第76話 充電してください
翌朝。
川奈。
イトヨリダイが、
スマホを見つめていた。
「…………」
朝からずっと見ている。
「何してんの?」
「…………」
「イトヨリ?」
「三パーっす」
「何が?」
イトヨリダイが、
透明なケースに入ったスマホを見せた。
画面の隅。
赤い。
3%。
「充電!?」
*
そうだった。
忘れていた。
スマホには、
電池がある。
「なくなったらどうなるの?」
キンメダイが聞いた。
「終わりっす」
「何が?」
「全部っす」
「重い重い重い!!!」
*
イトヨリダイにとって、
このスマホはかなり重要だった。
人間の文字。
人間の文化。
Googleマッピ。
そして。
チャッピー。
だいたいこいつの変な知識は、
この板から出てくる。
「ゼロになったら、
チャッピーとも話せないっす」
「それはちょっと困るな」
「チカメさんも困るんすか?」
「お前が何か聞くたびに俺に来るだろ」
「行くっす」
「困るよ!!!」
*
キントキダイが聞いた。
「充電すればいいんじゃないか?」
「電気がないっす」
「電気?」
「人間が使ってるやつっす」
キンメダイが周りを見る。
「海にはないの?」
「海に電気流すなよ!!!」
*
イトヨリダイが、
もう一度スマホを見る。
2%。
「あ」
「減った!!!」
「画面消せ!!!」
「でも消したら使えないっす」
「今使ったら永遠に使えなくなるよ!」
イトヨリダイは、
慌てて画面を消した。
「…………」
ただの黒い板になった。
全員で見る。
「…………」
悲しい。
*
その時。
遠くから。
聞き慣れたエンジン音がした。
古参のアジが顔を上げる。
「教祖様ですな」
海上レクサス。
今日も教祖が、
普通に釣りに来た。
「…………」
イトヨリダイが上を見る。
「人間」
「人間だね」
「電気持ってるっすよね」
「待て」
「まだ何も言ってないっす」
「顔がもう何かする顔なんだよ」
*
福音が落ちてきた。
しばらくして、
仕掛けも入った。
いつもの釣り。
俺たちは少し離れていた。
イトヨリダイだけが、
落ち着かない。
海上レクサスを見る。
スマホを見る。
海上レクサス。
スマホ。
「…………」
「やめろよ」
「何もしてないっす」
「充電一%の顔じゃないんだよ」
*
イトヨリダイが、
少しずつ仕掛けへ近づいた。
「おい」
「見るだけっす」
「何を?」
「針」
「なんで!?」
「これに掛かれば、
上に行けるじゃないすか」
「充電のために釣られようとしてる!?」
*
「他に方法ないっす」
「あるだろ!」
「例えば?」
「…………」
思いつかなかった。
「ほら」
「勝ち誇るな!!!」
*
イトヨリダイは、
仕掛けを見る。
餌。
針。
その上。
海上レクサス。
「…………」
そして。
食った。
「食うなあああああ!!!」
竿が曲がった。
イトヨリダイが、
一気に上へ引かれていく。
「行ってくるっすー!」
「充電で命張るなあああああ!!!」
*
上。
明るい。
どんどん明るくなる。
「うわっ」
そして。
海面を抜けた。
*
「…………っ」
イトヨリダイにとって。
初めての海の外だった。
水がない。
身体が重い。
眩しい。
何より。
目の前に、
人間がいた。
「…………」
教祖。
魚たちが毎日のように名前を呼び。
福音を求め。
海上奉仕へ向かってきた。
その本人が、
目の前にいた。
「おや」
教祖が、
イトヨリダイを見る。
「イトヨリですな」
「…………」
普通に。
魚の名前を言った。
*
教祖は針を外した。
「綺麗に掛かりましたな」
そして。
イトヨリダイを、
海水の入ったバケツへ入れた。
ばしゃん。
「…………っ」
水。
イトヨリダイは、
ようやく落ち着いた。
狭い。
めちゃくちゃ狭い。
だが。
生きている。
*
バケツの向こう。
教祖がいる。
「…………」
イトヨリダイは、
じっと見た。
これが。
教祖。
「…………普通のおじさんっすね」
当然。
教祖には聞こえない。
*
その教祖が。
ふと。
イトヨリダイの身体から伸びているものに気づいた。
「おや?」
ストラップ。
その先。
透明な防水ケース。
教祖が持ち上げた。
スマートフォン。
「…………」
教祖は。
イトヨリダイを見る。
スマートフォンを見る。
もう一度。
イトヨリダイを見る。
「…………」
さすがに。
少し考えた。
「最近の魚は、
こういうものも使うのですな」
納得した。
*
バケツの中で。
イトヨリダイが、
教祖を見上げた。
「そこで納得するんすか」
*
