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断界のネーデ  作者: 萱 景一
第1章

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すず

 俺はコモを肩に乗せ、薄暗い路地裏を全速力で駆ける。

 早くアーサー達と合流しなければ……。


「コモ! 追っ手は来てないか?」

「僕の作った影がやられた。今は見えないけど、すぐ追っ手がくるかも!」


 とりあえず、人目の多い大通りへ逃げるしかないか。

 奴らもあんな裏路地の宿に潜んでいるということは、まだ表立って騒ぎを起こしたくないはずだ。


「零人! 避けて!!!」

「っ!」


 コモの切羽詰まった声に、俺は咄嗟に左へダイブする。

 直後、背後から放たれた赤い熱線が俺のすぐ横を通過し、石畳をジュッと音を立てて、ドロドロに溶かした。

 振り返ると、人の頭ぐらいの大きさの『巨大な目玉』が、ギョロギョロと視線を動かしながら、空中に浮かんでいた。

 あっぶねぇ! コモの声がなかったら、頭を撃ち抜かれてたぞ。

 ここはやるしかないか?

 いや、もしすぐにあの不気味な目玉を倒せなかったら、あの白髪の男たちが合流してくる可能性が高い。そうなれば、四対一で圧倒的に不利だ。

 逃げるしかない……!


「コモ! さっき使ってた幻覚、もう一度使えるか?」

「うん! 走るだけとか、単純な一つの動きであれば、影を動かせるよ!」

「じゃあ、この先のT字路で俺が右に曲がる! 影を左へ走らせてくれ!」


 巨大な目玉は、瞬きのような粘着質な音を立てながら、不気味に空を滑って追いかけてくる。

 意外と速いな、あの目玉……!

 よし、T字路が目の前だ。行くぞコモ!


 ――【狐幻(こげん)】――


 俺の体から紫色の霧が抜け出し、俺と瓜二つの影が現れる。

 作戦通り、俺は右へ、影は左へと分かれた。


 ……は?


 右に曲がった俺の目の前には巨大なレンガの壁が立ちはだかり、完全な行き止まりだった。

 まずいまずいまずい。

 背後から、目玉がジリジリと迫ってくる。

 ……リンクして戦うしかないか。

 俺は覚悟を決め、後ろを振り返った。


「……こっち!」


 突如、横にあった古びた木の扉が開き、俺は腕を強く掴まれて中へ引きずり込まれた。


「痛って!」


 なんだなんだ、なにがどうなってる!?

 勢いよく引っ張られたせいで、俺は薄暗い家の中を派手に転げ回ってしまった。

 慌てて起き上がり、引きずり込んだ人物を確認する。

 そこに居たのは、昼間大通りでぶつかってきた、あのフードの『泥棒』だった。


「お前は……」

「しっ! 静かに。バレちゃうよ」


 泥棒は人差し指を口に当て、ひどく汚れた窓の外を指差した。

 窓の隙間から、俺たちを探している巨大な目玉が、うっすらと見える。

 ……完全にこっち見てる気がするんだが?

 だが、攻撃はしてこない。俺以外に人が居るから、警戒しているのか?

 しばらく壁越しにこちらをジッと見つめていた目玉は、やがて興味を失ったように、空中へ溶けるようにして消え去った。


「どっかいったね! よかったよかった」

「ありがとう、助かったよ。でも、ここからすぐ離れた方が良いかもしれない。場所を特定されたなら、俺を探してた奴らがここに向かってくる可能性もあるし」

「えぇ!? そうなの? ここ、私のアトリエだから困っちゃうなぁ……」


 少女はそう言って、フードを外した。

 黒く輝くおさげ髪が揺れ、軽く頭のホコリを払う。

 その瞬間――俺の鼻腔を、季節外れの『金木犀』の香りが、くすぐった。


 ――昨日、雨の中で嗅いだ、あの香りだ……!


