第84話 上から鳥、下から青物
海の中が、一斉に動いた。
「逃げるよ!!!」
俺たちも泳ぎ出す。
というか、もう逃げる以外にない。
水面近くを埋め尽くしていた小魚の群れが、こっちへ向かってくる。
その上には鳥。
その下には回遊魚の青物。
「チカメ様! どっちへ逃げれば!?」
「知らないよ!!」
「上は鳥です!」
「分かってる!」
「下には大きい魚が!」
「それも分かってる!!」
「ではどちらへ!?」
「それが分からないんだよ!!!」
鳥山だ。
上から鳥が小魚を狙っている。
下からは青物が小魚を捕食するために突き上げている。
知ってる。
人間だった頃なら、むしろ喜んでいた。
鳥が集まっている。
ナブラが立っている。
青物がいる。
釣り人なら、竿を持って向かうところだ。
でも今、俺は魚だ。
人間だった頃、鳥山から魚がどう逃げればいいかなんて考えたことがない。
「チカメ様!」
「何!?」
「どうすれば!?」
「俺も食われる側なんだよ!!!」
人間だった頃は、鳥山を見つけたらチャンスだった。
今は。
災害だった。
*
小魚の群れが俺たちを追い越した。
「うわっ!」
「押すな!」
「後ろから来てるっす!」
「分かってる!」
次の瞬間。
群れに飲まれた。
「うわあああああ!!!」
右。
左。
上。
下。
魚。
魚。
魚。
「流れるプールかよ!!!」
もう自分で泳いでいるのか、流されているのか分からない。
「あーれー」
キンメダイが横を流れていく。
「キンメ!!」
くるくる回りながら、俺の横を通り過ぎた。
「あーれー」
「楽しむな!!!」
俺も魚に押される。
「うわっ!」
また押される。
「ちょっ!」
今度は下から持ち上げられる。
完全にもみくちゃだった。
その横をイトヨリダイが流れていく。
「ジェットバスってこんな感じなんすかね?」
「どこで覚えた!?」
「動画で見たっす」
「魚が見る動画じゃねえよ!」
「結構気持ちいいっすよ」
「青物に食われるジェットバスがあるか!!」
さらに後ろから魚の塊が来た。
「うわっ、来る来る来る!!」
どん。
「ぐえっ!」
俺まで回る。
「あーれー」
「チカメも楽しそう」
「楽しんでねえよ!!」
「キントキは!?」
少し離れたところで、キントキダイが魚の群れに挟まれていた。
「私は大丈夫だ」
どん。
「あ」
流される。
「…………」
どん。
また流される。
「…………」
「あーれー」
「お前も言うのかよ!!!」
その時。
バシャッ!!
水面が弾けた。
「あーれー」
「止まれ!! 本当に食われてる!!」
一瞬だけ、光の中に小魚が舞った。
その直後。
上から黒い影が突っ込む。
「鳥!!」
群れが一斉に潜る。
今度は下から、大きな影が突き上げた。
群れが一斉に浮く。
「上!!」
「下!!」
「上!!」
「下!!」
「中間はないのかよ!!!」
上へ行けば鳥。
下へ行けば青物。
さっきまで流れるプールだったものが、急に命懸けのアトラクションになった。
「チカメ様!」
「何!?」
「ご指示を!」
「ない!!」
「では待機します!」
「ここで待機するな!!!」
知ってるからって、どうにかできるわけじゃない。
なんで俺が指示を出す前提なんだよ。
*
その時。
イトヨリダイが俺の横へ来た。
「チカメさん」
「今度は何!?」
「あそこ」
「どこ?」
イトヨリダイが少し深い方を向く。
大きな岩礁がある。
その横に、狭い隙間が見えた。
「入れそうじゃないすか?」
「俺たちはな」
「小さい魚も入れるっす」
「…………」
俺は後ろを見る。
まだ小魚の群れが来ている。
あの隙間なら鳥は来ない。
大きな青物も入りにくい。
「チカメ様!」
「だから俺に聞くなって!!」
……でも。
「岩の横!!」
俺は叫んだ。
「入れるやつはあそこ入れ!!」
魚たちが一斉に向きを変えた。
「チカメ様が仰ったぞ!」
「岩だ!」
「岩へ!」
「復唱するな!!」
*
狭い隙間に、小魚が次々と入っていく。
キンメダイも入った。
イトヨリダイも入った。
キントキダイは俺の横にいる。
「お前も入れよ」
「私は冷静だから最後でいい」
「怖くて一匹で入りたくないだけだろ」
「違う」
「じゃあ先に行け」
「…………」
「行けよ」
「一緒に入ろう」
「やっぱ怖いんじゃねえか!!」
俺たちも隙間へ入った。
*
岩の奥。
魚がぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「狭い!」
「押さないでください!」
「尾びれが顔に!」
「誰ですか今噛んだの!」
「知らない!」
避難所としては最悪だった。
ただ。
食われない。
外では、まだ大きな影が走っている。
時々、水面から音が響く。
しばらくして、一匹の小魚が俺を見た。
「ありがとうございました、チカメ様」
「いや、イトヨリが見つけたんだよ」
「チカメ様のご指示で助かりました」
「だからイトヨリが――」
「ありがとうございます!」
「聞けよ!!」
別の魚も言った。
「さすがチカメ様ですな」
「お前、古参だろ」
「はい?」
「その喋り方、教祖のがうつってるからな」
「そうですかな?」
「またそれ!!」
*
しばらくすると、外が静かになった。
一匹、また一匹と魚が岩から出ていく。
俺たちも外へ出た。
さっきまで海を埋めていた小魚の群れは、もうほとんど見えない。
「終わった?」
キンメダイが聞いた。
「たぶん」
イトヨリダイが水面を見上げる。
「鳥も減ったっすね」
キントキダイが岩陰から顔だけ出した。
「もう安全か?」
「お前、冷静だったんじゃないの?」
「確認しているだけだ」
「出てこいよ」
*
助かった魚たちは、それぞれ散っていった。
そのうちの一匹が、俺の前で止まる。
「あの」
「何?」
「私、キロいくらくらいだと思います?」
「今それ聞く!?」
「助かったので、海上奉仕までに価値を上げようかと」
「…………」
俺は、その魚を見る。
俺は知っている。
お前は――
箱で千円だ。
「どうです?」
「…………頑張れ」
「はい!」
「大きくなれよ」
「はい!!」
言えなかった。
キロですらなかった。
*
そこへ別の魚が泳いできた。
「チカメ様」
「今度は何?」
「相談があるのですが」
「嫌だよ」
「まだ何も言ってません」
「最近その入り方で、ろくなことがないんだよ!」
魚は少し困った顔をした。
「住むところのことでして」
「…………」
「昨日から、岩穴に知らない魚が住んでいるんです」
「知らない魚?」
「はい」
魚は沖の方を見た。
「ここから沖にでたとこにある岩礁は、私たちが使っていた場所なのですが……」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感が。
「何が住んでるの?」
「石鯛です」
「…………」
「あと、イシガキダイも」
「二匹?」
「いえ」
魚は答えた。
「たくさんです」
「…………」
俺は沖の向こうを見る。
鳥山から逃げ切ったばかりなのに。
今度は。
家だった。
「なんで俺に言うんだよ!!!」
次回。
『ここ、俺たちの家ですけど?』
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