10話
オークを中心に戦闘で集めたドロップアイテムを全て売却し、どうにか目標の12万Gを貯めた千春は、その足でNPCの女性のいる拠点に向けて駆けた。
いつもの夕飯の時間まで残り僅かな時間しかない。
またダイブ禁止が発令されるかもしれない。
けれど。
あの拠点はすでに千春にとって特別だ。
何が何でも手に入れたい居場所にまでなっている。
もし他の誰かも自分のように特別報酬として拠点購入権を得ていたら。
その誰かは12万G程度ならポンと支払えてしまうプレイヤーだとしたら。
そう考えると明日を待ってなどいられなかった。
「はあ! はあ! はあ!」
仮想空間である『エンドワールド』内はステータスが物を言う世界。
ステータス次第では数十キロの距離を全力疾走しても呼吸を乱さないプレイヤーも存在している。
千春でも数十キロは無理として、それでも一キロ程度の距離であれば無理のない範囲での全力疾走に分類する事ができる。
それでもドロップアイテムを売却した道具店から数百メートルの距離で息切れしているのは、これは全て念願の拠点が手に入れられる興奮からくるものである。
そうして千春にとって長い数分の後、千春的主観では最高に可愛い一軒家の前に辿り着いた。
小さい素朴な花に彩られた、小ぢんまりとした家。
千春の理想の形。
「あ、あの!」
と声を上げてからドアノッカーの存在を思い出した。
しかし家主は千春の呼びかけで扉を開けてくれた。
「はい? あら、あなたは……。この家を買いに来てくれたのかしら?」
「はい!」
覚えていてくれたらしいNPCの女性に12万Gの入った皮袋を渡す。
明らかに12万Gというには小さな皮袋だし軽いのだが、そんな事は気にしない。
もしかしたら紙幣社会なのかもしれないのだから。
NPCの女性は中身を確認してから微笑んだ。
「確かに。それでは今からここはあなたのお家よ。大切に使ってくれると嬉しいわ」
微笑んで、彼女は姿を消した。
まるで初めから存在していなかったかのように。
普段であれば「ええええええっ!!?!?」と千春も驚いていただろう。
今はそれどころではないのでノーリアクションである。
「わたしの、家……うふっ、うふふっ、うふふふふふふっ」
他のプレイヤーが聞いていたらドン引きされそうな笑い声。
他のプレイヤーが見ていたら間違いなく敬遠されそうな顔。
しばらく続くかと思われた奇行。
「むふふふっ、はっ!!」
しかし、それはすぐに終わった。
外部メールが届いたのだ。
送り人は母である。
内容はただ一言。
『反省してないのかしら?』
素早い動きでステータスを表示。
ログアウトをタッチした。
千春から千冬に戻った後、母には少し怒られるだけで済んだ。
▼ ▼ ▼
翌日。
一応、翌日。
午前零時を過ぎてから千春は『エンドワールド』にログインしていた。
待ちきれなかったのである。
「明日は休みだし、たまにはいいよね?」
自分に言い訳して転移ゲートのある噴水広場から拠点へと駆けた。
はやる気持ちが千春の足を急かす。
▼ ▼ ▼
「うおっ!?」
「どした?」
「何か今、俺の横を誰かが駆け抜けてったんだけど……」
「そんなヤツいた?」
「いたって! めっちゃ速くて顔まで見れなかったけど絶対にいた!」
「ふうん。まあ夜中で暗かったから気付かなかっただけだろ。それか気のせい」
それでも彼は納得いかないように背後を数度振り返っていた。
▼ ▼ ▼
「危なかった……」
あと少しで男性のプレイヤーと正面衝突する所だった千春。
近道をしようと曲がった所に人がいるとは思わなかったのである。
衝突したくらいでダメージを負う事はないが、それでも驚く事は変わらない。
それに男性プレイヤーと話をするのは怖い。
現実でも女子高育ちなため異性に対する免疫は滅法低い千春。
ゲームの世界なら大丈夫だと思った時が千春にもあった。
けれど今の瞬間でわかってしまった。
絶対に無理だと。
そこから千春の走る速度は一気に落ちた。