 俺はハッとして、彼女の顔を見た。

 そばかす混じりの、どこかあどけなくて、愛嬌のある顔。

 現実ですれ違った時の顔は一瞬で見えなかったが、なぜか『同じ雰囲気』を感じる。

 パっと見では、物を盗むとは無縁な、とても優しそうな顔をしていた。


「私はネーディアで、彩葉(いろは) すず。『すず』って呼んでいいよ。一応、絵描きやってるんだ……」


 ネーディア……ということは、AIなのか。

 じゃあ、現実ですれ違った人とは違うのかもな。


「俺は綴 零人。で、こいつがバディの――」

「僕はコモだよ! よろしくね!」

「かわいい! よろしくね〜、コモちゃん!」


 絵描き。なるほど、だからこの部屋は、油絵の具の独特の匂いが、金木犀の香りに混ざっているのか。

 床には様々な色の絵の具が飛び散り、壁には描きかけのキャンバスが、何枚も立てかけられている。

 しかし、なぜだろう。

 すずは「絵描き」と言った瞬間、ほんの少しだけ、悲しそうで、寂しそうな表情をした。

 もしかして……あのぶつかった場所で落ちていた『筆』は、彼女の物だったのだろうか。


「もしかしてこれ、俺とぶつかった時、落とさなかったか?」

「あ!!! それ、私の筆! ありがとう! 見つけてくれたんだね! ……って、あぁぁ! あのときぶつかった人!」


 騒がしい人だな。

 てか、今まで俺のこと気づいてなかったのかよ!

 まぁぶつかったのは一瞬の出来事だったし、必死に逃げていたなら、覚えていなくとも無理はないか。


「そう、そのぶつかった人。とりあえず、大通りに逃げないか? 人目の付くところに居れば、さすがに奴らも派手な騒ぎは起こさないだろうから」

「うぅ……でも、私、今お店の人たちに追われてるから……」

「今までどんだけ盗んできたんだよ!」

「でもでも! お金ができたら、ちゃんと隠れてお店にお金置いてきてるし!」


 なんで隠れて置いてくるんだよ!

 頭下げながら堂々と返せば良いのに。


「普通に返せば良いのに」

「だって……怒られたくないんだもん……」


 怒られたくないんだもん、って……。

 悪いことをしてるんだから、しょうがないだろ。なんか、ちょっと幼い人だな。

 見た目で言うと、俺と同い年ぐらいだと思うんだけど。


「ごめん、俺、急いで逃げてきたから道がわかんなくて。大通りまでの道、案内してくれないかな。もしお店の人たちに見つかっても、代わりに俺が返してあげるからさ」


 俺はカジノで馬鹿みたいに儲けたからな。

 今まで盗んできた食べ物代ぐらい、余裕で払えるだろ。


「でも、悪いよ……私のやったことだし、私がちゃんと返したいな」


 うーん、善良な人だ。

 なぜそんな人が、コソコソと盗みなんか働いているんだろうか。

 たしかに見た感じ、生活は苦しそうだけど。


「じゃあ、俺を助けてくれたお礼と、大通りの案内代っていうことで。感謝の気持ちとして、受け取ってよ」

「う〜ん……わかったよ。大通りはこっち! ついてきて!」


 すずは俺の手を握ると、入ってきたのとは逆の勝手口の扉を開け、大通りに向けて走り出すのだった。


 ――――――――――――――――――――


「見つけたか?」


 薄暗い宿の一室。肩に白骨化した人形を乗せた男が、隣の椅子で目を瞑っている青髪の少年へ、声をかけた。


「……居た。けど」


 少年は、掌に握りしめていた『目玉』をギュッと閉じながら、ゆっくりと目を開けた。


「『断章』の保有者を、見つけた」

「なに? あのカジノのプレイヤーが、持っていたのか?」

「違う。あのプレイヤーが逃げてるときに、断章の保有者に匿われてた。仲間かも」

「ほう……」


 男は口元を歪め、醜い笑みを浮かべた。


「厄介だな……。しばらく泳がせるか。ヨル、あいつらを見張っとけ。時が来たら騒ぎを起こして、断章を手に入れるぞ」


 男の号令に、部屋の周りにいた仲間たちが無言で頷き、コーヒーを啜る。

 その瞳の奥に、暗く冷たい殺意を宿しながら。


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