福音無料キャンペーン終了のお知らせ
「無料キャンペーンのあとに課金導線作るなああああ!!!」
俺たちは逃げた。
その後ろでは、さっきまで無料だった福音に針が付き、仕掛けとなって降ってきている。
「皆様お集まりですなーーー!」
海上から教祖の声が響いた。
集めたんだろうが。
無料で魚を集め、十分に集まったところで本商品を投入する。
「商売としては正しいのが腹立つ!!」
「何の話です?」
キントキダイが聞いた。
「こっちの話だ!」
俺たちは仕掛けから距離を取った。だが、周りの魚たちは違った。
さっきまで大量のオキアミが無料で降っていた。食べ放題だった。それが突然止まり、代わりに数粒のオキアミだけが目の前にある。
当然――
「福音だ!」
一匹の魚が近づいた。
「待て!!」
ぱくっ。
ギュイイイイイイン!!
「入信希望者が一名来ましたぞーーー!!」
「入信じゃなくて釣果だよ!!」
魚が水面へ消えていった。
周囲が静かになる。
「…………」
「…………」
「…………」
キントキダイが言った。
「怖いですね」
「ああ」
キンメダイも頷いた。
「…………さっきまで無料だったのに」
「そこじゃねえよ」
*
俺は海上を見た。
教祖は楽しそうだ。
一匹釣れた。これで満足して帰るかもしれない。
「よし」
「何がです?」
「一匹釣れた」
「はい」
「これで帰る可能性がある」
キントキダイが俺を見る。
「本当ですか?」
「ああ」
「前回、予想を外してましたけど」
「今回は大丈夫だ」
「なぜ?」
「俺ならそうする」
二匹が黙った。
「その根拠、もう信用なくないですか?」
「俺自身を否定するな!!」
そのとき、海上から声がした。
「一匹いるなら、まだいますな」
「…………」
俺は目を閉じた。
そうだった。
俺、一匹釣れたら帰る奴じゃなかった。
むしろ始まる奴だった。
「時合いですぞーーー!!」
「一匹釣れたせいでやる気出してんじゃねええええ!!!」
教祖がコマセを撒く。魚が集まる。仕掛けを落とすと魚が散る。
またコマセを撒く。魚が集まる。仕掛けを落とす。また散る。
「…………」
俺はその光景を眺めていた。
「何やってるんですか?」
キンメダイが聞いた。
「釣り」
「我々、逃げてますよ?」
「うん」
「仕掛けが来ると逃げます」
「うん」
「釣れないのでは?」
「普通はな」
教祖がまたコマセを撒いた。魚が集まる。
「でも釣り人は考える」
「何を?」
「もっと撒けば食うんじゃないか」
また撒いた。
「食べませんよ」
「もっと撒く」
また撒いた。
「食べません」
「なぜ!?」
「買ってきたから」
「理由になってません!」
「余らせて持って帰りたくないんだよ!」
「魚の都合が一切ない!!」
分かる。
ものすごく分かる。
前世の俺も、終了間際になるとコマセを多めに撒いていた。
『残しても仕方ないし』
魚側からしたら、意味不明な理由で。
海中にはどんどん福音が増えていく。無料。大量。針なし。食べ放題。
ただし、その中に少数の仕掛けが紛れている。
「これ……」
キントキダイが言った。
「何?」
「さっきまでのように針の付いてないものだけ食べれば、ずっと無料なのでは?」
「…………」
その通りだった。
俺たちは仕掛けを避け、周囲のコマセだけを食べ始めた。
ぱく。
ぱく。
ぱく。
「うまい」
「美味しいですね」
「教祖様、優しいですね」
「最後の評価だけ違う」
教祖が撒く。
俺たちが食べる。
また撒く。
また食べる。
「…………」
俺は気づいた。
これ、最高なのでは?
人間だった頃、コマセ代を払っていたのは俺だ。そして今、そのコマセを魚として無料で食べている。
つまり――
「前世の俺が買った飯を、転生した俺が食ってる」
「?」
「究極の自給自足だ」
「違うと思います」
海上では、教祖が首を傾げている。
魚探には反応がある。コマセも効いている。魚もいる。
なのに釣れない。
俺には分かる。
教祖が今、何を考えているのか。
『魚探にこんなに反応あるのに何で食わないんだ?』
答えは簡単だ。
「横のコマセ食ってるからだよ」
俺は笑った。
人間だった頃は、魚が付け餌を食わず、コマセだけを食べている状況に何度も苦しめられた。
今なら分かる。
「そりゃ無料の方食うわ」
キントキダイが頷いた。
「こちらの方が安全ですし」
「そうだよな」
キンメダイも言った。
「…………たくさんありますし」
「そうだよな!」
俺は感動していた。
長年の疑問が、魚になって解決していく。
釣りとは、魚の気持ちを考える遊びだった。そして今、俺は魚だ。
「勝った」
「何にです?」
「釣り人に」
俺は海上を見上げた。
「教祖!」
聞こえてはいないだろう。それでも言った。
「お前の考えてることは全部まるっと全てお見通しだ!」
その直後、教祖が仕掛けを回収した。
そして、さっきから海中に入れっぱなしだった冷凍コマセの網袋も、ゆっくりと引き上げていく。
「…………?」
俺たちは身構えた。
だが、新しい仕掛けは落ちてこない。
教祖は半解凍になったコマセを船へ戻すと、そのまま竿を片づけ始めた。
「何だったんですか?」
キントキダイが聞いた。
俺は少し考えて、すぐに気づいた。
「ああ」
「?」
「解凍してたのか」
「解凍?」
「凍ってる福音を、明日使いやすいように少し溶かしてたんだろ」
「明日の?」
「ああ」
教祖がエンジンをかけた。
「本日はこれまでですぞー!」
海上レクサスが動き出す。
「…………なんだ」
俺は力を抜いた。
「最後のは釣りじゃなかったのか」
海上レクサスが遠ざかっていく。
「明日の準備までして帰るとは、真面目ですね」
キンメダイが言った。
「まあな」
俺は少し得意になった。
「あいつは俺だから」
「また始まった」
「今度は当たっただろ!」
ついさっき「全部まるっと全てお見通しだ」と言ったばかりだ。
当然である。
海上レクサスはどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。
*
静かな海が戻った。
針もない。糸もない。教祖もいない。
「終わりましたね」
キントキダイが言った。
「ああ」
「明日まで平和ですね」
「ああ」
俺たちは泳ぎ出した。
今日も大変だった。
二回釣られた。食べ比べされそうになった。値段を調べられた。リリースされた。また釣られた。コマセで集められた。
よく生きている。
「…………」
俺は泳ぎながら、さっきの光景を思い出した。
網袋。
冷凍コマセ。
海水。
半解凍。
明日の準備。
「…………」
何か引っかかった。
「どうしました?」
「いや」
何だ?
