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Track.03

目の前は真っ暗だった。どこまでも続く闇。意識は深く沈み、水の中を漂っているような感じだ。

(何とかしなければ)

そう思っても体の自由が利かない。いらだつように唸る心を静めるように、甲高い音が耳を打つ。

チュン、チュン……

窓の外から聞こえるスズメの鳴き声にきっかけに、喉からうーんと唸り声をふり絞りながらベッドに沈んでいた背中を伸ばす。歯車のように噛みあった筋肉が肩、腕と動力を伝えていき運動が意識の支配下にあることを思い出させる。ようやく開けた視界で天井を見た後、枕の横のスマホを捉える。7時10分。遅くもなく早くもないいつも通りの起床時間。掛け布団を半分に折るように投げると転げるようにしてベッドを降りる。一回部屋を出て顔を洗うと、また戻ってきてテレビをつける。スマホで情報は得られるとはいえ、時計代わりにするにはやはりテレビが向いている。天気予報の画面の端に表示された時刻を確認すると、クローゼットから服を探すことにした。

着替え終わってベッドに腰掛ける。時刻を見れば7時30分。時間だった。

「お次はこちら」

MCが手をふると画面はスタジオから外の風景へと切り替わる。

「おはようございます!それでは今日も行ってみましょう!」

タイル舗装の路面を踏むサンダル、シックなパターンのスカートの裾が揺れ白い肌がかすかにのぞく。後ろで組んだ細い指、肩越しに振り向く女性はやわらかく微笑んでいる。ソレイユシンフォニーのメンバーがそこにはいた。

「今日はこの組み合わせか」

彼女たちが登場するのは週1回、おはようTV内10分程度。地域のお店や観光スポットを紹介するコーナーに出演している。4人全員が揃うことはほとんどなく、大抵はふたり一組で特集を紹介していくスタイルだ。出演メンバーは固定ではなく、毎週パートナーを変えながらの出演だ。SNSで事前に告知をしているので、一推しならチェックするがそうでない時はスルーという話題もファンの間ではあったりする。ちなみに自分は毎週見ている。

「おいしい!」「かわいい~」

笑顔とはじけるキャンディをトッピングされたかき氷をほおばるふたりは本当にかわいくて、今日もがんばれる。という気になってくるし、次に会った時の会話のきっかけになると思うと、欠かすことはできなかった。

コーナーも残り1分ほどになると、画面の下にソレシンの最新の情報がテロップで表示される中、「また来週!」と手をふるふたり。

表示される情報はこれまで、CDリリースの案内や結成記念ライブの告知、モールでのイベントの告知などがあった。その傾向から学園祭出演は紹介されてもおかしくないと思えてくる。推しをステージに立たせるという個人的願望を何としても叶えたい、その賛同者を増やし訴える材料としてこのコーナーの存在は大きいと考えている。企画課に期待していないわけではない。それでも次善の策を用意すべし、とスマホのメモに思いの丈を打ち込まずにはいられなかった。


昼休みも終わり、実行委員会室に顔を出す。今日の講義はあと1つあるのだが、最終時限となっており約3時間は先のこととなる。時間割としては気に入らなかったがとりたい科目であったこと、進級してからの就活と単位取得を考えれば今のうちに履修しておくのが正解に思えた。それに時間を潰す場所もある。

「おつかれさまです」

先に来ていた実行委員たちは各々好きに過ごしていた。長ソファで仮眠をとる者、折りたたみテーブルを2本並べて作った会議卓の上に広げられた課題の資料、その前で調べものか現実逃避かスマホをいじる者、遅めの昼食をとる者と様々だ。

自分は壁際の事務机に腰掛けるとPCを操作すると広報課宛のメールのひとつに目に留まる。

From:xx印刷

[xx大学様:今年度ご挨拶について]

(きたきた!)

と思いながら文面を確認していく。これが自分が実行委員会に所属する理由のひとつであった。


入学したての1ヵ月、キャンパス内は大変にぎやかである。右も左もわからない新入生、時間割を組み立てたものの突然の教室変更に翻弄される上級生、さらに校舎と校舎を移動しようとすれば各サークルが勧誘をかけてくる。自分はそれらから身を隠すように静かなキャンパスライフをスタートした。知りたいこと、学びたいことに漫然と触れていられればいい。それが入学の動機で、ともだちを作ったりサークルに入ったりということにはさほど興味はなかった。学園祭の実行委員会など陽キャ・熱血の集団という偏見もあり近づくことのない第一党であるとすら考えていた。そんなある日のことである。

いつも通り講義を受けていると、前方のドアががらりと開いて学生がひとり入ってくる。同じ講義では見たことのない顔で遅刻者というわけではなさそうだった。教壇の教員は叱るではなく、わかっていたといわんばかりにその場で待機するよう目で指示する。

