108渓流釣り
「たぶん、敵、ここにおんで…。
なんや気味悪いな…」
高屋は不安そうに設備通路を見合した。
井口はムーンライト号に乗り込むときに着た防水使用の上着を脱いだ。
下はフランネル地の地味な柄のシャツだ。
井口の私物だった。
紺の地に大きな格子の水色と赤の線が入っている。
赤と言っても派手な色ではなく、深く沈んだ赤の線がシャツに深みを与えている、と井口は考えていた。
良く着る、気に入ったシャツだったが、今は内側に薄手の防弾チョッキを着ているので、どこかパンパンに膨らんでいる。
が、数時間前から戦闘の連続なので、暑くて仕方がなかった。
ったく…。
俺は戦闘要員じゃな無いっていうのに…。
井口は影繰りではあるが、レディや美鳥のように好んで戦いの場に身を投じるタイプではない。
また、影能力も、敵が普通の人間であれば、井口のカラスを見えないこともあり、仕留められるが、影繰り同士のバトルを行うような攻撃力は自信がなかった。
一応、カラスの大きさは可変式であり、探査であれば蚊のように小さくも出来るので、探査チームとしては井口は有能な人材だった。
大きくもなれる。
だから、さっきの戦いではカラスを大きくしてみたが、甲冑男には傷一つ付けられなかった。
とはいえ、影繰りである以上、いつ戦闘に巻き込まれても文句は言えない。
それで給料をもらっているのだ。
井口も、誠もこなしている戦闘訓練を中学の頃から何年も受けており、相手が普通状態のノコギリ男だったら、真正面から戦いを受けて立つ事も厭わないだろう。
だが、あの強化服は尋常ではない。
パンチで壁に穴をあけ、誠がコンクリートに埋めても、コンクリを弾き飛ばして飛び出してくるターミネーターたちだ。
俺、明日、渓流釣りに行くはずだったのになぁ…。
井口の趣味は川釣りだった。
バイクに道具を乗せて、気軽に秩父の方に釣りに出かける。
ルアーとか、流行りの釣りは肌に合わない。
なんだ、キャッチアンドリリースとは!
釣った魚は、河原で枯れ枝を拾って火を起こし、塩焼きにして食べた。
今頃は、誰も知らないような大きな秋アユが釣れるのだ…。
握り飯と味噌だけ持って、渓流をバイクで遡り、アユを釣る…、ハズだったのに。
「高屋さんって、感知能力とか、ないんですか?」
井口も高校1年なので、それほど現場経験は多くない。
高屋も存在は知っていたが、今日初めて組んだようなものだ。
「うちは物にぶつかったなら、振動で判るねん」
高屋は、見かけは気の良いおばちゃんだが、ベテラン影繰りであり、実戦経験も豊富だった。
今も用心深く、周囲を見回している。
「振動で?
何が判るんです?」
「素材、年代、原産地、後は強度みたいなもんやね。
振動って、色々判るねんで」
二人は、3羽のカラスも使って、周囲に気を配りつつ、通路を歩いた。
高屋は、敵がこの通路にいると思っている。
それならば動きを止めると、敵の攻撃の良い的になる可能性がある。
敵は、ノコギリを飛ばす中間距離タイプの影繰りだった。
動きつつ、出来るだけ早く敵を感知し…。
高屋のボールと、井口のカラスで、なんとか敵を倒したい。
ちょっと難しいミッションではあったが…。
「井口君、そう言えば、珍しいね」
唐突に高屋が言った。
「え、何がですか?」
「カラスや。
カラスが三羽って、なんや若い子があんまり思わなそうな影やない?
おばちゃんの若い頃は、股旅とか時代劇とかあって、三羽カラスなんて、よく言ーたもんやけど、な」
ああ、と井口は笑った。
「これ、実は烏じゃないんです。
俺、渓流釣りが好きなんで、これはトンビのつもりが、真っ黒なのでカラス、と呼ばれているんですよ」
「トンビ!
それ、嘴とか、カラスやで?」
あはは、と井口は笑う。
「渓流によくトンビはいるんですけど、あれも一応、鷹なんで、あまり近くで見たことはないんです。
黒いし、カラスのイメージも入っちゃって、ま、カラスといわれても良いかなー、なんて」
なんやそれ、と高屋も笑う。
だが…。
それ、が静かに、二人に接近してくるのに、まだ二人は気づかなかった。




