一匹いたら百匹いる
「ゴキブリじゃねえんだよおおおおおお!!!」
潮に乗った福音が、静かに流れてくる。
オキアミ。オキアミ。オキアミ。
その中に、一粒だけ針の付いたオキアミが混じっている。
教祖の姿は見えない。海上レクサスも見えない。それなのに、仕掛けだけが俺たちのところへ流れてくる。
「卑怯だろ!!」
キントキダイが首を傾げた。
「釣りに卑怯とかあるんですか?」
「魚側からしたら全部卑怯だよ!!」
考えてみれば、こっちは口しか使えない。
向こうは竿、リール、針、糸、魚探、船、コマセ。
そして、新宿ISE◯AN。
文明の総力で魚一匹を狙ってくる。
「人類、魚に本気出しすぎだろ」
*
俺は流れてくる仕掛けを観察した。
教祖の狙いは分かる。離れた場所からコマセを流し、その中へ付け餌を紛れ込ませる。魚から見れば、周囲を流れているオキアミの一つにしか見えない。
少なくとも、さっきまでのように船の真下から突然仕掛けが降りてくるよりは自然だ。
「食べなければいいんですよね?」
キンメダイが言った。
「そう」
「では簡単では?」
「今のところはな」
俺には前世の知識がある。針も糸も知っている。あれが付け餌だということも分かっている。
だったら、避ければいい。
「みんな聞け!」
俺は周囲の魚たちに叫んだ。
「流れてくるオキアミの中に針がある!」
魚たちが止まった。
「針?」
「そうだ!」
「どれ?」
「…………」
大量のオキアミを見る。
似ている。
ものすごく似ている。
当たり前だ。同じオキアミなんだから。
「俺が教える!」
俺は目を凝らした。
「あれだ!」
一匹の魚が避ける。
「次、あれ! その右! 食うな!」
また避ける。
いける。
俺なら見分けられる。さっき針の付いていない福音との違いを覚えたばかりだが、今度は人間だった頃の知識もある。
「すごいですね!」
キントキダイが感心している。
「まあな。人間だった頃、何年釣りやってたと思ってる」
「知りません」
「俺も今、何歳で死んだのかよく分かってない。というか死んだのか?ん?あそこに生きてる俺がいるのは...」
ブツブツブツ...
「そこ大事じゃないんですか?」
大事だ。
だが、今は針の方が大事だった。
*
俺たちは針付きのオキアミだけを避け、それ以外を食べ続けた。
ぱく。ぱく。ぱく。
「うまい」
キンメダイも食べる。キントキダイも食べる。他の魚たちも食べる。
そして針だけには誰も触れない。
完璧だった。
「勝った」
「また言ってますね」
「今回は本当に勝った!」
教祖は遠くにいて、俺たちからは見えない。だが向こうからも、俺たち一匹一匹の動きまでは見えない。
魚探に反応は出ても、誰がどのオキアミを食べているかまでは分からない。
つまり、情報量では今度こそこっちが上だ。
「どうだ教祖!」
俺は見えない海上レクサスへ向かって叫んだ。
「魚を舐めるな! お前の仕掛けなんかまるっと全部見えて――」
すっ。
付け餌が、俺の目の前から消えた。
「…………?」
仕掛けが回収されていく。
「諦めました?」
キンメダイが言った。
「いや」
俺は考えた。
あいつは俺だ。一回で諦めるわけがない。
何か変える。
針か。餌か。流す場所か。
「次が来るぞ」
俺たちは身構えた。
*
しばらくして、またコマセが流れてきた。その中には、やはり付け餌が混じっている。
「来た!」
俺は見る。
針。糸。
ある。
「それ食うな!」
誰も食べない。
次。
「それも!」
避ける。
次。
「それ!」
また避ける。
「同じですね」
キントキダイが言った。
「ああ」
何も変わっていない。
「教祖様、諦めが悪いですね」
「釣り人だからな」
俺は余裕だった。
だが、妙だった。
何の工夫もない。さっきと同じ。
俺なら、同じことを繰り返すか?
「…………」
繰り返すな。
「するわ」
「何がです?」
「釣り人、意外と同じこと何回もするわ」
『さっき食わなかったけど、今なら食うかもしれない』
根拠はない。
だが、やる。
「釣りってそんな感じなんですか?」
「そんな感じの時間も長い」
「思っていたより雑ですね」
「趣味なんだからいいんだよ!」
また付け餌が流れてくる。
誰も食べない。
また流れてくる。
誰も食べない。
それを何度か繰り返したところで、俺は気づいた。
「…………あれ?」
「どうしました?」
魚が増えている。
さっきより明らかに多い。コマセを食べながら、周囲からどんどん集まってきている。
十匹。二十匹。
もっといる。
「まずい」
「何が?」
「俺たちは針を知ってる」
「はい」
「でも――」
新しく来た魚たちは知らない。
「食うな!!」
俺が叫んだ瞬間。
ぱくっ。
ギュイイイイイイン!!