「さて、ここまで出版業界のあり方、仕組みについて紹介をしてきましたが、本日は実際に[本を作る]ということについて知ってもらいたいと思います」

教員はそういうと待機していた学生を招き寄せる。

「はじめまして、経済学科3年のK島です。学園祭実行委員をやっています」

学生はそういうと1冊の冊子を掲げてみせる。

「これは昨年の学園祭のパンフレットです。今日はこのパンフレットが納品されるまでの流れについて説明したいと思います」

K島はプロジェクターに様々な資料を映し出し説明していく。印刷業者との打ち合わせ、納品から逆算した原稿の締め切り、パンフレット全体の流れ・構成、原稿を集めてから初稿までの作業、初稿から校了までの赤入れなど実際に使用された資料とそれにまつわる生々しい思い出を時に流暢に、時に言い淀みながら語っていく。

「本当の出版業に比べれば生易しいものだと思います。それでも本業と同じことを体験できる貴重な機会となるはずですので、気になった方はぜひ実行委員会に入ってください」

K島の一礼と共に終礼のベルがなり講義は終わる。聞けばこの[出版産業論]では毎年恒例の行事なのだという。担当教員が学園祭実行委員会顧問と親交が深く、広報課員をリクルートする機会として催している。担当教員としては実務体験の機会と授業準備の時間を短くできるメリットがあるため継続しているのだそうだ。そうしてその術中に見事にはまった自分を含めた数人が実行委員会の扉を叩いたのである。

K島の語り口、人柄がよかったこともあるが、やはり印刷業者とのやりとり、紙面デザインなど[重版出来]や[バクマン]、[復活!虹北学園文芸部]で描かれている[本の裏側]をめくりたいという好奇心は今も尽きず、進級した後も広報課員として活動を続けている。ちなみに講義の参考文献は[青い鳥文庫ができるまで]であった。


2年生であるが広報課の実務を取り仕切る役を預かっているので、印刷業者への返信メールを打ち始めると、企画課員の声が扉の外から聞こえてくる。

「本当ですか!ありがとうございます!」

対話の相手の声は聞こえない。電話だろうか。それにしてもいつになく大きな声にたむろしていた委員たちは顔を見合わせる。

がらりと扉が開き、興奮気味の企画課員に皆の視線が集中する。

「いったいどうしたっていうんだよ」

あまりのテンションの高さに、やや冷ややかな声が投げかけられるが、企画課員はそんなもの意にも介さず、されど扉を閉めたことを確認して拳を握りしめる。

「エージェントがやってくれました」

「おい、それってまさか」

手の中でマウスが軋む。静まり返った室内でかちりかちりと秒針が時を刻む。

「ソレシン……出演決定です」

息の抜けるような声で呟くと、企画課員はスターを前に失神するファンのように崩れ落ちる。

わっと沸く歓声が窓ガラスを揺らす。

「まじで?まじで?」

久々の成功体験に委員たちは沸き立つが、企画課員はよろよろと起き上がり静まるように手で制す。

「抑えて、抑えて。まだオフレコ!オフレコだから」

実務担当者として分かち合いたい興奮をいったん抑えて、職責を果たそうとする。

「次の定例会でちゃんと報告するから、それまで忘れて!お願い」

とは言うものの、その声はかすれて言葉になっていない。

「しかし、よかったね。大金星じゃん」

「いやね、エージェントもソレシンのこと気になっていたんだってさ。それでうちからのオファーをきっかけにして……」

と聞いてもいないことを話し出すが、気持ちはわからなくはない。ここ数年の外部ゲストのラインナップに比べ明らかに華のあるゲストを招へいできることで企画課としては鼻が高いだろう。しかもこれは一課だけの問題ではなく、全体に波及する。知名度のあるゲストを呼べる学園祭として、実行委員ひとり一人のモチベーションは間違いなく上がる。今年の学園祭への熱量は俄然変わってくるだろう。

「それでアー写と解禁日についてはいつもらえるの?」

「おい、広報課。気が早いよ」

投げかけられた実務に企画課員は呆れてみせるが、こっちはそれどころではない。実務の話でもしていないと、浮ついた口元を隠せないようで気が気でないのだ。

「まだ出演が決まっただけで、他のことは全然だから時間ちょうだい。あー、もう今日はさぼるわ」

と企画課員はパイプ椅子に座ると会議卓に突っ伏す。皆が労いに何か欲しいかと問うと、アイスというのでひとりが購買にそれを買いに行く。

「みんなも食べるだろ?」

戻ってきた委員がカップアイスを配り、ささやかな祝杯が上がる。硬い表面をスプーンで削り頬張るとラムネの爽やかな味に続いて、粒上のキャンディがぱちりと爆ぜる。

(きょうのおはようTVはこれに似たアイスを紹介していたな……)

ランダムに選ばれたはずのアイスがラッキーアイテムに思えてくる。熱くなった体に冷たい甘みは心地よかった。

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