第三十五話 徴収担当者が不在です
「知らない」
俺は答えた。
ぱく。
魚が。
もう一粒食べた。
誰も数えなかった。
「…………」
魚が俺を見る。
「本当にいいの?」
「俺に聞くな」
「でもチカメ様だし」
「そこも関係ない!!」
ぱく。
もう一粒。
「…………」
俺は止めなかった。
止める理由がない。
俺は徴収担当者じゃない。
そもそも。
徴収された側だ。
「マダイさん、戻ってきませんね」
キンメダイが言った。
「うん」
海面を見る。
何も降りてこない。
マダイも。
降りてこない。
キントキダイが。
コマセを食べた。
ぱく。
「お前は少し待て!!」
「なんで?」
「十粒あるからだよ!!」
「誰に?」
「…………」
誰に。
俺は。
答えられなかった。
*
しばらく待った。
マダイは戻ってこなかった。
その間にも。
コマセは降ってくる。
魚も集まってくる。
ぱく。
ぱく。
ぱく。
「これ、申告するんですか?」
一匹が聞いた。
「知らない」
「何粒からですか?」
「知らない」
「現物でも払えます?」
「知らない」
「分割は?」
「知らない!!」
なんで俺が。
窓口になってるんだ。
「マダイさんは?」
「釣られた」
「いつ戻ります?」
「知らない」
「代わりの方は?」
「知らない」
「問い合わせ先は?」
「魚に問い合わせ先なんかあるか!!」
あった気もする。
ここ数日。
魚の世界に。
ありすぎた。
*
そこへ。
ソウダガツオが来た。
「あ、チカメ様!」
「様をやめろ」
「マダイさんから何か伝言ある?」
「ないよ」
「じゃあお前、何しに来たの?」
「通ったから!」
いつものやつだった。
「ちょうどいい」
俺はソウダガツオを呼び止めた。
「マダイが釣られた」
「へえ!」
軽い。
「相模湾コマセ機構の徴収担当がいなくなった」
「へえ!」
軽い。
「これ、どうなるの?」
「分かんない!」
「お前らが情報網なんだろ!?」
「泳いでるだけだよ!」
そうだった。
こいつら。
新聞でも。
役所でも。
通信会社でもない。
ただ。
泳いでいる。
そのついでに。
喋っているだけだ。
そんなものに。
俺たちは納税記録まで任せていた。
「じゃあ」
俺は聞いた。
「誰か代わりに徴収する魚が来るとか?」
「聞いてないよ」
「機構から指示は?」
「ないよ」
「有識魚は?」
「知らない!」
「検討会は!?」
「何それ?」
「お前が知らないの!?」
制度。
思ったより。
薄かった。
*
翌日。
マダイは戻らなかった。
徴収担当も。
来なかった。
それでも。
コマセは来た。
ぱら。
一粒。
海面から、
オキアミが落ちてきた。
ぱら。
また一粒。
魚たちは集まっていた。
でも。
誰も食べなかった。
昨日までなら。
食べれば数えられた。
一粒。
二粒。
三粒。
食べた分だけ、
マダイが記録した。
だから。
誰も動かなかった。
ぱら。
ぱらぱら。
オキアミだけが。
静かな海の中を落ちていく。
潮に乗って。
ゆっくり。
右へ。
左へ。
少し沈んで。
また舞い上がる。
海面から差し込む光が、
オキアミを照らしていた。
赤かったはずの粒が。
水の中では。
薄いピンク色に見えた。
ぱら。
ぱらぱら。
薄いピンクの粒が。
光の中を。
ゆっくりと舞っている。
「…………」
誰も食べない。
「…………」
誰も喋らない。
ただ。
みんなで上を見ていた。
雪みたいだった。
海の中に。
薄いピンク色の雪が降っていた。
「…………」
俺も。
見上げていた。
人間だった頃。
何度も撒いた。
ただのコマセ。
魚を寄せるためのもの。
餌取りに食われて。
本命に届かなくて。
また撒いて。
なくなったら。
もう一袋買う。
それだけのものだった。
なのに。
海の底から見上げると。
こんなふうに見えるのか。
光の中を。
ゆっくり。
ゆっくり。
薄いピンクの雪が。
俺たちのところへ降りてくる。
