第95話 ウミガメは今日も働いている
「ウミガメ見に行こうよー」
キンメダイが突然言った。
「ウミガメ?」
「うん。イルカ浜にいるんだって」
「イルカ浜?」
川奈漁港のすぐ横にある浜だ。
俺たちが普段いる日蓮像前の沖からも、そう遠くない。
「近所なのに行ったことなかったな」
「行こうよー」
俺たちはウミガメを見に、イルカ浜へ向かった。
◇
漁港の横まで来ると、海底の様子が少し変わった。
砂地にはキス。
砂に紛れてマゴチ。
磯場にはネンブツダイの群れがいて、ブダイやメジナも泳いでいる。
「結構いるな」
「ウミガメどこっすかね?」
探すまでもなかった。
大きな影が、向こうからゆっくり近づいてくる。
「あ、いたー!」
キンメダイが駆け寄った。
でかい。
大きな甲羅に、太い前脚。
ウミガメは俺たちの前まで来ると、慣れた様子で止まった。
「こんにちはー」
「こんにちは!」
「ウミガメだ……」
「ウミガメだよ」
知ってる。
「この辺に住んでるの?」
「うん。毎日ここで働いてる」
「働いてるの!?」
思わず聞き返した。
「何の仕事?」
「人間を喜ばせる仕事」
「そんな仕事あるの!?」
ウミガメは少し疲れたように息を吐いた。
「大変だよー。夏なんて人間いっぱい来るから」
「へえ……」
「朝からずっと相手しなきゃいけないし」
「人気者なんだ」
「休む暇ないよ」
「そんな忙しいんだ……」
ちょっと気の毒になってきた。
「何するの?」
「餌やりとか」
「あ、それ楽しそう!」
「やってく?」
キンメダイが目を輝かせた。
「やるー!」
「じゃあ餌取ってきて」
「…………」
「え?」
ウミガメが俺たちを見る。
「餌」
「俺たちが取ってくるの?」
「そうだよ」
「…………まあ、餌やりだからな」
キンメダイとイトヨリダイが、その辺を探し始めた。
しばらくして、食べられそうなものを持って戻ってくる。
「これでいい?」
「うん」
ウミガメが口を開けた。
「はい、どうぞ」
「なんで食われる側が言うんだよ」
キンメダイが餌を差し出す。
ぱくっ。
「食べたー!」
「おいしい?」
「うん」
「かわいいっすねー」
ウミガメは満足そうに飲み込んだ。
「ね?」
「何が?」
「喜んでるでしょ?」
「キンメダイが?」
「うん」
ウミガメが少し誇らしげな顔をした。
「私が食べてあげると、人間もすごく喜ぶんだよ」
「…………食べてあげると?」
「うん」
「お前が腹減ってるんじゃなくて?」
「お腹いっぱいでも食べるよ」
「なんで?」
「仕事だから」
「プロ意識出すところそこなの!?」
ウミガメは真顔だった。
「せっかく持ってきたのに食べなかったら、かわいそうでしょ?」
「…………」
「好き嫌いもできないし」
「…………」
「大変なんだよ?」
「ものすごく立派なこと言ってる気がする!!」
キントキダイが冷静に言った。
「餌を取ってきているのは向こうだが」
「そこなんだよ!!!」
ウミガメが俺を見た。
「チカメは持ってきてくれないの?」
「俺はいいよ」
「…………」
急に悲しそうな顔をした。
「何!?」
「別に……」
「やめろその顔!!」
「みんなは楽しんでくれたのに……」
「俺が悪いみたいになってる!!!」
結局、俺も餌を探した。
ぱくっ。
「ありがとう」
「…………」
「楽しかった?」
「俺が聞く側じゃないの!?」
◇
「次、甲羅磨きやる?」
「そんなのもあるの?」
イトヨリダイが寄ってきた。
「人間に人気だよ」
「やってみたいっす!」
「いいよー」
ウミガメは岩の横へ移動した。
そして伏せた。
「はい」
「…………」
イトヨリダイが待つ。
ウミガメも待つ。
「…………ブラシは?」
「その辺のでいいよ」
「そこから!?」
イトヨリダイが海藻を拾った。
「これでいいっすか?」
「うん」
ごしごし。
「どうっすか?」
「もう少し右」
「ここ?」
「そこそこ」
ごしごし。
キンメダイも参加した。
「こっちも汚れてるよー」
「お願い」
「はーい」
ごしごし。
俺は黙って見ていた。
ウミガメが言った。
「甲羅磨きも結構大変なんだよ」
「…………誰が?」
「私」
「お前!?」
「ずっとじっとしてなきゃいけないから」
「磨いてる二匹の方が動いてるよ!!」
「途中でどっか行けないし」
「お前の甲羅を磨いてんだからな!!!」
「チカメさん」
イトヨリダイが磨きながら言った。
「これ、あーしたちが働いてないっすか?」
「俺はさっきからそう思ってる!!!」
