キントキダイまで来るんじゃない!
まな板の上に、赤い魚が二匹並んでいた。
俺、チカメキントキ。そして隣にはキンメダイ。目の前には包丁を持った、前世の俺。
状況を整理すればするほど、何ひとつ安心できる要素がない。
「では」
教祖が包丁を持ち上げた。
「食べ比べを――」
「するな」
「まだ何も言ってませんぞ」
「言っただろ」
「食べ比べを、までですぞ」
「その先に俺の生存ルートある?」
教祖は少し考えた。
「…………」
「考えるな!!」
隣でキンメダイが不安そうに俺を見ている。
「…………僕は、どうなるの?」
「安心しろ。こいつは俺だ。俺もこいつだ。だから俺を食えば共食いになる。そこを突破口に交渉する」
キンメダイは少し考えてから尋ねた。
「…………じゃあ、僕は?」
「普通に食われる」
「…………」
「そんな顔するな!! 俺だってまな板の上なんだよ!」
魚類に他人を救う余裕などない。まず自分だ。
これが食物連鎖である。
たぶん。
そのとき、魚探から電子音が鳴った。
ピピピピピッ。
教祖が画面を見る。
「おや。また新たな入信希望者ですな」
「その言い方やめろ」
教祖は包丁を置いて竿を手に取った。竿先が大きく曲がり、海の底から何かが巻き上げられてくる。
俺は嫌な予感がした。
もう赤い魚はやめてくれ。
こっちは自分が何者なのかすら、まだよく分かっていない。チカメキントキとキンメダイ。これだけでも魚を知らない人には十分ややこしい。
やがて海面が揺れた。
赤い。
「…………」
また赤い。
「おい」
教祖が網ですくい、三匹目の魚を船上へ上げた。
びたん。
まな板の上に赤い魚が三匹並んだ。
俺が見る。キンメダイも見る。新しく来た魚も俺たちを見る。
教祖だけが嬉しそうだった。
「素晴らしい。本日は赤い方がよく集まりますな」
「色で信者を分類するな」
三匹目の魚が、俺たちを見回した。
「はじめまして」
嫌な予感しかしない。
「キントキダイです」
「来るんじゃねえええええええ!!!」
チカメキントキ。
キンメダイ。
キントキダイ。
俺は三匹を順番に見て、絶望した。
「もう無理だろ」
「何がです?」
教祖が尋ねる。
「名前だよ! こいつがキンメダイ。こいつがキントキダイ。そして俺がチカメキントキ。誰が覚えられるんだよ!」
キントキダイが首を傾げた。
「そんなに難しいか?」
「お前は当事者だからな!」
「私とお前は近いぞ。同じキントキダイ科だ」
「名前まで近いんだよ!」
キンメダイが俺たちを見比べる。
「…………じゃあ、僕も同じ仲間?」
「お前は違う!!」
「でも、キンメダイとキントキダイ……」
「名前に騙されるな! お前だけキントキダイ科じゃないんだよ!」
キンメダイはしばらく黙って俺たちを見た。
「…………仲間外れ?」
「そういう話じゃねえ!!」
転生して間もないのに、なぜ俺が魚類分類の説明役になっているのだ。
教祖は三匹を見比べながら頷いた。
「確かに、魚を知らない方には難しいかもしれませんな」
「だろ?」
「では、見分け方を覚えましょう」
「急に教育番組になるな」
教祖はまず俺を指さした。
「こちらがチカメキントキ。大きな目と、長く発達した腹びれが特徴ですな」
俺は初めて自分の腹を見る。
「…………長くない?」
「長いですな」
「邪魔じゃない?」
「あなたの身体ですぞ」
「昨日まで人間だったんだよ!」
転生ものなら、ここで魔力とか固有スキルとかを確認するところだろう。
俺の固有スキル。
腹びれがでかい。
弱い。
ものすごく弱い。
「ほかには?」
「大きな目は暗い場所で生活するのに適しています。夜に活発になり、甲殻類や小魚、イカなどを食べますな」
「おお」
なんだ。
ちゃんとそれっぽい能力があるじゃないか。
「つまり俺、暗い深場でも獲物を見つけて捕まえられる、深海のハンターみたいな魚なんだな?」
「まあ、そんなところですな」
「いいじゃん!」
転生して初めて、自分の身体に可能性を感じた。
魔法は使えない。剣も持てない。でも暗い海で目が利いて、自分で獲物を捕まえられる。
魚として生きるなら、案外悪くないのかもしれない。
「…………あれ?」
そこで気づいた。
俺は周囲を見る。革張りの座席。白い船体。まな板。そして包丁。
「なあ。その能力を使うためには、まず海に戻らないとダメじゃない?」
「そうですな」
「戻して」
教祖は答えず、海の経典を開いた。
「経典によれば――」
「それを開くと俺が死ぬんだよ!!」
その横で、キントキダイが俺をじっと見ていた。
「しかし、不思議だな」
「何が?」
「お前、チカメキントキなのに自分のことを知らないのか?」
「昨日なったばっかりだからな」
「昨日?」
しまった。
俺は口を閉じた。
キンメダイもこちらを見る。キントキダイも見る。教祖まで見る。
「お前……何者なんだ?」
魚に転生した人間。
しかも目の前にいる教祖が、前世の自分。
説明したところで信じてもらえるとは思えない。
俺が黙っていると、教祖が静かに口を開いた。
「この方は――」
やめろ。
その顔を知っている。俺だから分かる。
ろくなことを言わない顔だ。
「私の生まれ変わりですぞ」
「本人が言うなああああああ!!!」
キントキダイが固まった。キンメダイも固まった。
しばらくして、キントキダイが恐る恐る教祖を見る。
「つまり……あなたが死んだあと、こいつになったということか?」
「そういうことですな」
「でも、あなたは生きている」
「生きておりますな」
「…………」
全員で教祖を見た。
教祖も自分の身体を見た。
「不思議ですな」
「お前が言うな!!」
俺にも分からない。
なぜ前世の俺が生きているのか。なぜ俺は魚になったのか。そもそも、これは本当に転生なのか。
ほんの少しだけ、この世界そのものが気味悪く思えた。
俺が魚になったことには、何か理由があるのかもしれない。
まあ、それを考える前に。
俺は目の前の包丁を見た。
「とりあえず海に戻してくれない?」
教祖は返事をせず、まな板の上の三匹を順番に眺めた。
チカメキントキ。
キンメダイ。
キントキダイ。
「せっかく三種類揃いましたので――」
「嫌な予感しかしない」
「食べ比べを」
「結局そこに戻るのかよおおおおおお!!!」
――第三話 完――
【教祖と海の経典】
■ 魚探
魚探とは、超音波を使って魚の群れや水深、海底の地形などを画面に映し出す装置ですぞ。
私はホンデックスの魚探を使っております。
決してパチンコではありませんぞ。
■ キントキダイ
キントキダイ(金時鯛、Priacanthus macracanthus)は、キントキダイ科に属する魚ですな。
チカメキントキと非常によく似ていますが、別種ですぞ。
■ オキアミ
釣りでよく使うエサ。
撒いて魚を寄せたり、針につけたりしますぞ。
■ 海上レクサス
自動車メーカー・レクサスのクルーザーですな。
■ チカメキントキ
キントキダイ科に属する海水魚。
本作の主人公ですぞ。
■ キンメダイ
伊豆半島を代表する魚のひとつ。
名物は煮付けですぞ。