安全第一である。
そうして着いた拠点。
可愛い外観の千春だけの拠点。
ドアノブを回す。
抵抗感。
施錠されている状態だった。
「えっと確か……」
普段あまり使わないインターネットの情報掲示板で『エンドワールド』の拠点について復習してきた。
その知識を思い出し、千春は扉の表面に手を触れさせる。
カチリッ、と施錠の外れる音がした。
ドアノブを捻る。
今度は抵抗感なく回った。
「……お邪魔しまーす、じゃなかった、ただいまー」
扉を開けた目の前には広い空間が広がっている。
窓から差し込む月明りに照らされた室内。
空間の奥にはカウンターがある。
何かのお店のように千春が感じたのは、きっと道具店が同じ作りだったからだろう。
棚などが何も設置されていない事でずいぶんと広く感じられるが。
カウンターの奥に、他の部屋に繋がるドアを見つけた。
カウンターの一部は可動式で、人一人が通れる程度の隙間がカウンターに開いた。
そこを通って奥の部屋に向かう。
繋がっていたのは短い廊下。
左の壁に添って二階へ上がるための階段が続き、右の壁には他の部屋に繋がるドアがあった。
まずはドアを開ける。
広い板張りの部屋。
家具供え付きの部屋には黄色の柔らかそうな二人掛けのソファが二脚ある。
それに高さを合わせたローテーブルは天盤がガラス製だ。
ソファとテーブルの下には毛足の短い、けれど感触の優しい絨毯が敷かれている。
ソファセットと背中合わせには、一般家庭の食卓のイメージ映像にあるような四人掛けのテーブルセットもある。
その奥には壁一枚を隔てて、けれど同じ部屋内にキッチンがある。
キッチンを隔てる壁の前にはカウンター席もあった。
「わあ、可愛い……!」
料理の腕前は普通な千春でも一度は使ってみたいと思うキッチンだった。
廊下に戻り、その廊下を奥に進むともう一枚のドアがある。
そこは浴室になっていた。
小さい浴槽とシャワーがある。
浴室の向かいの階段下に位置する場所にあるドアはトイレだ。
ゲーム内では排泄感もないため、本当にただそこにあるだけ。
廊下の突き当りにもドアがある。
その先は剥き出しのコンクリート部屋だった。
奥の方には大きな竈のような炉がある。
部屋の中央にはデッサン用のイーゼルもポツンと置かれていた。
「ここって作業場……?」
であれば炉があるのにも納得できる。
イーゼルは武具の形状のデザイン用だろう。
というか千春にとっては願ったり叶ったりだった。
むしろ炉はあって当然なのだが。
今回のイベント、発生条件は鍛冶職である事、自分で狩った一角兎の毛皮の所持数が10枚以上ある事、プレイヤー性別が女性である事の三点。
そしてこのイベントは一度きりというか、ゲーム全体を通して一度しか発生しないイベントである。
このイベントが誰も発生させられずに残っていた理由は、女性プレイヤーで鍛冶職を選択した人の少なさに尽きる。
二階には四部屋の個室がある。
「とりあえず陽当たりのいい部屋はわたしのプライベートルームとして確保ね。残りはそんな日が来るか分からないけど客室という事にしておきましょう」
フレンド登録しているプレイヤーもいないので今の所、呼べる誰かは本当に一人もいないのだが。
部屋はベッドと作業机、サイドテーブルがあるだけのシンプルな部屋だ。
あと壁に埋め込まれる形で大きなクローゼットもある。
ぼふんっ、とベッドに倒れれば、全身が沈むほど柔らかいマットレスだった。
「ああ、最高だ……」
このまま寝てしまいそうになり、慌てて顔を上げる。
しかし油断すればすぐにでも寝てしまいそうだった。
「寝たら……朝まで起きれない……たぶん……」
悲しいほど確信がある。
そして、そうなれば確実にダイブ禁止令も出るだろう事にも確信が持てていた。
一通り家を見られた事で満足できた千春は、すぐにログアウトした。
そしてダイブ用のヘッドギアを付けたまま寝てしまい、翌朝、母親に怒られるのだが、それはまだ数時間ほど未来の話である。




