16話
アードベルトは山岳地帯だった。
踏みしめる大地は乾き、緑の一つもない。
小石程度であれば踏んだだけで砂になるほど乾いている。
枯れた大地を突き破るように生えている細木は、葉の一枚も付けていない。
見回す視野内に水場はない。
川が流れていたと思しき形跡はあるものの、それは枯れて数百年単位の時間が流れていると思わせるに十分だった。
これはゲームなので水を飲まずとも問題はない。
それはわかっているけれど、どうにも不安になる景色だった。
「今日はここでモンスターを狩るんだよ~」
ケイの「モンスター」という言葉で周囲を警戒する千春。
ばっくんばっくん、と破裂しそうな勢いで心臓が動く。
疲れてもいないはずなのに千春の呼吸が若干乱れる。
それは現実の体も同じように緊張し、心臓の鼓動が激しくなっているからだ。
「安心しなよ、千春。あたしが絶対にあんたの所までモンスターの攻撃は届かせねえからさ!」
ルシが男前すぎた。
筋骨隆々な体格もあり、少しだけ千春は緊張が薄れるのを感じられた。
「わたしもがんぶりましゅ!」
盛大に噛んだ。
緊張が薄れたように感じたのは気のせいだったらしい。
そして千春の顔はリンゴ顔負けなほど赤く染まる。
ケイは爛漫に、ルシは苦笑を浮かべて愛らしい千春を姉の心境で見守っていた。
ただノエルだけは少しだけ二人とは違う気持ちで千春を見守っていたりする。
「いいんです! 千春さんは今のままの、そのままの千春さんでいてくれるだけでいいんです!」
すごく力説だった。
彼女にそっちの気は一切ないはずなのだけれど。
本当の所はどうなんだろう、と千春よりも付き合いの長いケイとルシの表情が微妙に歪む程度には、最近のノエルからは百合百合しい香りが醸され過ぎているように感じられていた。
「!! 遊びは一旦中止だ!」
モンスターの接近に真っ先に気付いたのは盾役のルシだった。
モンスターの進行方向に向けて二メートル近い巨躯を隠すほど大きなタワーシールドを構える。
ルシが構える大盾の脇から覗くように顔を出してモンスターの種を確認する。
「……岩が転がってきます?」
それは茶岩石のように見えるけれど、確かな意思を持って千春たちの方へと転がってきている事が見て取れた。
それ以上の確証として、その茶岩石には敵モンスターを示す赤色のHPバーが表示されていたりする。
「まずはあたしが受け止める! 【鋼体】」
ルシは自身のVITをアップさせるスキルを発動させる。
アードベルトはノエルたち三人のレベル的に安全圏ではあるが、それでも今回は彼女たちだけの戦闘ではなく千春というゲストがいる。
万が一だけは避けたいための保険だった。
「任せましたよ、ルシ。【プロテクション】【大地の加護・Ⅱ】」
ノエルも守られながらルシを魔法とスキルで強化する。
プロテクションはVIT+効果のある魔法。
大地の加護は対象に地属性耐性をスキルレベル分補整する効果のあるスキルになる。
ノエルの場合だと地属性耐性20%アップになる。
「のんちゃん、私にもちょーだい!」
身の丈を優に超えている巨大剣を構えながらケイが言う。
「はいはい。【ストレングス】」
ノエルはSTR+効果のある魔法をケイに使う。
「ありがとー!」
抱き着こうとするケイを苦渋の選択と言いたげな表情で押しとどめたノエル。
戦闘中であるためケイも強行したりはせず、大人しく引き下がった。
戦闘態勢を整えた三人を見て、千春も炎帝の短刀を逆手に構える。
それを目にしたノエルは優しく微笑みつつ訊ねる。
「千春さんも戦闘に参加していただけるのですか?」
「は、はい!」
何ができるのか。
何かできるのか。
正直な所、千春にはわからない。
しかしだ。
何もしないでパーティにくっついてレベルを上げてもらうのは、あまり推奨されない行為だということは事前の予習のおかげで千春の知る所となっている。
「では死なない程度に参加してみてください。ちゃんと私たちもフォローしますから。二人もいいですよね」
「おう!」
「もちろんだよ!」
快諾だった事、それだけに千春は安堵する。
拒否されなくてよかったと。
「では【プロテクション】【ストレングス】【大地の加護・Ⅱ】」
千春もノエルに補助魔法を一通りかけてもらった所でモンスターがルシの構える大盾に激突した。
「っ! おっし! 千春! 攻撃してやりな!」
「は、はい!」
千春は安全なルシの背後から飛び出し、モンスターを改めて見る。
『スクード』
並大抵の攻撃は通さない堅牢な岩の外皮を纏うモンスター。
その茶岩石の外皮は守護だけではなく攻撃にも使用される。
茶岩石の攻撃を受けると判定で『気絶』の状態異常を引き起こされる可能性もある。
(大丈夫。わたしならできる。大丈夫だから落ち着きなさい、わたし)
自分に言い聞かせても、馬鹿みたいに強い収縮を繰り返す心臓の鼓動は普段通りの穏やかさを取り戻す事はない。
