135誰もいない
「フロアーを降りてみましょう。
小金井さんが敵の手に落ちてはまずいのだから、それが一番優先です」
誠は言った。
頭の中では、まだ虫の事を考えていた。
蜘蛛女との戦いで、あの動きを止め、脈拍までをコントロールする虫が何もしなかったのはおかしい…。
その事は、誠の頭に引っ掛かり続けていた。
ただし、美鳥に言われたことも納得できる。
糸の上での戦いを、虫使いは想定していなかったのではないか、というものだ。
そして美鳥の言う通り、一匹だけ見せるなんて馬鹿げている、というのも判る。
見えない攻撃がそうであったように、不意打ちが、攻撃としては常に最上のはずなのだ。
特に、影の戦いのように特殊な技の出し合いならば、自分の手のカードは見せず、見せた敵は必ず殺す、というのは理論上正しい。
僕のように、透過の坊や、となってしまうと、相手は射程に立ってくれないし、蜘蛛女は落ちないよう命綱まで付けていた。
落とせないから、僕はわざわざ相手の巣の中に飛び込んで透過を防御に使い、影の体で戦わなければならなかった。
戦いが、どんどん簡単ではなくなっている…。
だからこそ、予め相手に手の内を見せる、なんてことは意味がない。
不意打ちで、一気に全員に虫が取り付けば、それだけで相当の猛者集団でも沈黙させてしまう破壊力が、あの虫にはある。
体を、一部にしろ全く動けなくしてしまうのだ。
しかも、脈拍を操る、という猛毒にも等しい副作用まで持っている。
誠は、特に医学知識が無いから脈だけしか判らなかったが、詳しく調べればもっと別の体内コントロールをしてのけている可能性も充分にあった。
あんなものが2、3匹、身体に貼り付いたら、それだけで殆ど行動不能になる。
2,30匹いたら…、例えばミオさんやレディさんだって…。
そこまで考えて、誠は息を呑んだ。
「もしや、虫は下の階でダンサーチームに襲い掛かっていたんじゃあ…」
「ん、可能性はあるな…。
それならミオさんから何の返答も無いのも説明がつく」
井口が、下の階に降りる階段の傍で立ち止まった。
「下の階には虫が溢れている、と考えるのね…」
美鳥も唸った。
井口は頷き、
「誠が転んだのも階段から上がる時だったしな。
だとしたら、うっかり足を踏み入れるのは自殺行為だ。
まず、俺のトンビと美鳥の蝶で様子を見て、可能ならば、階を隔てたまま戦う方が賢い」
2人は、影を階下に飛ばした。
誠も、下の階ならば透視できる。
下の階には…。
誠が口を開くより早く井口が言った。
「おい、下の階には誰もいないぞ…」
誠の透視は、誠自身の立ち位置から下階をみるため、中央部のガス室が視界を遮る。
だが井口は吹き抜けから素早く3匹のトンビをフロアーに走らせ、精密な立体地図に構成する能力だ。
「いない…、下の階に降りたのかしら?」
透過してハンペンに侵入した誠達は、正確にそこが何階あるのかは把握していなかったが、登る階段の近くに、確かに下る階段もあったはずだ。
「迂闊に動くなよ。
虫の疑惑が晴れたわけじゃない…」
言いながら井口は階下を調べ、1分も立たないうちに全てを掌握した。
「…おい…、4人は何処にもいないぞ…」
「隠し部屋でもあるんでしょうか?」
誠の能力の方がそういうものは探しやすい。
だが、いくら透視しても隠し部屋は見つからなかった。
「どういうことだ!」
井口は怒気を発したが、誠が冷静に語った。
「三人目の影繰りがいるのでしょう…」