俺は元釣り人だ。コマセも使っていた。冷凍ブロックも知っている。
だから分かる。
明日のために、今日のうちに少し解凍しておく。
「…………」
いや。
待て。
「…………あれ?」
俺は止まった。
キンメダイとキントキダイも止まる。
「どうしました?」
「明日の分……」
「はい」
「今日、海に入れて解凍する必要ある?」
「?」
俺の頭の中で、前世の記憶が繋がった。
冷凍コマセ。
解凍。
鮮度。
色。
翌日。
「…………ない」
「え?」
「ねえよ!!」
俺は叫んだ。
「次の日に使うコマセを、前日にわざわざ海で解凍する奴いねえよ!!」
「なぜです?」
「時間置いたら黒くなるだろ!! 明日使うなら凍ったまま持って帰るわ!!」
キントキダイが首を傾げる。
「では、なぜ?」
「…………」
俺は海上を見た。
教祖はいない。
海上レクサスも見えない。
だが――あいつは俺だ。
俺なら。
俺なら、何の意味もなく、あんなことは――
「騙された」
「え?」
「さっきの解凍、嘘だ」
「誰に?」
「俺にだよ!!」
その瞬間。
目の前を、一粒のオキアミが流れていった。
「…………」
上からではない。
横から。
一粒。
二粒。
また一粒。
潮に乗って、ゆっくりと流れてくる。
キントキダイが喜んだ。
「福音が戻ってきました」
「食うな!!」
「え?」
俺は流れてきた方向を見る。
船はいない。
人間も見えない。
なのに、オキアミだけが流れてくる。
少しずつ。
自然に。
潮に乗って。
「…………あいつ」
「?」
「帰ったふりしやがった」
「でも船は?」
「離れたところにいるんだよ」
俺たちから見えない場所。警戒されない距離。
そこから潮に乗せて、コマセを流している。
魚だけを、ここに残すために。
キンメダイが尋ねた。
「…………どうしてそこまで?」
「…………」
嫌な言葉を思い出した。
人間だった頃、何度も聞いたことがある。
一匹見つけたら、必ず――
「百匹いる」
「え?」
「人間はそう言う」
「我々が?」
「一匹いたら百匹いると思え」
キントキダイが怯えた。
「そんなにいるんですか?」
「知らねえよ!!」
そのとき、流れてくる大量のコマセの中に、一粒だけ妙に綺麗なオキアミが混じった。
俺は目を凝らす。
細い。
ほとんど見えない。
だが、確かにある。
糸。
その先に――針。
「付け餌まで流してきやがった!!」
コマセと同じ速度で潮に馴染ませ、遠くから俺たちのところへ流している。
姿を見せずに。
俺はようやく理解した。
教祖は帰ったふりをした。
そのためだけに、わざわざ冷凍コマセを海へ入れ、俺に『明日の準備か』と思わせた。
同じ俺だからこそ、俺がどう解釈するかまで分かっていた。
「性格悪すぎんだろ!!」
キントキダイが言った。
「ご自分ですよね?」
「今それ言うな!!」
そして遠く離れた海上から、聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
『一匹見つけたら、百匹いる――』
「ゴキブリじゃねえんだよおおおおおお!!!」
潮に乗った福音は、静かに俺たちへ近づいてきた。
――第七話 完――
【教祖と海の経典】
■ コマセ
魚を自分の釣り場へ集めるため、海へ撒いたり仕掛けのカゴに詰めたりするエサのことですな。
いわゆる撒き餌・寄せ餌ですぞ。
主なものにオキアミ、アミコマセ、イワシミンチなどがありますな。
■ 福音
コマセのことですぞ。
海の者どもは、ありがたがってそう呼んでおりますな。
■ キントキダイ
キントキダイ科の魚ですな。
チカメキントキと非常によく似ていますが、別種ですぞ。
■ オキアミ
釣りでよく使うエサ。
撒いて魚を寄せたり、針につけたりしますぞ。
■ 海上レクサス
レクサスの高級クルーザー。
無論、わたくしの私物ですぞ。
■ チカメキントキ
キントキダイ科の海水魚。全長は三十センチほど。
本作の主人公ですな。
■ キンメダイ
伊豆半島を代表する魚のひとつ。
煮付けが実にうまいですぞ。




