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魚は二度釣られる

挿絵(By みてみん)

ギュイイイイイイイイン!!


「またかよおおおおおおおおお!!!」


身体が猛烈な勢いで水面へ引っ張られる。


さっき見た景色が、ものすごい速度で逆再生されていった。海底から中層へ。だんだん明るくなっていく水面。そして――


ざばっ。


「おかえりなさいませーーー!!」


「帰ってきたんじゃねえ!! お前が釣ったんだろ!!」


教祖は満面の笑みで俺を網に入れた。


再び海上レクサス。


再びまな板。


ほんの少し前まで、俺はここにいた。


「…………」


俺の第二の魚生、さっきから同じところ往復してない!?


通勤電車魚版なのか!?


「ご縁ですな」


「仕掛けだよ!!」


教祖が俺の口から針を外した。


「しかし不思議ですな」


「何が」


「一度釣られた直後なのに、また同じ餌を食べるとは」


「…………」


それは俺も思っていた。


普通、学習するだろ。


針。恐怖。水深五十メートルからの強制連行。まな板。包丁。新宿ISE◯AN。三千円。


ここまで経験して、なぜ俺はもう一度オキアミを食べたのか。


答えは簡単だった。


「腹が減ってたんだよ」


「なるほど」


「魚って大変だな」


「あなた魚ですぞ」


「まだ慣れてねえんだよ!!」


人間だった頃は、同じ魚が二度釣れるなんて聞くと『学習しない魚だな』くらいに思っていた。


違った。


魚にも事情がある。腹が減る。目の前に餌がある。食べる。針がある。死ぬ。


じゃあ食べない。


腹が減る。


それでも死ぬ。


「どっちにしても厳しくない?」


「自然界ですからな」


「お前が針入れて難易度上げてんだよ」


俺は教祖を見た。


「で?」


「はい?」


「今度はどうするの?」


教祖は俺を見る。


俺も教祖を見る。


嫌な沈黙だった。


「…………」


教祖の手が、ゆっくりと海の経典へ伸びる。


「ISE◯AN開くなよ」


ぴたりと止まった。


「なぜ分かったのです?」


「学習したからだよ!!」


教祖は残念そうに経典を戻した。


「三千円だろ。覚えてるから」


「本日の相場が変わっている可能性も」


「数分で市場価格を更新するな!!」


「では、リリースですな」


「お願いします」


ずいぶん素直になった。


というか、俺もずいぶん素直になった。


教祖は俺を持ち上げ、船べりへ向かう。


今度こそ。


海へ戻ったら、オキアミは食べない。絶対に食べない。福音には近づかない。


俺は生まれ変わる。


いや、もう生まれ変わってるんだけど。


「では、達者で」


「おう」


ぽちゃん。


冷たい海水に包まれる。


自由。


二回目。


俺はすぐに泳いだ。今度は振り返らず、海上レクサスから離れる。教祖から離れる。コマセから離れる。


「もう釣られねえぞ!!」


そのときだった。


目の前に、オキアミが降ってきた。


「…………」


見ない。


俺は横を向いた。


また降ってきた。


一粒、二粒、十粒、百粒。


大量のオキアミが、海中をキラキラと舞っている。


「…………」


俺は目を閉じた。


見なければいい。


俺には意志がある。人間として生きた記憶がある。魚の本能になど負けない。


その横からキントキダイがやってきた。


「福音ですよ」


「食うな!!」


「え?」


「それ罠だから!!」


キンメダイも来た。


「…………でも、美味しいよ」


「知ってるよ!!」


二匹が普通に食べ始めた。


ぱく。


ぱく。


ぱく。


「やめろって!」


「大丈夫ですよ」


「何が!?」


キントキダイは目の前のオキアミを見て、一粒だけ選んで食べた。


「針が付いているものだけ避ければ」


「…………」


俺は止まった。


「見分けられるの?」


「ある程度は」


「…………」


衝撃だった。


俺は魚として、こいつらより圧倒的に素人だった。


「全部の福音が危険なわけではありません」


「そうなの?」


「針がある福音と、ただの福音があります」


俺は改めて海中を見る。


大量のオキアミ。


確かに、ほとんどには何も付いていない。


コマセだ。


釣り人は魚を寄せるために大量のコマセを撒き、その中に針を付けた餌を紛れ込ませる。つまり針に付いているオキアミは、この大量の福音の中のほんの一部だった。


「…………ん?」


俺は二匹を見る。


「見分けられるのに、さっき二匹とも釣られてたじゃねーか!!」


キントキダイが少し気まずそうに目を逸らした。


「毎回分かるわけではありません」


「ダメじゃねえか!!」


キンメダイも静かに言った。


「…………お腹が空いてると、間違えることもあるよ」


「魚って思ったより人間くせえな!!」


まあ、考えてみれば「ある程度」と言っていた。百発百中で見抜けるなら、そもそも釣りという文化が成立していない。


しかし、なるほど。


人間だった頃は当然知っていた。だが魚側になると、見え方がまるで違う。


大量の無料の餌の中に、少数の罠が混ざっている。


「嫌なシステムだな」


「?」


「いや、なんでもない」


福音そのものが悪いわけではない。本当に無料で食えるオキアミも大量にある。


ただし、たまに針がある。


「幸せなものの先に針がある……」


「何か言いました?」


「いや」


危ない。


なんか作品のテーマみたいなことを言いそうになった。


