Track.05-1
朝7時。文化の日の空気はまだ冷えているが、昼頃には暖かくなるだろう。開かれた正門を潜り、歩みを進める。
「おはようございまーす」
『おはようございます』
実行委員会本部を設営した教室に入ると、すでに来ていた委員たちが挨拶を返しながら、コンビニの袋をガサガサとやっていた。
開いている席を見つけると腰を下ろし、クリアファイルを取り出す。A4のコピー用紙には時刻が刻まれており、ステージプログラムと各課のおおまかな動きが記載されている。ホッチキス留めされた2枚目、3枚目には全体での共有事項、よくある質問に対するFAQがつけられている。受付・誘導を担当する広報課としてはこれには入念に目を通しておきたかった。特に去年の経験を踏まえて、回答に詰まった事項にマーカーで色をつけていく。広報課の担当業務を鑑みると資料はこの程度で済むが、他の課はこれでは済まない。運営管理課はレンタル機材の貸出と回収のためのチェックリスト、機材持ち出しを予定している学生の名簿作成に余念がないし、今現在も事務室から借りた鍵を持って、展示教室の解錠に走り回っている。企画課はステージ企画の台本を読みあわせながら機材出しやBGMの頭出しについて意見を今も交わしている。その他にもメインゲストの控室へのケータリング準備とこちらも緊張感が漂っている中、委員長がのっそりと委員の前に歩み出る。
「よし、朝礼を始めるぞ。おはようございます!」
よく通る大きな声に手元のプリントが震え、共振する様に委員たちも挨拶を返す。
「いよいよ当日を迎えました。ここまで来ることができたのは各課がそれぞれの務めに邁進してきたからです。あらためて言うことはありません。けが無く一日を終えましょう」
業務開始!の号令と共に委員が一斉に動き出す。
「チームリーダーはトランシーバー持ったら、開通確認しろよ」
「パンフレット受付に出すぞ。台車に立看板も積んでいけ」
「ステージPAさんいらっしゃったぞ。担当者ご挨拶行ってこい」
口火を切ったぼくらの長い一日は早くも波乱だった。
「本部よりY田、本部より運営管理課Y田。聞こえますか?本部に戻ってきて」
「Y田より本部。ガスボンベを取りに来ない団体があるので戻れません」
「了解。本部より連絡します」
本部に詰めている委員が電話をかける。
「○○さん?ガスボンベ貸出時間もう過ぎてるんですけど。あと5分で取りに来ないと出展停止ですよ?」
静かだが怒気を孕んだ応対が朝から続く。実行委員が入念な準備をしようとも、出展する学生との意識差は生まれる。1テントの中だけで完結する学生団体とそれらの集合体を統括する実行委員の視野の違いともいえた。
そんな感じで大小様々なトラブルを解消しながらその時を迎える。
「本部、間もなく定刻です。開場よろしいか?」
正門前の受付から本部に判断を仰ぐ。目の前には開場を待つ来場者の列。受付の背後からは出展学生の視線。そして身構える受付スタッフたち。ほんの数秒、しかし重苦しい時間をザザザッとトランシーバーのノイズが揺らす。
「こちら本部、定刻通り開場してください」
指揮者のように拳を上げるとスタッフ全員がちらりとそれぞれの腕時計を見る。あと2分……1分……
「それでは開場いたします」
発声と共に拳が振り下ろされる。正門前のコーンとバーが片され道が開通すると、行列がゆっくり前に歩みだす。
「こちらパンフレットになります」
その左右でスタッフがパンフレットを用意する。ひとりで参加している人もいれば家族や友人連れで参加している人もいるだろう。だから全員に渡すのではなく、希望者が受け取りやすいように差し出すのがポイントだ。それでも列から伸びた手は次々とパンフレットを持っていく。
「こちらでもお配りしております」
