第90話 ハタ、働きすぎじゃない?
事務所を出た俺たちは、再び岩礁の間を泳いでいた。
さっきまで家の二重契約だの、ウニを食った石鯛の強制労働だの、とんでもないものを見ていたはずなのに。
今、俺の頭を占めているのは別の魚だった。
ハタ。
求人を背負って泳ぐハタ。
入口を塞いで自動ドアをやるハタ。
そして交代勤務にやって来るハタ。
「…………ハタ、働きすぎじゃない?」
イトヨリダイが答える。
「需要あるんじゃないっすか?」
「何の需要だよ」
「デカい魚の」
「ざっくりしてんな!!」
キントキダイが言う。
「大きくて力もある。仕事には向いているだろう」
「だからって扉になる!?」
キンメダイが振り返った。
「でも、さっきの扉よかったですよ」
「レビューすんな!!」
*
少し泳ぐと、前方から魚の群れがやって来た。
その群れの横に。
またいた。
ハタ。
今度は数匹の小魚を引き連れて泳いでいる。
「またハタだ!!」
俺が指を差すと、イトヨリダイが見る。
「送迎じゃないっすか?」
「送迎!?」
近づいてみる。
小魚たちはハタの周りにぴったり集まり、そのまま一緒に泳いでいた。
「何してんの?」
ハタが答える。
「送りです」
「本当に送迎だった!!」
小魚が言う。
「大きい魚と一緒なら食べられにくいので」
「警備兼送迎!!」
別の小魚が言う。
「帰りもお願いします」
「往復契約!!」
ハタは何事もなかったように、小魚たちを連れて泳いでいった。
俺はその背中を見送る。
「ハタって何なの?」
キントキダイが答える。
「ハタだ」
「それは知ってるよ!!!」
*
さらに進む。
岩陰に、またハタがいた。
「いる!!」
「何で見つけるたびに驚くんすか」
「さっきから全部働いてるからだよ!!」
そのハタの前には、小魚が何匹か並んでいる。
一匹ずつ前へ出る。
ハタが大きな口を開ける。
小魚が入る。
「食った!!」
しばらくすると、小魚が出てきた。
「出た!!」
次の小魚が入る。
「何これ!?」
イトヨリダイが答える。
「クリーニングじゃないっすか?」
「ハタの!?」
見ると、小魚たちはハタの口の中や体表をつついている。
「逆だった!! ハタが客だった!!」
ハタがこちらを見る。
「休憩中です」
「休憩ちゃんと取ってる!!」
キンメダイが感心した。
「働いたあとのお掃除ですね」
「メンテナンスみたいに言うな!!」
ハタが言う。
「このあと夜勤です」
「休めよ!!!」
*
もう嫌な予感しかしない。
少し先に、また大きな魚影が見えた。
「ハタじゃないよね?」
イトヨリダイが目を細める。
「ハタっすね」
「やっぱり!!」
今度のハタは岩の前にいる。
何もしていない。
ただ、じっとしている。
「よかった……」
「何がっすか?」
「働いてないハタいた……」
俺は少し安心した。
魚だ。
普通の魚だ。
ハタだって、ただ岩陰でぼーっとしている時くらいある。
俺が近づく。
「こんにちは」
「はい」
「今日は休み?」
「いえ」
「…………」
「…………」
「何してるの?」
「場所取りです」
「働いてた!!!」
後ろから魚がやって来た。
「ご苦労」
「交代します」
ハタが場所を空ける。
別の魚がそこへ入る。
俺は目を疑った。
「何の場所取ってたの!?」
「潮待ちです」
「潮待ちに場所取り必要なの!?」
「人気なので」
「海なのに!?」
イトヨリダイが言う。
「並ばなくて済むサービスっすね」
「代行業まで始めてる!!」
キントキダイが頷く。
「自分の体だけでできる仕事が多いな」
「そこなんだよ!!」
ハタには手がない。
道具もない。
資格もない。
なのにデカい。
それだけで仕事が生まれている。
「海の隙間産業を全部ハタが埋めてる!!」
*
ふと後ろを見ると、オニカサゴがこちらへ泳いできていた。
「まだいたの!?」
「ここは私の管理区域だ」
「あ、そうか」
普通に納得してしまった。
怖い不動産屋への適応が始まっている。
オニカサゴは俺たちの横を通り、そのまま岩の先へ向かう。
そこにも。
二匹のハタがいた。
入口を塞いでいる。
「また扉!!」
さっきとは別の場所だ。
オニカサゴが前に立つ。
「私だ!」
すっ。
二匹のハタが左右へ開いた。
「便利すぎるだろ!!」
オニカサゴはそのまま中へ入っていく。
俺はハタを見る。
さっきから気になっていた。
本当に。
それだけで開くのか。
俺も前へ出た。
胸を張る。
少し低い声を作る。
「私だ!」
「どなたですか?」
「なんでだよ!!!!!」
後ろでイトヨリダイが吹き出した。
「顔認証されてないっす」
「同じ言葉言っただろ!!」
「顔が違う」
「認証ちゃんとしてる!!!」
中からオニカサゴが戻ってきた。
「何をしている」
「いや、俺も『私だ!』で入れるのかなって」
「入れるわけないだろう」
「だったらあんたも名乗れよ!!」
「私だ!」
すっ。
開く。
「見せつけんな!!!」
キンメダイが前へ出た。
「私だ!」
「どなたですか?」
「キンメダイです」
「どうぞ」
すっ。
開く。
「普通に名乗れば入れるの!?」
キントキダイも前へ出る。
「キントキダイだ」
「どうぞ」
すっ。
イトヨリダイも。
「イトヨリダイっす」
「どうぞ」
すっ。
俺の番。
「…………チカメキントキです」
「どうぞ」
すっ。
「俺だけ余計なことしたみたいになってる!!!」
オニカサゴが言う。
「余計なことをしたんだ」
「そうだけど!!!」
*
俺たちは入口を抜ける。
二匹のハタが、また元の位置へ戻った。
俺は振り返った。
「なあ」
「はい」
「これ、ずっとやってるの?」
「交代までです」
「次の仕事とか決まってる?」
「今日はこのあと運搬です」
「あるんだ……」
隣のハタが言う。
「私は明日、広告です」
「ハタトラックになるんだ!!」
「空きが出たので」
「求人広告で求人してた仕事にハタが応募してんの!?」
「はい」
「ハタの雇用がハタで循環してる!!!」
イトヨリダイが言う。
「ハタ専門で仕事紹介したら儲かりそうっすね」
俺は止まった。
「やめろ」
「え?」
「それ以上言うな」
「なんでっすか?」
「この海、その程度の思いつきなら明日には会社になる」
全員が黙った。
遠くを、求人を背負ったハタが泳いでいく。
その横を、小魚を送迎するハタが通る。
後ろでは、二匹のハタが入口を塞いでいる。
誰も、ハタを働かせようなんて決めていない。
ただ。
大きいから便利。
それだけだった。
「…………」
俺は思った。
このまま行くと。
海から最初に過労死が出るなら。
たぶん。
ハタだ。