まだ第五話だ。


俺は慎重にオキアミを見る。


これは大丈夫。


これも大丈夫。


これは――糸がある。


「おお」


分かる。


俺も安全そうな一粒を食べてみた。


ぱくっ。


美味い。


もう一粒。


ぱくっ。


美味い。


「いけるじゃん!」


ようやく分かってきた。


キャッチ・アンド・リリースに期待するだけじゃない。そもそも釣られなければいいのだ。


俺は元釣り人だ。仕掛けを知っている。針を知っている。コマセを知っている。そして、釣り人が何を考えているのかも知っている。


しかも――あの釣り人は俺だ。


「勝てる」


俺は海上レクサスを見上げた。


「俺なら、俺に勝てる」


キントキダイが首を傾げた。


「何を言ってるんです?」


「聞いてくれ」


俺は二匹を集めた。


「俺はあいつの考えてることが分かる」


「教祖様の?」


「ああ。次に何をするかも分かる」


海上を見る。


教祖は竿を持っている。潮を見る。魚探を見る。仕掛けを見る。


俺には分かる。


反応はある。コマセにも魚は寄っている。それなのに針の付いた餌だけ食わない。


そんな時間が続けば、俺なら次にどうする。


「このまま食わなければ、あいつは諦める」


「本当ですか?」


「ああ。俺なら――場所を変える」


その直後、海上から声がした。


「反応はあるのですが食いませんな。少し移動しましょう」


「ほらな」


俺は胸を張った。


キントキダイが感心する。


「すごい!」


キンメダイも驚いている。


「…………教祖様の心が分かるんだ」


「まあな」


同一人物だから当然だ。


勝った。


初めて教祖より一枚上手に――


「その前に」


海上から声がした。


「仕掛けを変えましょう」


「…………」


俺は止まった。


教祖が何かを取り出している。


「何だ?」


見覚えがある。


仕掛け。


餌。


そして、あの動き。


俺は前世の記憶を探った。


「…………あ」


思い出した。


「そうだった」


キントキダイが尋ねる。


「どうしました?」


「俺、食わないと仕掛け変える奴だった」


海上から、今までとは違うものが沈んできた。


キントキダイが近づこうとする。


「何でしょう、あれ」


「待て」


俺は二匹の前へ出た。


「さっき針を見分けられるって言ったよな?」


「はい」


「…………あれも?」


キントキダイは沈んでくる仕掛けをじっと見た。


「…………」


キンメダイも見る。


「…………分からない」


「だよな!!」


「いつもの福音なら分かります。でも、あれは見たことがありません」


なるほど。


こいつらが見分けられるのは、普段から海へ降ってくるオキアミと、その中に紛れた針だ。


だが釣り人は、魚がそれを見切れば別の餌にする。仕掛けを変える。針の見せ方まで変える。


魚が罠を覚える。


人間が罠を変える。


「最悪の知恵比べじゃねえか」


キンメダイが俺を見る。


「…………あなたは、あれが何か分かる?」


俺は知っていた。


少なくとも、あれを落としている人間が何を考えているのかは分かる。


前世の記憶がある。


釣り人だった俺は、魚が食わないときに何をするのか知っている。


だからこそ――


「逃げろ」


「え?」


「今すぐここから離れろ」


「でも福音が――」


「福音じゃない。少なくとも、俺たちにとってはな」


俺は海上を見上げた。


教祖が、満面の笑みでこちらを見ている気がした。


同じ俺だから分かる。


あれは、釣れない時間が続いた釣り人が、何か違うことを試したくなった顔だ。


一番面倒くさい状態である。


「逃げるぞ!!」


俺たちは泳ぎ出した。


その後ろを、新しい仕掛けが追うように沈んでくる。


前世の知識があれば、魚として無双できる。


最初はそう思っていた。


だが、ひとつだけ計算違いがあった。


魚が学習すれば、釣り人も変えてくる。


そして――敵も、俺だった。


「なんで転生してまで自分と知恵比べしなきゃいけねえんだよおおおお!!」


海上から教祖の声がした。


「信者の皆様ーー! 新しい福音ですぞーーー!」


「商品名変えただけだろおおおおお!!!」


――第五話 完――


【教祖と海の経典】


■ コマセ

魚を自分の釣り場へ集めるため、海へ撒いたり仕掛けのカゴに詰めたりするエサのことですな。

いわゆる撒き餌・寄せ餌ですぞ。

主なものにオキアミ、アミコマセ、イワシミンチなどがありますな。


■ 福音

コマセのことですぞ。

海の者どもは、ありがたがってそう呼んでおりますな。


■ 新宿ISE◯AN

新宿にある伊勢丹ですぞ。

値段もクオリティも日本最高峰クラスですな。


■ 某高級百貨店

新宿高島屋ですぞ。高級鮮魚売り場もありますな。

新宿にはほかにも、小田急ハルク、京王、伊勢丹など鮮魚を眺められる場所がありますぞ。

私の毎日の散歩コースですな。


■ チカメキントキ

赤い魚。本作の主人公。

値段は……まあ、微妙ですな。


■ キンメダイ

赤い魚。

伊豆では立派な高級魚ですぞ。


■ キントキダイ

赤い魚。

チカメキントキによく似ていますが別種ですな。


■ 海上レクサス

レクサスのクルーザーですぞ。


■ オキアミ

釣りでよく使うエサですな。

コマセにも付けエサにも使えますぞ。


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