94邪気
本来なら指令室の真上に落ちる方が効率がいいが、指令室の真上は精密機械の詰まったコンピュータールームで、塵一つ落としてはいけないことから、落下禁止にされていた。
誠たちは地下8階に降りて、幾つかの防御シャッターを透過して、本部の入り口はセキュリティカードと暗証番号であけた。
指令室は永田のタバコで曇っているように見えた。
職員が20名、並んでいるが、皆マスクを着けていた。
「どうした、皆、揃って、何かあったか?」
「車椅子、持ってきたんだよ」
とレディが、大きな車椅子を指令室に無理やり押し込んだ。
永田の正面には幾つものモニターが並んでいて、動きを止めたムーンライト号の遠景や、ゴムボートに乗って作業する影繰りたちも見えた。川に浮かんでいるだけで30人体制だ。
「そうか。
ま、ここにいる影繰りも俺と、あと2人ぐらいなんだけどな。
とはいえ、こんなものを持っていちゃあ戦いずらいな。
判った、ここで預かるよ」
「あの…」
誠が口を開いた。
「前にアクトレス教官がマッドドクターの資料を集めて欲しいとお願いしていましたが、集まりましたか?」
永田は、ん、と一瞬考え、高橋、出来たか? と後ろを振り返った。
職員の一人、高橋は背の高い、猫背の真面目そうな男だった。
「ええ。
ですが、ほとんど資料が無いのです。
彼が活躍した1950年から80年代前半は影を感知するシステムもなく、自由に影繰りが暗躍した時代です。
幾ら当たっても噂に毛が生えた程度の情報しかないようです」
「どんな噂なんですか?」
「皆さんも、もう知っている事ばかりだと思いますよ。
100人以上を同時に催眠術にかけた、とか催眠術をかけた相手の見聞きしたことを知る能力があるとか。
後は経歴ですが、相当若く影繰りになったようですね。
たぶん、誠さんぐらいの歳には朝鮮戦争で第一線で戦っていました。
戦争の合間に医師免許や博士号をとっています。
いわゆる、天才、ですね。
大学には戦いの合間、ほんの僅かしか通っていなかったらしいです。独学で医師免許も博士号も取得したんですね。
朝鮮戦争では、衛生兵の手引書を読んだだけで難しい手術も成功させているようです。
優秀さと年若い事もあって、戦地の兵士からは可愛がられたとか。
ですが、同時に拷問の名手としても知られていました。
堪能な韓国語を操って、自分が衛生兵の手引書しか読んでいないと教えた上で、相手を解剖して見せていくんだそうです。
皮を剥いで、筋組織を見せて、電気を流して動かしたり、筋組織を切断して、腸とか胃や肝臓を本人に見せてケラケラ笑って、悪戯をするそうなんですよ。
誠さんの年齢、と考えると相当に恐ろしい人格ですね」
「サディストやわ!」
「いや、むしろサイコパスだろう?」
高屋の言葉に、ミオが顔をゆがめて反論した。
「当時は、天才少年として勲章をもらっています。
その後も軍部に籍を置き、ベトナム戦争では、平和の手、というのに凝っていたそうです。
人の手を左右入れ替える手術をするんだそうですよ。
普通、手を下すと甲が外側に来ますが、手の平が外側に向くんですね。
それでも一本一本の指は見事に動いたそうです。
しかし、そんな手では銃はもう持てない、だから、平和の手、だそうです。
何万人も同じことをされたようです」
誠は気分が悪くなっていた。
「狂ってる…」
レディも言った。
「まぁ、当時は人間の脳幹を切断するロボトミー手術なんかがもてはやされていたりした、ある種、行き過ぎた科学礼賛の時代ですからね。
アメリカ軍も枯葉剤を撒いたり、残虐行為はいくらもあって、そのほとんどは当時は素晴らしい事として取り上げられていました。
マッドドクターの行為も平和的なものとして2度目の勲章をもらっています」
「時代…なのか…?」
井口も呟いた。
永田は煙を吐きながら、首と肩を同時に回して、吐き捨てる。
「どうかねぇ?
ベトナム戦争当時なんて俺も生まれてねぇしな。
そんなのがあった、って知ったのは大人になってタクシードライバーとかディアハンターとかプラトーンとか映画を見てからだな。
しかし、頭おかしいだろ、平和の手、なんてさ。
まぁ、そう言う時代だから、あんな怪物が生まれたんだろうな」
「それ以降、彼は科学に傾倒していきます。
未確認ですが、手作りで原爆を作って、どこかで使った事さえあったようです。
軍事機密のフィルターの中で、場所や真偽のほどは判りませんが」
「原爆を使って、ニュースにもならないんですか?」
「元々原爆と言うのは、高高度で爆発させることで1都市を丸ごと破壊したりするものなんだ。
だから原爆ドームが残っている訳だね。
普通の爆弾のように使えば、狭い範囲で人知れず使用することも可能だ。
世界各地の紛争地帯でマッドドクターが暗躍する冷戦時代、彼は英雄だったんだ」
高橋は、マスク姿で語った。
「確か医師免許ははく奪された、って?」
ミオが聞いた。
「そう。
だんだん人権が大きく取り上げられるにつれ、マッドドクターのような人間には住みずらい世の中になって来たんだね。
しかし彼の行為には当時、賛否両論があったようだ。
具体的には1972年、11月にロサンゼルスの高速道路で事故が起こり、2人の重症患者が出た。
マッドドクターは、手術で、2人を1人にしてしまったんだよ」
「えっ、どういう意味ですか」
誠は混乱して叫んだ。
「1人は脳死状態だったので、使えない臓器なんかをもう一人に使って、完全な人体にしてしまったんだ。
脳死判定については完全に合法だった。
ただ、彼は白人の肉体と黒人の肉体を繋げてしまったんだ。
当時アメリカでは黒人の人権運動の真っ只中、キング牧師の暗殺などいろいろな事件が起こっていた。
アメリカ国内で、白人と黒人が国を挙げていがみ合っていたんだね。
そんな中でマッドドクターの行為はセンセーショナルだった。
マスコミが過熱し、大騒ぎになった挙句、手術で生をとりとめた黒人男性が自殺するに及んで社会問題となり、マッドドクターの医師免許は剥奪された。
だが、現代では正しい行為だったのではないかという意見も出ている。
個人的には底知れない悪意も感じるけどね、時代背景を考えると。
自殺した黒人青年は黒人社会にも白人社会にも入れずに行き場所を失っての死だったようだ」
誠は重い溜息を漏らした。
「では催眠術の秘密とかは判らないんですね?」
「残念ながら」
高橋は頷いた。
「判りました。
ドクターたちは、おそらく蒼井の手に入れたゲノム情報を持って外に出るつもりです」
「ああ。
美鳥に聞いているから、そのカードキーはもう使えないはずだ」
永田が頷く。
「僕たちは、マッドドクターを外に逃がさないよう、先回りをしよう」
ミオが言い、誠達はエレベータ-に向かった。
何なのか…。
誠は、まだ混乱していた。
マッドドクターには異常な悪意しか感じられなかった。
何か目的があって悪いことをするのではない、面白いから邪悪な行為を行う、といった、ある種、幼稚で純粋だからこそ、胸の悪くなる類の悪意だ。
邪気がない、その分、強烈な悪意だった。