「…………」
福音。
教祖は。
これをそう呼んでいた。
人間だった俺は。
何を馬鹿なことを。
そう思っていた。
でも。
今だけは。
少し分かる気がした。
まさに。
福音と呼ぶに相応しい光景だった。
「……きれいだな」
誰かが言った。
誰が言ったのか。
分からなかった。
キンメダイも。
キントキダイも。
何も言わなかった。
俺たちは。
しばらく。
ただ。
降ってくる福音を見ていた。
マダイはいない。
一粒。
二粒。
数える声も。
もう聞こえない。
薄いピンクの雪だけが。
俺たちの周りを。
静かに舞っていた。
「…………」
一匹の小さな魚が。
ゆっくり。
群れから前へ出た。
誰も止めなかった。
小魚の前を。
一粒。
福音が通る。
小魚は。
それを見た。
みんなも。
見ていた。
ぱく。
食べた。
「…………」
小魚が止まる。
全員が。
小魚を見る。
小魚も。
全員を見る。
長い沈黙。
そして。
誰かが言った。
「一粒」
「…………」
でも。
その先がない。
マダイはいない。
誰も記録しない。
誰も請求しない。
小魚の前へ。
また一粒。
薄いピンクの雪が落ちてきた。
ぱく。
「二粒」
「…………」
何も起きない。
もう一粒。
ぱく。
「三粒」
「…………」
少し離れたところで。
別の魚が。
ぱく。
食べた。
「…………」
もう一匹。
ぱく。
そして。
キンメダイが。
ぱく。
「お前は完納してるからいいけど!!」
キントキダイも。
ぱく。
「お前は十粒残ってるだろ!!」
「十一粒」
「増やすな!!」
ぱく。
「十二粒」
「自分で数えるな!!」
一匹。
また一匹。
福音へ飛び込んでいく。
さっきまで。
あんなに綺麗だった。
薄いピンクの雪が。
ものすごい勢いで。
食われていく。
「福音を食い尽くすな!!」
ぱく。
ぱく。
ぱく。
数秒で。
福音は。
ただの餌になった。
「感動返せよ!!」
*
俺は。
口の中を見る。
昨日捕まえた。
納税用のエビ。
まだ持っていた。
「…………」
これ。
どうすればいい。
マダイはいない。
代わりもいない。
払う場所もない。
俺は。
エビを口から出した。
目の前を。
泳いでいく。
「…………」
エビは。
岩陰へ逃げた。
元気だった。
「チカメさん」
キンメダイが言った。
「払わなくていいんですか?」
「払う相手がいない」
「未納ですよ?」
「分かってる」
「二粒」
「分かってるって!!」
俺の未納。
二粒。
キントキダイ。
十二粒。
消えたわけじゃない。
免除されたわけでもない。
制度が廃止されたわけでもない。
ただ。
徴収する魚が。
いなくなった。
「…………」
これ。
どういう扱いなんだ。
その時。
ソウダガツオが通った。
「あ!」
嫌な予感がした。
「相模湾コマセ機構から?」
「違うよ!」
「よかった……」
「マダイさんが釣られたって話、もう熱海まで行ってるよ!」
「早えよ!!」
「徴収終わったって!」
「終わったとは言ってねえ!!」
「無料になったって!」
「それも言ってねえ!!」
「相模湾、コマセ食べ放題だって!」
「誰がそんな話にしたんだよ!!」
ソウダガツオは。
もう泳いでいった。
「相模湾コマセ無料だってー!!」
「広めるなあああああ!!!」
遅かった。
向こうから。
魚の群れが来た。
サバ。
アジ。
イワシ。
知らない魚まで。
いっぱい。
いや。
いっぱいどころじゃない。
その後ろにも。
いる。
さらに。
その後ろにも。
いる。
「無料ってここ!?」
「食べ放題どこ!?」
「マダイいないって本当!?」
「お前らそれだけで来たの!?」
「相模湾が無料になったって聞いた!」
「なってない!!」
「今日から食べ放題なんでしょ!?」
「誰もそんなこと決めてない!!」
群れの後ろから。
誰かが叫んだ。
「オールインクルーシブだー!!」
「どこで覚えたその言葉!!」
「全部込みだー!!」
