにがどうなってる!?
勢いよく引っ張られたせいで、俺は薄暗い家の中を派手に転げ回ってしまった。
俺は慌てて起き上がり、家の中へ引きずり込んだ人物を確認する。
そこに居たのは、昼間大通りでぶつかってきた、あのフードの『泥棒』だった。
「お前は……」
「しっ! 静かに。バレちゃうよ」
泥棒は人差し指を口に当て、ひどく汚れた窓の外を指差した。
窓の隙間から、俺たちを探している巨大な目玉がうっすらと見えた。
……完全にこっち見てる気がするんだが?
だが、攻撃はしてこない。俺以外に人が居るから警戒しているのか?
しばらく壁越しにこちらをジッと見つめていた目玉は、やがて興味を失ったように、空中に溶けるようにして消え去った。
「どっかいったね! よかったよかった」
「ありがとう、助かったよ。でも、ここからすぐ離れた方が良いかもしれない。場所を特定されたなら、俺を探してた奴らがここに向かってくる可能性もあるし」
「えぇ!? そうなの? ここ、私のアトリエだから困っちゃうなぁ……」
少女はそう言ってフードを外した。
黒く輝くおさげ髪が揺れ、軽く頭のホコリを払う。
その瞬間――俺の鼻腔を、季節外れの『金木犀』の香りがくすぐった。
(昨日、雨の中で嗅いだあの香りだ……!)
俺はハッとして彼女の顔を見た。
そばかす混じりの、どこかあどけなくて愛嬌のある顔。現実ですれ違った時の顔は一瞬で見えなかったが、なぜか『同じ雰囲気』を感じる。
パっと見では、物を盗むとは無縁な、とても優しそうな顔をしていた。
「私は彩葉 すず。『すず』って呼んでいいよ。一応、絵描きやってるんだ……」
「俺は綴 零人。で、こいつがバディの――」
「僕はコモだよ! よろしくね!」
「かわいい! よろしくね~コモちゃん!」
絵描き。なるほど、だからこの部屋は、油絵の具の独特の匂いが金木犀の香りに混ざっているのか。
床には様々な色の絵の具が飛び散り、壁には描きかけのキャンバスが何枚も立てかけられている。
しかしなぜだろう。
すずは、「絵描き」と言った瞬間、少しだけ悲しそうな、寂しそうな表情をした。
もしかして……あのぶつかった場所で落ちていた『筆』は、彼女の物だったのだろうか。
「もしかしてこれ、俺とぶつかった時、落とさなかったか?」
「あ!!! それ、私の筆! ありがとう! 見つけてくれたんだね! ……って、あぁぁ! あのときぶつかった人!」
騒がしい人だな。
てか、今まで俺のこと気づいていなかったのかよ!
まぁぶつかったのは一瞬の出来事だったし、必死に逃げていたなら覚えていなくとも無理はないか。
「そう、そのぶつかった人。とりあえず、大通りに逃げないか? 人目の付くところに居れば、さすがに奴らも派手な騒ぎを起こすことはしないだろうから」
「うぅ……でも、私、今お店の人たちに追われてるから……」
「今までどんだけ盗んできたんだよ!」
「でもでも! お金ができたら、ちゃんと隠れてお店にお金置いてきてるし!」
なんで隠れて置いてきてるんだよ!
頭下げながら堂々と返せば良いのに。
「普通に返せば良いのに」
「だって……怒られたくないんだもん……」
怒られたくないんだもんって……。
悪いことをしてるんだからしょうがないだろ。なんかちょっと幼い人だな。
見た目で言うと俺と同い年ぐらいだと思うんだけど。
「ごめん、俺、急いで逃げてきたから道がわかんなくて。大通りまでの道、案内してくれないかな。もしお店の人たちに見つかっても、代わりに俺が返してあげるからさ」
俺はカジノで馬鹿みたいに儲けたからな。
今までの盗んできた食べ物代ぐらい、余裕で払えるだろ。
「でも、悪いよ……私のやったことだし、私がちゃんと返したいな」
うーん、善良な人だ。
なぜそんな人が、コソコソと盗みなんか働いているんだろうか。
たしかに見た感じ、生活は苦しそうだけど。
「じゃあ、俺を助けてくれたお礼と、大通りの案内代っていうことで、感謝の気持ちとして受け取ってよ」
「う~ん……わかったよ。大通りはこっち! ついてきて!」
すずは俺の手を握ると、入ってきたのとは逆の勝手口の扉を開け、大通りに向けて走り出すのだった。
「見つけたか?」
薄暗い宿の一室。肩に白骨化した人形を乗せた男が、隣の椅子で目を瞑っている青髪の少年へ声をかけた。
「……居た。けど」
少年は、掌に握りしめていた『目玉』をギュッと閉じながら、ゆっくりと目を開けた。
「『断章』の保有者を見つけた」
「なに? あのカジノのプレイヤーが持っていたのか?」
「違う。あのプレイヤーが逃げてるときに、断章の保有者に匿われてた。仲間かも」
「ほう……」
男は口元を歪め、醜い笑みを浮かべた。
「厄介だな……。しばらく泳がせるか。ヨル、あいつらを見張っとけ。時が来たら騒ぎを起こして、断章を手に入れるぞ」
男の号令に、部屋の周りにいた仲間たちが無言で頷き、コーヒーを啜る。
その瞳の奥に、暗く冷たい殺意を宿しながら。