むしろ言い聞かせるほどに鼓動は強くなっているような気さえしている。
深呼吸を繰り返し、決心と同時に呼吸を止める。
「だ、だぶるすらっきゃあっ!!?」
スキル【ダブルスラッシュ】を使おうとして、千春は一歩目でつまづいて転んだ。
「は?」
「え?」
「っ!?」
上から順にルシ、ケイ、ノエルの反応である。
『エンドワールド』内ではシステムサポートにより、ある程度であれば無茶な行動をしても自動で姿勢制御システムが稼働する仕組みになっている。
その姿勢制御システム、サポートのおかげで現実では不可能な動きを可能としていた。
普通に歩く動作にもシステムは機能するため、むしろゲーム内で転倒する事の方が困難を極める。
つまり転ばないように制作されている。
そのはずだった。
「え? 転べるのか? システムのサポートがあるのに? え? マジで?」
だからルシの素朴な疑問はもっともだった。
「すっごーい! ちーちゃん、それ、どーやるの!?」
どーやるの? と聞かれても千春の方が困ってしまう。
わざと転んだわけではないのだ。
むしろ、わざとではないからこそ、すごく恥ずかしくもあるのだけれど。
「うぅ、なんでわたしはいつもこうなの……?」
肝心な所でいつも失敗する。
小学生の頃は、このせいでよく体育の時間などは仲間外れにされていた。
その記憶が千春の脳裏に浮かんで泣きそうになっている時、もう一人の彼女もまた身悶えていた。
(ああ、すっごい可愛い! 千春さん可愛い! ちょっとドジっ子みたいだけれど、それはプラス要素ですよね!)
システムサポートが何たらなどと難しい事は彼女、ノエルにはどうでもいいのである。
彼女の心に渦巻くものはただ一つの絶対真理。
『可愛いは正義』
だけなのである。
(ああ、それに私がお世話してあげないとダメそうな所もキュンキュンきます。どれだけ私を虜にすれば気が済むんですか、千春さんは)
世話焼きな母性が完全に千春をロックオンしたのは、この時だった。
▼ ▼ ▼
始めた時は青かった空も、今は茜色も終わりが近い色合いを見せ始めていた。
モンスターを狩り始めてから三時間ほどが経過している。
千春はそろそろログアウトしなければいけない時間帯だ。
「そろそろ今日は終わりにしましょうか」
千春が時間を気にし始めた事を目線だけで察したノエルが声を上げた。
当然、二人からは不満の声が上がる。
「私、今日は課題が多いからこれ以上は付き合えないんですよ」
「あ、あの。すみません。わたしも明日提出の課題が多くて……」
「なら仕方ねえか」
「そうだね~」
まだ遊び足りなそうではあるものの、二人も今日は解散する事に納得してくれたみたいだった。
「あの! お荷物でごめんなさい!」
解散の雰囲気になった所で千春は膝に額が触れそうなほど腰を深く折って謝罪した。
今日は本当に散々な結果だった。
転んだのは始まりにすぎず、その後もミスを連発した。
攻撃すれば空振り、スキルを使おうとすると転んだ時の事がフラッシュバックして体が固まり、それならとドロップアイテム回収役を買って出ればモンスターの前に無防備に飛び出してしまいリスポーンさせられそうになった。
その時はルシが文字通り体を張って守ってくれたためリスポーンしてはいない。
けれどそのせいでルシは食らわなくてもいい攻撃をまともに受けてしまっていた。
平気そうな顔で「気にすんな!」と言ってくれはしたけれど、その事を思い出すだけで胃がキリキリと痛んだ。
「まあ生産職だしな。戦闘に慣れてねえのは仕方ねえよ。これからだろ! これから!」
「そうそう! 私たちと遊んでればそのうち戦闘にも慣れるって! ってか私がちーちゃんと遊びたいから慣れさせるし~」
だな、とルシとケイは声を揃えて笑う。
その姿をきょとんと眺めていた千春は小さく呟いた。
「…………これから? また、わたしと遊んでくれるの……?」
誰にも聞こえないような小さな声での呟きは、しかし拾ってくれた人がいた。
「当たり前じゃないですか。私たちは千春さんの友達なんですから」
にっこりと笑み、ノエルは千春の頭を優しく撫でてくれた。
涙が出そうになったけれど、そこまでの感情表現はまだ実装されていない。
その事に千春は感謝した。
▼ ▼ ▼
それから少しの時間だけ談笑してから千春はログアウトしていった。
残った三人もすぐにログアウトするつもりでいる。
その前に今日の感想である。
「ああ、千春さん可愛かったです……」
まるで恋する乙女のようだった。
ノエルさんである。
「あー、まあ確かにありゃ庇護欲を誘うな。リアルでもあれなら男どもが放っておかなそうだ」
「男じゃなくても放っておけないみたいだけどね~」
ケイの視線の先にはノエルがいる。
恋する乙女の瞳で月を見上げるノエルが。