一匹が海上へ消えた。
「あああああ!!」
キントキダイが叫ぶ。
「釣られました!」
「見りゃ分かる!」
さらにコマセが流れてきて、また魚が集まる。
「待て! それ針!」
ぱくっ。
ギュイイイイイイン!!
「また!!」
「だから食うなって!!」
俺は必死に叫ぶ。
だが、次から次へと魚が来る。
俺たち三匹が学習しても、新しく来た魚は知らない。針を教えても、全員には伝わらない。
「これ……」
俺はようやく理解した。
教祖が言った、
『一匹いたら百匹いる』
あれはゴキブリ理論ではない。
一匹見つけたから、百匹いると思ったんじゃない。
一匹釣れた場所へコマセを流し続けて――
「百匹にする気だ!!」
「増やしてるんですか!?」
「集めてんだよ!!」
魚がいる場所を探すだけじゃない。コマセで魚を寄せる。
一匹いた場所に、二匹。十匹。百匹。
「自分で百匹にしてから、『やっぱり百匹いましたな』って言う気だ!!」
キントキダイが震えた。
「怖い人ですね」
「俺なんだよ!!」
「毎回それで終わらせるのやめません?」
「俺が一番そう思ってるよ!!」
*
俺は考えた。
このままでは、教祖が釣り続ける。新しく来た魚が次々に針へ掛かる。
止める方法は一つ。
魚をここから散らす。
「みんな逃げろ! ここにいると釣られるぞ!」
何匹かが離れる。
だが、大半は動かない。
「福音があるのに?」
「タダだよ?」
「まだいっぱい流れてくるよ?」
「命とオキアミどっちが大事なんだよ!!」
一匹が答えた。
「オキアミ」
「魚ァァァァァ!!!」
ダメだ。
こいつら、俺が思っている以上に魚だ。
俺も魚だけど。
*
なら、福音そのものを止めるしかない。
しかし教祖は遠くにいる。コマセは潮に乗って流れてくる。
俺たちには止められない。
「どうする……」
俺は周囲を見る。
流れてくるオキアミ。潮。魚。付け餌。
そして――糸。
「…………」
糸。
俺は止まった。
「どうしました?」
キンメダイが聞いた。
「仕掛けには糸がある」
「はい」
「糸の先には教祖がいる」
「はい」
「つまり――」
俺は笑った。
「こっちからも、教祖に繋がってるってことだ」
キントキダイが嫌な顔をした。
「また何か考えてません?」
「考えてる」
「安全ですか?」
「知らん」
「やめません?」
「もう遅い」
俺は針付きのオキアミへ近づいた。
「食べるんですか!?」
「食わない」
針を見る。
糸を見る。
「魚が釣り人にできることを教えてやる」
「何するんです?」
「決まってる」
俺は糸へ近づき、口を開いた。
「釣り人を釣る」
「どうやって!?」
俺にも分からない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この糸の向こうには、俺がいる。
だったら――たぶん、ろくなことにはならない。
俺は糸に噛みついた。
――第八話 完――
【教祖と海の経典】
■ コマセ
魚を自分の釣り場へ集めるため、海へ撒いたり仕掛けのカゴに詰めたりするエサのことですな。
いわゆる撒き餌・寄せ餌ですぞ。
主なものにオキアミ、アミコマセ、イワシミンチなどがありますな。
■ 福音
コマセのことですぞ。
海の者どもは、ありがたがってそう呼んでおりますな。
■ 新宿ISE◯AN
新宿にある伊勢丹ですぞ。
値段もクオリティも日本最高峰クラスですな。
■ 某高級百貨店
新宿高島屋ですぞ。高級鮮魚売り場もありますな。
新宿にはほかにも、小田急ハルク、京王、伊勢丹など鮮魚を眺められる場所がありますぞ。
私の毎日の散歩コースですな。
■ チカメキントキ
赤い魚。本作の主人公。
値段は……まあ、微妙ですな。
■ キンメダイ
赤い魚。
伊豆では立派な高級魚ですぞ。
■ キントキダイ
赤い魚。
チカメキントキによく似ていますが別種ですな。
■ 海上レクサス
レクサスのクルーザーですぞ。
■ オキアミ
釣りでよく使うエサですな。
コマセにも付けエサにも使えますぞ。




