64無敵
誠は、天井を移動する事にした。
必然、売り場を歩けば、予めドールマスターが設置したトラップが多くなる。
さっき、誠が海に落としたようなトイガンのトラップならば、20や30、仕掛けられていてもおかしくはない。
誠の首を切断しかけたワイヤーの仕掛けなども、あれ1つとは考えにくい。
なぜなら、ここはドールマスターのラストダンジョンなのだから。
だが、天井や床下ならば、トラップがないとは言えないだろうが、売り場をのこのこ進むよりははるかに安全なはずだ。
少なくとも、射撃系のトラップを、わざわざ天井部にまで設置しないか、していても数は少ないはずだ。
だから誠は、天井を影の手でぶらさがりながら、じりじりと進んでいく。
そして接近し、確実に仕留められる距離まで進んだら…。
ドールマスターに気づかれる前に、落として殺す。
誠は再び、唾を飲み込んだ。
即死、が好ましかった。
僅かでも息の根があれば、その一瞬で美鳥の言うように、仲間が殺されるかもしれない。
また、彼が原子爆弾の起爆装置を持っている可能性だってゼロではないだろう。
だが、そのためには、最低でも20メートルぐらいまでは接近する必要がある。
落とすだけなら、もう少し離れていても可能だが、即死させるには海底の砂の下まで落とすさなければならない。
中途半端にするぐらいなら、むしろ手傷を負わせない方が安全なぐらいだ。
もはや事は、誠一人の命の問題ではなくなっていた。
誠は、自分の体に透過をかけ続けながら進んでいた。
敵の居場所は判っているのだから、力をケチっている場合ではない。
おそらく…。
天井や床下にも、罠がない、と思う方がおかしい。
そういう場所こそ、ドールマスター得意のワイヤートラップや様々なセンサーが仕掛けられていることだろう。
誠は、じりじりと、周りに目を配りながら歩いていく。
天井の鉄板には、様々な配管が走り、その下に、排気ダクトや電機のカラフルな配線の束が走っている。
作業効率のためだろう、床が金網のスケルトンとなった幅30センチぐらいの足場が、あちらこちらに設置されていた。
警戒をしながら進んではいるが、誠は特にトラップの知識があるわけでも、実戦経験がある訳でもない。
どういった場所にワイヤーが張られているのか、どのようなセンサーがあるのか、このゴミゴミした天井で素人が見つけられるものでもなかった。
だが全身を透過状態にしている自分に有効な攻撃があるなど、誠には思いもよらない。
我ながら、無敵、だと思う。
だから、もっと速度を上げて進んでもいいのだが…。
何度も殺されかけている誠は、頭で無敵、と思ってはいても、前進スピードを上げられなかった。
チカッ。
天井の隅、構造支柱の影で、何か赤い光が輝いた。
臭い!
突然、誠の鼻を突く、痛いような臭いが誠の全身を駆け巡った。
しまった!
僕は無敵なんかじゃなかった!
息は、普通にしているんだった…。
思った瞬間、誠は床に落ちていた。
何かの神経系のガス…!
それは思いもよらなかった。
何のガスかは判らないが、体のコントロールが効かなくなっていた。
透過を失い、誠は普通に床の上に無様に堕ちた。
誠の運動神経では、受け身を取る、等も全くできない。
影の手足も消え去って、誠は床に這いつくばった。
ぐあぁ…。
体中が痛かったが、それよりも…。
この場所は悪かった。
誠は玩具売り場とキッズルームの間、よりによって、キッズルームのオフィスから丸見えの場所に落下していた。
腕を立てて移動しようとするが、酩酊しているように腕に力が入らない。
何とか、ゴロン、と体を仰向けに転がした。
何のガスかは判らないが、頭の中がグルングルン回っている。
細かいことが考えられない…。
口に、だらしなく涎が流れた。
何か武器を使えないのか…。
頭の端で、理性が語っている。
銃は、ズボンのポケットだ。
だが、腕も思うように動かせない。
透過をしたくても、どこかに焦点を絞る、など今の状態では不可能だった。
影の手、も思うように出せない。
ちらっ、ちらっ、と、影を出す感覚はあるのだが、持続できない…。
もしサリンなどの凶悪なガスだったら…。
僕は死ぬのか…。
思い、一瞬、死の恐怖に飲まれそうになるが、違う…、と理性が答えた。
ドールマスターもすぐ近くにいるのだ。
こんな状況でサリンなどは使えない…。
そうだ…。
これは多分、天井を接近してきた敵に対する、至近距離でのみ効果のある薬物なはずだ。
あるいは麻薬や、合成麻薬的なものでも十分効果を発揮するかもしれない。
古代の宗教施設では、大麻の煙を線香のように焚いていたという。
その程度のものかもしれない…。
カチリ、とキッズルームの扉が開いた。
背の高い男が立っていた。
誠は男を見上げ、呂律の回らない口で、囁いた。
「…ヨ…シャ…イ…しゃん…?」
そこには、吉井一曹が、優しげな笑顔を浮かべて誠を見下ろしていた。
「やあ、小田切君。
大丈夫かい?」




