Track.02
「はじめまして、だよね?お名前教えて!」
彼女の第一声はそれだった。愛らしい声で、無垢な瞳でこちらの顔を覗き込んでくる。2歩も離れていないところに立つ彼女は、女性としては背は高く向き合えば交わる視線にどぎまぎしてしまう。何と答えようかと考えているところで、通りがかったスタッフから名刺大の紙片を受け取ると、彼女は手にしたサインペンで紙片に何かを書いていく。
「どうして来てくれたの?」
ソレイユシンフォニー定期公演。月に1回、都内のライブハウスでソレシンは単独公演を行っており、ソレシンの楽曲を楽しめる機会に多くのファンが集まっていた。フロアと呼ばれる客席はポールテープで前後に分けられている。映画鑑賞料金よりも高い価格設定のフロア前方に比して、後方はかなり手ごろな価格となっており初めて足を運ぶ大学生にはちょうど良く思えた。
「前にモールで見たことがあって、すごくいい曲だと思ったからまた聞きたくて」
「うれしい!あそこで見てくれたんだ」
はにかみながら彼女は紙片に、チェキと呼ばれるインスタント写真に日付やサインを書き込んでいく。30分間のライブが終わると特典会と称した販売交流の時間が設けられている。チェキ撮影券を購入し、気になったメンバーのところに持っていくとこうして撮影とお話しできるという仕組みだ。
「今日は違う曲をやったけど、どの曲がよかった?」
「今日のだと3曲目がよかったよ」
「あの曲、私も好きなんだ。曲名書いておくね」
余白に曲名を書き込み、それを差し出した彼女は「また来てね」と手をふる。
「またね」
と手渡されたチェキを持ったままの手をふった。フロアにメンバーの数だけできた撮影列をかき分けながら出口へ向かう。ファンたちは今日の感想などを口々に語りあったり、スマホをいじって順番を待っている。外に出て重い防音扉を閉めると、中の喧騒など嘘のように聞こえる音は一変するが、耳に残る余韻と白枠の長方形の中でほほ笑む彼女がそこであったことを証明していた。
あの定例会から1週間後、同じ時間同じ教室に実行委員が集まり、各課の進捗状況を報告する。この日のメインは一般学生への出展説明会の進捗状況だった。全体のタイムテーブルと各課が配布を予定している資料が共有されている。もちろん昼休みの短い時間で資料のすべてについて議論することはできないため、各々空き時間に目を通せということにはなる。
特に運営管理課の資料は多い。出展にするにしても飲食系は調理器具を必要とすることが想定される。そこで業者を通じてレンタルできる調理器具のリストを筆頭に、出展希望場所の申請書や食中毒予防のための保菌検査の案内など説明資料と申請書で10ページは配布するつもりのようだ。課を構成するメンバーも先日のT岡をはじめ、真面目で頑固だが頼りになるメンバーだ。その分、ノリと勢い重視のお祭りチーム企画課とはよく衝突しているが、最終的にすり合わせてうまくいっている。こういう毛色の違う学生が一同に会すというもの実行委員会の面白さであると感じる。
自分の所属する広報課も今回の説明会では配布する資料を用意している。広報課はその名の通り、学園祭広報を主業務としておりホームページやSNSでの情報発信、ポスターの作成と学内外への掲出などを担っている。当日のパンフレットを作成するのも広報課の業務となるため、説明会ではパンフレットに掲載する出展者の自己紹介原稿について案内することとなっている。
広報課、会計課による配布資料の確認が終わると、企画課の番となる。企画課としても学生によるステージイベントの参加案内を行う予定だが、同席する実行委員が求めているものはそれではない。
「それで……ゲストの方はどうなった?」
委員長が進捗を問う。ソレシンの名を出さないのは過度な期待を持たせないためだろう。
「……エージェントからの返信待ちです。もうしばらくお待ちください」
企画課長の2年生が答えると、溜息と唸り声が教室に満ちる。誰もが結果を待ち望んでいるのだ。
「商工会の方は?」
委員長がT岡に話題をふる。
「集めた情報は企画課に渡したので、俺から言うことはありません」
T岡は事実と立場を明言する。あくまで彼は商工会に顔が利く運営管理課のメンバーであり、ゲスト招へいは企画課に任せるつもりだ。
「わかった。それでは企画課は引き続きよろしく頼む。よい報告を期待している」
そうして会は締めくくられる。
「で、実際どうなのよ?デッドラインもあるだろ?」
と、いつものように教壇前での首脳会議が始まる。
「エージェントは繋いでくれそうなの?商工会は直接オファーだったっていうから、動けば早いと思うぞ」
T岡が詰め寄るが、企画課長はそれを制する。
「こっちにも都合があんの。実際エージェントが動いてくれてるし、ここで直接交渉しましたってやったら、来年のゲスト招へいに影響でるかもしれないじゃん」
そんなやり取りを聞きながら教室を後にする。自分にとってはまたとない機会に何かをしたくなる。スマホを取り出し、SNSアプリを立ち上げるとソレシンの公式アカウントへアクセス。プロフ欄のメールアドレス横に記載された「出演依頼はこちら」の文字。「出演依頼」自体は企画課がまだ調整している。ここで自分がでしゃばるわけにはいかない。だが……メールアドレスをコピーしてメーラーに本文を書き込む。
[〇月〇日xx大学の学園祭出演依頼について届いておりますでしょうか]
これくらい聞いてもいいのではないだろうか。下書きに保存して逡巡する。これだって出すぎているとは思う。なら定期公演で直接聞くか?幸い直近の定期公演が数日内にある。1年間定期公演に通ってきて、事務所スタッフにも顔を覚えられているし、広報課員は学外へのポスター掲出依頼のために名刺を持たされているから、それを見せれば話は早いかもしれない。結果を得たい欲求と職域越権に対する葛藤にその日の講義はほとんど頭に入らなかった。