列が止まらないように正門から入って少し奥のところでもパンフレットの配布を行う。パンフレットを正門で受け取れなかった人の逆流を防ぐ狙いだ。受付テントではパンフレットの配布傍らカチカチとカウンターを押して来場者の数を数える。多少のブレはあるだろう。しかしこの人数とパンフレットの配布数こそが、広報課の仕事の成果なのだ。
待機列があらかた入るとステージではオープニングイベントが始まる。漫談の様なにぎやかなMC2人に呼ばれてステージ中央に立つ実行委員長。朝礼で実行委員にむけたメッセージとほぼ同じ内容を口にしたかと思えば、プロレスラーの様に拳を高く上げる。がたいのいい男なので様になったポーズに拍手が沸き上がる。その拍手を奪うようにタンタン、タンタンとドラムがリズムを刻み、そこにサックスの音が重なっていく。
「それではオープニングアクト。有志学生によるジャズセッションです」
こうして学園祭は幕を開けた。
それから時間はあっという間に過ぎていく。受付をパンフレット配布と来場者の集計を最少人数で行いながら、他の広報課メンバーは要所に立っては展示教室やステージの案内を行う。その間もスマホとデジカメを模擬店やステージに向けて、SNSや成果報告用の写真撮影を行う。
「本部聞こえますか?運営管理課、担当者います?」
「はい、こちら運営管理課。どーぞ」
「13番の模擬店ですが、事前申告にないもの売ってるみたいです。確認お願いします」
「了解っ!」
トランシーバーには今も情報が錯綜している。自分もそこに参加する。
「こちら誘導担当。ゴミ箱Aがいっぱいです。袋はこちらで代えるので、回収チーム回してください」
「こちら回収チーム。ただいまゴミ箱Cを対応中。終わり次第向かいます」
昼を迎えてゴミ箱周りの対応が激しくなっていく。香ばしい匂いの立ち込める往来を人々が行きかい、その片手にパックをパンパンに膨らませたやきそばやフライドポテトを持っている。購入者が多ければ多いほどゴミ箱が満杯になるペースは早く、実行委員としては盛況な様子がうかがえた。
「先輩、交代です」
回収チームより早く広報課のメンバーがやってきて軽く敬礼する。
「そんな時間か……飯食ってきたか?」
「お先にいただきました」
軽くおどけて見せられれば信用するしかない。トランシーバーを預け、連絡事項と軽い注意事項を伝えてその場を後にする。
「おつかれさまです」
本部に戻るとトランシーバーを片手にトップチームが指示を出している。その机とは離れたところに同じように休憩に戻ってきている実行委員たちが固まっていた。用意された弁当を食べながら模擬店のことを語り合う者もいれば、すでに疲労困憊と仰向けに寝ている者もいる。自分も今朝、冷蔵庫に入れたものを取り出し席に着く。
ぺりっと大きめのゼリーのふたをめくりプラスプーンですくっては、よく冷えたエナジードリンクで流し込んでいく。弁当よりも手間なくエネルギーをとれるような気がしての組み合わせだ。もちろんエナジードリンクだけでも良いのだが、腹に重りを入れ食べた感覚を与えるためのゼリーでもある。
ふぅ、と一息つくと机に伏せる。朝から歩き回っていた疲労が体にのしかかり、それに引きずられるように意識も闇に沈んでいく。
……
どれくらいたっただろうか。世界が音を取り戻していく。いや、沈んでいた意識が浮上し鼓膜が音を認識しだしただけだ。やや重い頭を上げて時計を見れば15分ほど経過していたが、それでもブラックアウトした脳には数秒のことにも1時間のことにも思えた。そんなズレた感覚を引き戻す声が聞こえた。
「ソレイユさん、控室に入りました」
案内を終えた企画課のメンバーが本部に入ってくる。
「了解」
と委員がホワイトボードにチェックを入れる。午後のプログラムに向けて歯車が回り始める予感を感じながら、ぐっと体を伸ばして頭をクリアにする。
「さて、行くか」
推しが近くにいるからといって浮かれてはいられない。推しを迎えたからこそ不備なくことを終えること、その決意を胸に休憩を終えるのであった。




