第八話 氷の地の向こう側へ
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
第八話 氷の地の向こう側へ
馬車が王都の重厚な城門を抜け、見慣れた景色が遠ざかっていく。
車内に揺られながら、私は窓の外を流れる緑を見つめていた。数日前まで私の世界を縛っていた「侯爵令嬢」という鎖が、今、物理的な距離と共にちぎれていくのを感じる。
「……リリアーヌ。そんなに窓の外が珍しいか?」
向かい側に座るカイルが、可笑しそうに口角を上げた。彼は鎧を脱ぎ、ゆったりとした黒の私服に身を包んでいる。学園にいた頃の刺々しい冷気は消え、どこかリラックスした様子だ。
「ええ。屋敷と学園の往復ばかりでしたから。こうして自分の意志で、自分の行き先を決めて旅をするのは、生まれて初めてなんです」
「そうか。だが、北の地はお前の想像以上に厳しいぞ。雪は深く、魔獣も出る。王都のような華やかさとは無縁だ」
「望むところですわ。華やかな場所には、必ずと言っていいほど面倒な人間関係がついて回りますもの。……カイル様、改めてお聞きします。本当に私のような『厄介者』を連れて帰って、良かったのですか?」
私の問いに、カイルは窓の外へ視線を移した。
「厄介者だと? 勘違いするな。俺が連れ帰るのは、ヴァルデール家の操り人形じゃない。全属性を使いこなし、侯爵家を正面から論破し、あまつさえ俺に交渉を持ちかけてきた、一人の自立した女性だ。……俺の領地には、お前のような知恵と力を持つ者が必要なんだ」
カイルの声は静かだが、確かな熱を帯びていた。
前世で、どれだけ成果を上げても「女のくせに」「若造が」と正当な評価をされなかった私にとって、その言葉は何よりも胸に響いた。
数日後、馬車は急峻な山道を越え、カイルの治めるギルフォード領へと入った。
眼前に広がったのは、針葉樹の深い森と、遠くにそびえる万年雪を頂いた連峰。王都の柔らかい空気とは違う、凛として透き通った、身の引き締まるような冷気が肌を刺す。
「……綺麗」
思わず言葉が漏れた。
前世で疲れ果てた心が見たかったのは、こんな、厳しくも偽りのない景色だったのかもしれない。
「リリアーヌ、ここからが俺の領地だ。まずは城へ向かうが……おい、何をしている」
カイルが呆れたような声を上げた。
私は馬車の窓から身を乗り出し、指先を空に向けていたのだ。
「少し、ご挨拶を。……精霊たちよ、道を拓いて(パス・ファインダー)」
私は風属性と火属性の魔力を微細に編み合わせ、馬車の進行方向に向けて放った。
凍りついた路面の霜が瞬時に蒸発し、行く手を阻む積雪が左右に割れていく。さらに、寒冷地特有の重苦しい大気を、光属性の魔力で浄化して活性化させた。
馬車を引く馬たちが、驚いたように、しかし軽やかに速度を上げた。
「……お前、旅の疲れも見せずに即座に環境改善か。本当に、休むということを知らないな」
「社畜の性は、なかなか抜けないようでして。……カイル様、私、この地が気に入りました。私の魔法を、ここの産業や守備にどう役立てるか、今から楽しみでなりませんわ」
私が不敵に微笑むと、カイルは参ったなというように肩をすくめ、それから力強く私の手を握った。
「好きにしろ。ただし、領主夫人の仕事も忘れてもらっちゃ困るがな」
「ええ、もちろん。ですが、まずはこの領地の台帳を見せていただけますか? 効率化できる部分が山ほどありそうですから」
「……ははっ、全属性の賢者は、事務作業も最強というわけか。いいだろう、望むところだ」
北方の城、ギルフォード城に到着した私たちは、領民たちの驚愕と熱狂に近い歓迎を受けた。
王都から来た「ひ弱な令嬢」だと思われていた私が、一瞬にして城門の氷を溶かし、庭園に季節外れの温かな風を吹かせたのだから無理もない。
その夜、私は城のバルコニーから、広大な北の夜空を見上げた。
満天の星々が、まるで祝福するように瞬いている。
王都では、今頃ミレーヌの処遇を巡って大騒動になっているだろう。両親も、失ったものの大きさに気づいて、地団駄を踏んでいるかもしれない。
けれど、もう私には関係のないことだ。
私は、愛されるためだけの「人形」であることをやめた。
これからは、私の力で、私の大切な場所を守り、私の望む未来を創っていく。
「……おやすみなさい、過去の私」
私はそっと、前世と今世の「悲劇」に別れを告げた。
冷たい風の中に、確かな春の予感を感じながら。
私は、新しく手に入れた自由という名の翼を広げ、カイルと共に、この北の地から新しい伝説を書き記していくのだ。
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