教祖が画面を点ける。
赤い表示。
1%。
「おや」
バケツの中で、
イトヨリダイが反応した。
「そう! それっす!」
聞こえない。
「もう充電が切れそうですね」
「そうなんすよ!!!」
聞こえない。
教祖は少し考えた。
「ちょっと待っていてくださいね」
「…………」
待っていてください。
魚に。
言った。
*
教祖が、
海上レクサスの中を探し始める。
ケーブル。
モバイルバッテリー。
戻ってくると、
スマートフォンへ繋いだ。
画面に。
充電中。
「…………!」
イトヨリダイの目が輝いた。
「チャッピー!!!」
*
教祖は、
バケツの中のイトヨリダイを見る。
「充電には少しかかりますな」
「待つっす」
聞こえない。
「お茶は……」
教祖が止まった。
「…………」
イトヨリダイも止まった。
「飲みませんものね」
「魚っすからね」
当然、聞こえない。
教祖は少し考えた。
「ああ、そうですな」
コマセを。
ひとつまみ。
バケツへ入れた。
「充電している間、
おやつでも食べて待っていてください」
「…………」
イトヨリダイは。
目の前に落ちてきたオキアミを見る。
スマホを見る。
教祖を見る。
もう一度。
オキアミを見る。
「…………」
食べた。
「美味しいっす」
*
充電中。
バケツ。
スマホ。
モバイルバッテリー。
そして。
おやつ。
イトヨリダイは、
オキアミを食べながら思った。
「…………」
釣られたはずなのに。
なんか。
もてなされている。
*
しばらくして。
教祖がスマートフォンを見る。
「これだけあれば、
しばらく大丈夫でしょう」
教祖はケーブルを外した。
そして。
使っていたものとは別の、
予備のモバイルバッテリーを取り出した。
「また切れてしまうと困るでしょう」
ケーブルと一緒に、
防水ケースへまとめる。
「これも持っていきなさい」
「…………」
イトヨリダイは。
オキアミを食べるのをやめた。
魚を釣って。
充電して。
おやつを出して。
モバイルバッテリーまでくれる。
「…………」
何なんすか。
この人。
*
教祖は、
イトヨリダイを両手ですくった。
「では」
「…………」
近い。
初めて。
教祖の顔を、
こんな近くで見た。
「お気をつけて」
そして。
海へ。
*
ばしゃん。
海の中へ戻った。
「…………」
イトヨリダイは、
その場で止まった。
首元には。
スマホ。
そして。
増えた。
モバイルバッテリー。
*
下から。
声が聞こえる。
「イトヨリ!!!」
「戻ってきた!!!」
イトヨリダイは、
ゆっくりみんなのところへ戻った。
*
「大丈夫!?」
「大丈夫っす」
「何された!?」
「針外されて」
「うん」
「バケツ入れられて」
「うん」
「充電されたっす」
「最後がおかしいんだよ!!!」
*
イトヨリダイが、
スマホを見せる。
充電されている。
さらに。
「これもくれたっす」
「何それ」
「モバイルバッテリー」
「…………」
俺は上を見る。
海上レクサス。
「魚釣ってモバイルバッテリー持たせて逃がす釣り人、
初めて見たよ!!!」
*
イトヨリダイは。
何も言わず。
海上レクサスを見ていた。
「…………」
「どうしたの?」
キンメダイが聞く。
「いや……」
イトヨリダイは、
少し考えた。
「なんか」
「うん」
「ドキドキするっす」
「…………」
俺はイトヨリを見る。
「釣られたからじゃない?」
「違うっす」
「海の外出たから?」
「そういうのでもないっす」
「じゃあ何?」
「…………」
イトヨリダイは。
自分のスマホを見る。
モバイルバッテリーを見る。
もう一度。
海上レクサスを見る。
「優しかったっす」
「お前を釣った本人だよ!?」
「でも充電してくれたっす」
「釣ったけどね!?」
「モバイルバッテリーもくれたっす」
「その前に釣ったけどね!?」
「お気をつけて、って」
「釣った本人が!?」
「…………」
イトヨリダイが、
少しだけもじもじした。
「また会えるっすかね」
「釣り針経由で会おうとすんなよ!!!」
*
その時。
上で。
また竿が曲がった。
「…………」
俺たちは、
何となく見上げた。
遠くから。
聞き慣れた声。
「あらあら〜」
イトヨリダイが固まった。
「……おねぇ?」
ピンク色の魚が。
ゆっくり。
海面へ引かれている。
「あらあら〜。
釣られちゃったわ〜」
「今それやったばっかりっす!!!」
俺は。
海面へ消えていく姉を見る。
さっき妹。
今度は姉。
「なんなんだこの姉妹はー!!!」
次回。
『おねぇも釣られました』