「何が込みなんだよ!!」
「宿泊も!?」
「海に泊まるんだから最初から無料だよ!!」
そして。
海面から。
コマセが降った。
ぱら。
「…………」
全員。
上を見る。
一瞬だけ。
静かになった。
ぱらぱら。
薄いピンクの粒が。
また。
光の中を降ってくる。
一匹が。
叫んだ。
「ビュッフェだあああああ!!!」
「誰だ今の!!」
群れが。
一斉に動いた。
「うおおおおおお!!!」
「福音だー!!」
「食べ放題だー!!」
「オールインクルーシブ!!」
「ビュッフェ!!」
「おかわりー!!」
「おかわりは上に言え!!」
魚。
魚。
魚。
さっきまで。
雪みたいに。
ゆっくり舞っていたコマセへ。
四方八方から。
魚が突っ込んでいく。
ぱく。
ぱく。
ぱく。
ぱく。
ぱく。
「速っ!!」
降ってきたそばから。
消えていく。
もう。
雪じゃない。
薄いピンクの雪景色は。
完全に。
朝食会場になっていた。
「押すなー!」
「俺のー!」
「こっちまだあるぞー!」
「場所取りすんな!!」
「団体で来るな!!」
「補充来たぞー!!」
「補充って言うな!! 教祖が撒いてんだよ!!」
上では。
何も知らない教祖が。
また。
コマセを撒いた。
どさっ。
海中が。
沸いた。
「追加だあああああ!!!」
「第二便!!」
「ビュッフェ再開!!」
「終わってねえよ!!」
「福音だあああああ!!!」
「うおおおおおおお!!!」
「オールインクルーシブ!!!」
「…………」
無料で飯を配る。
魚を集める。
福音と呼ぶ。
そして。
信者が勝手に増える。
「さすが新興宗教だ……」
俺だけは。
この仕組みに。
妙な覚えがあった。
「最初に無料で配るの、やっぱ強えな……」
「チカメさん?」
「何でもない」
上では。
何も知らない教祖が。
またコマセを撒いた。
どさっ。
「福音だあああああ!!!」
「うおおおおおおお!!!」
「やっぱ新興宗教じゃねえか!!!」
サバが。
コマセを咥えながら叫ぶ。
「相模湾最高ー!!」
アジが続く。
「来てよかったー!!」
知らない魚まで。
「明日も来るー!!」
「観光地にするな!!」
キンメダイも。
楽しそうに食べている。
ぱく。
ぱく。
「キンメ!!」
「何ですか?」
「お前さっきから食いすぎ!!」
「僕は完納してますから」
「無敵の言葉みたいに使うな!!」
横では。
キントキダイ。
ぱく。
「十三粒」
ぱく。
「十四粒」
ぱく。
「十五粒」
「もう払う気ないだろお前!!」
「無料なんでしょ?」
「制度が止まってるだけ!!」
「じゃあ無料」
「魚の解釈が強すぎる!!」
ぱく。
ぱく。
ぱく。
誰も数えない。
誰も払わない。
昨日まで。
あれほど細かかった制度は。
廃止の決議も。
解散の宣言も。
終了の通知もなく。
担当者が一匹いなくなっただけで。
事実上。
終わった。
そして。
その翌日には。
なぜか。
相模湾は。
食べ放題になっていた。
「…………」
俺も。
群れの中で。
久しぶりに。
コマセを一粒食べた。
ぱく。
「…………」
うまい。
待った。
誰も来ない。
もう一粒。
ぱく。
誰も数えない。
「…………」
俺は思い出した。
魚になったばかりの頃。
労働もない。
税金もない。
確定申告もない。
完全なる自由。
「…………」
少しだけ。
戻ってきた。
その瞬間。
群れのどこかから。
声が上がった。
「福音追加だあああああ!!!」
「うおおおおおおお!!!」
「ビュッフェだああああ!!!」
「オールインクルーシブ!!!」
「食えええええ!!!」
俺の声なんか。
もう。
誰にも聞こえていなかった。
相模湾は。
祭りになっていた。
キントキダイが。
俺の横で一粒食べた。
ぱく。
「チカメ」
「何!?」
「今ので四粒?」
「この状況でまだ数えてんのかよおおおおお!!!」
次回。
『釣られた魚はどこへ行く』