ウミガメが顔だけこちらへ向けた。
「でも人間、喜ぶよ?」
「だから何で全部それで許されるんだよ!!」
「反対側もお願い」
「まだ働かせるの!?」
「働いてるのは私だよ?」
「この労使関係おかしいだろ!!!!」
◇
甲羅がすっかり綺麗になった。
ウミガメは立ち上がり、体を確認するように一周した。
「うん。いいね」
「お前が査定するんだ……」
「写真も撮っていいよ」
「休ませろよ!!」
「私は大丈夫」
「お前じゃねえよ!!!」
イトヨリダイがスマホを出した。
「じゃあ撮るっすよー」
「うん」
ウミガメが岩の前へ移動する。
前脚を広げた。
カシャ。
少し斜めを向く。
カシャ。
顔だけこちらへ。
カシャ。
「めちゃくちゃ慣れてるな」
「毎日だからね」
「写真も大変?」
「大変だよ」
カシャ。
「同じ人が何回来ても、毎回撮らせてあげなきゃいけないし」
「撮らせてあげてるんだ……」
「昨日も来た人、今日も来たりするよ」
「人気者じゃん」
「そうなんだよ」
ウミガメは少し困ったように笑った。
「私も休みたいんだけどね」
「今まで一回も断ってないの?」
「ないよ」
「偉いな」
「でしょ?」
一瞬、感心しかけた。
そのとき。
派手な色の小さな魚が、イトヨリダイの後ろを横切った。
「あ」
イトヨリダイがスマホをそちらへ向ける。
「綺麗な魚いるっす!」
カシャ。
「…………」
ウミガメが止まった。
「南の方から来た魚かな?」
「色すごいっすねー」
カシャ。
「…………」
「チカメさん、あっちにもいるっすよ!」
「ほんとだ」
「…………」
ウミガメがイトヨリダイを見た。
「今、私の撮影中だよ」
「え?」
「私の撮影中」
「…………はい」
イトヨリダイがスマホを戻した。
カシャ。
ウミガメが笑った。
「うん」
「怖っ!!!」
「何が?」
「いや、なんでもない!!」
キンメダイが派手な魚を見る。
「かわいいねー」
「…………」
ウミガメがキンメダイを見る。
「…………」
「…………ウミガメもかわいいよ?」
「ありがとう」
「言わせてるじゃん!!!!」
ウミガメは再びポーズを取った。
「もっと撮っていいよ」
「まだ!?」
「人間は何十枚も撮るよ」
「イトヨリは人間じゃないよ!!」
「でもスマホ持ってる」
「判断基準そこ!?」
カシャ。
「もっともてはやしていいよ」
「ついに要求し始めた!!!」
「甲羅きれいっすねー」
「ありがとう」
「俺たちが磨いたんだよ!!!」
「かわいいよー」
「ありがとう」
「でかいよー」
「ありがとう」
ウミガメは満足そうだった。
「毎日これやってんの?」
「うん」
「大変だな……」
「本当に大変。いつも私を撮りに来る人もいるし」
「ファンまでいるんだ」
「うん。私のこと好きだから」
「本人がそう言ったの?」
「言わなくても分かるよ」
「…………」
嫌な予感がした。
「先週ね」
「うん」
「その人、別のウミガメも撮ってた」
「…………」
ウミガメは笑っている。
「そうなんだ」
「まあ、ウミガメ好きなんじゃない?」
「違うよ」
「何が?」
「私が好きなんだよ」
「…………」
「だからあの子、勘違いしてると思う」
「どっちが!?」
ウミガメは俺を見た。
「今度会ったら教えてあげなきゃ」
「何を!?」
「人のもの勝手に撮っちゃダメだよって」
「人のものって誰だよ!!!」
「私の人間」
「所有した!!!!」
◇
しばらくして。
俺たちは帰ることにした。
ウミガメは満足そうだった。
餌を食べ。
甲羅はピカピカ。
大量に写真を撮られ。
散々褒められた。
「じゃあ、仕事戻るね」
「まだ働くの!?」
「人間来る時間だから」
「…………」
「忙しくなるよ」
「そっか……」
「今日はまだ三回しか餌食べてないし」
「勤務実績みたいに言うな!!!!」
ウミガメはゆっくり浜の方へ泳ぎ始めた。
「あ、そうだ」
俺は呼び止めた。
「なに?」
「ここ、なんでイルカ浜っていうの?」
「…………」
ウミガメは少し考えた。
「知らない」
「知らねえのかよ!!!」
ウミガメは辺りを見回した。
「イルカなんていないよ」
「やっぱりいねえのかよ!!!」
「…………」
「やっぱり嘘だったんじゃないですか」
「何が!?」
「中に誰もいませんよ」
「何の中だよ!!!!」
そのとき。
沖合を、見覚えのある船が浮いていた。
教祖の海上レクサスだった。
「…………」
「Nice boat.」




