第四話 綻びゆく楽園
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
第四話 綻びゆく楽園
魔法学校に入学して三ヶ月。
学園のパワーバランスは、緩やかに、しかし確実に歪み始めていた。
ミレーヌの「魅了」は強力だ。だが、それは劇薬と同じで、過剰に摂取し続ければ対象の精神に副作用をもたらす。彼女は自分を愛させることに執着するあまり、無意識に周囲の魔力を吸い上げ、依存させるような魔法の使い方をしていた。
その違和感に最初に気づいたのは、皮肉にも彼女を最も熱狂的に崇拝していたはずの上級生たちだった。
「……おかしいんだ。ミレーヌ様と離れると、吐き気がするほど体が重い」
「彼女の笑顔を見ていないと、自分が自分でいられなくなるような……」
食堂の隅で、やつれた顔の生徒たちが囁き合っている。
彼らの瞳からは生気が失われ、まるで何かに魂を削り取られたような影が差していた。ミレーヌの「愛されている」という全能感の裏側で、周囲の人々は精神的な渇望状態に陥っていたのだ。
私は図書館の最奥で、分厚い魔導書を広げながらその様子を観察していた。
もちろん、私自身は全属性の魔力で精神防御を固めているため、彼女の毒に当たることはない。
「……趣味の悪い光景だな」
不意に、隣の席にカイルが座った。
彼は最近、私の「目立たない聖域」に当然のように踏み込んでくる。
「何のことでしょうか、カイル様」
「惚けるな。あの妹の魔力だ。ありゃあ『魅了』なんて可愛いもんじゃない。精神を侵食する呪いに近い」
カイルは鋭い視線で、中庭で取り巻きに囲まれるミレーヌを睨みつけた。
彼は闇属性の使い手ゆえに、他人の魔力の「質」に敏感なのだ。
「ミレーヌ様は、ただ皆に愛されたいだけですよ」
「その代償に周囲を廃人にするつもりか? 第二王子を見ろ。あれはもう末期だ」
視線の先には、エドワール王子の姿があった。
かつての凛々しさは影を潜め、ミレーヌの顔色を伺うだけの操り人形のようになっている。彼の瞳にはハイライトがなく、言葉を発するたびにミレーヌの肯定を求めて震えていた。
ミレーヌの「完璧なヒロイン」という舞台装置は、土台から崩れ始めていた。
あまりにも異常な心酔ぶりは、教師陣や、魅了に耐性のある一部の優秀な生徒たちの間で、疑惑の種として芽吹いていたのだ。
そんなある日の放課後、事件は起きた。
中庭の噴水前で、ミレーヌが数人の女子生徒に詰め寄られていたのだ。彼女たちは、ミレーヌの力に当てられた婚約者たちが自分たちを冷遇するようになったことに不信感を抱き、ついに直談判に及んだらしい。
「ミレーヌ様! あなた、一体彼らに何をなさったの!?」
「ひどいわ……皆、以前の彼らじゃないみたい。まるでお人形よ!」
ミレーヌは、いつものように可憐に首を傾げた。
「私、何もしていませんわ。皆さんが勝手に私を慕ってくださるだけで……。そんなに怒らないでください。悲しいですわ」
彼女が瞳を潤ませ、桃色の魔力をふわリと解き放つ。
いつもなら、これで全員が骨抜きになり「悪かった、僕たちが君を守るよ」と騎士たちが駆け寄ってくるはずだった。
しかし。
「……っ、やめて! その、変な匂いのする魔法を向けないで!」
一人の女子生徒が悲鳴を上げて顔を覆った。
拒絶。
ミレーヌの魔法が、初めて明確に「不快なもの」として弾かれた瞬間だった。
周囲で見ていた生徒たちの中にも、ハッとしたように表情を変える者が続出した。一度「これは不自然だ」と認識してしまえば、魅了の魔法は効力を弱める。
「え……?」
ミレーヌの顔から、余裕の笑みが消えた。
彼女は必死に魔力を練り、出力を上げようとする。だが、焦れば焦るほど、その魔力はどろりとした執着の色を帯び、周囲の忌避感を煽る結果となった。
「お姉様! お姉様、助けてください!」
人だかりの向こうに私の姿を見つけたミレーヌが、縋るような声を上げた。
周囲の視線が一斉に私に集まる。
私は本を閉じ、静かにため息をついた。
(目立ちたくないって、言ってるのに……)
私はゆっくりと歩み寄り、彼女の前に立った。
ミレーヌは私の腕を掴み、小声で毒づいた。
「お姉様、早く何とかして。あの女たちを黙らせて。お姉様の得意な、あの地味な水魔法で冷やしてやればいいのよ!」
その言葉は、周囲にも筒抜けだった。
可憐な聖女の口から出た「地味な水魔法」という蔑みの言葉に、場が凍りつく。
私は彼女の手を優しく、しかし確実に振り払った。
「ミレーヌ。魔法は、誰かを支配するためにあるのではないのよ」
私は指先を小さく振った。
ミレーヌが周囲に撒き散らした桃色の霧を、極薄の水膜で包み込み、中和していく。水属性の洗浄効果。全属性を扱える私にとって、これくらいの魔力浄化は造作もない。
空気が澄んでいく。
正気に戻った生徒たちが、呆然と自分の手を見つめている。
「……リリアーヌ様?」
「今、何をしたの……?」
驚愕の視線。
隠していた実力の一端が、図らずも露呈してしまった。
背後でカイルが「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめているのが気配でわかる。
ミレーヌは、自分の「武器」が無効化されたことに、かつてない恐怖を感じたような顔で私を見上げていた。
「お姉様……あなた、水しか使えないはずじゃ……」
「いいえ、ミレーヌ。私はただ、あなたを愛する家族の邪魔をしたくなかっただけよ」
私は完璧な、慈愛に満ちた姉の仮面を被って微笑んだ。
その笑顔が、今のミレーヌにはどんな攻撃魔法よりも恐ろしく見えたはずだ。
この日を境に、学園の噂は一変した。
「魅了で人を操る偽りの聖女」と「それを静かに見守り、浄化した隠れた才女」。
私の望んでいた「目立たない生活」は、妹の自滅によって、音を立てて崩れ去っていった。
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