教祖、それ共食いです
海の上に、俺がいる。
そして海の中にも、俺がいる。
意味が分からない。考えようとした、そのときだった。口元に、ひときわ大きな餌が落ちてきた。
「…………」
さっきまで食べていたコマセより、明らかに立派だ。うまそう。
いや待て。俺は釣り人だ。知っている。こういう妙に立派な餌には――針がある。
「危ねえ……」
魚になったからといって、魚のように簡単に釣られる俺ではない。前世の知識がある。これはかなり有利なのではないだろうか。
俺は餌を避けた。そのまま通り過ぎる。
「…………」
腹が減っている。
振り返ると、餌がゆっくり沈んでいく。
「…………」
一個くらいなら。
ぱくっ。
カチッ。
「…………」
口の中に、硬いものが当たった。
次の瞬間。
ギュイイイイイイイイン!!
「やっぱりいいいいいいいい!!!」
身体が猛烈な勢いで上へ引っ張られた。逃げようとしても、口が引っ張られる。痛い。というか速い。
暗かった海が、どんどん明るくなっていく。
五十メートル。四十。三十。
釣り人だった俺には分かる。
これ、釣られてる。俺が。
「ちょっと待て!! ゆっくり巻け! 口切れするぞ!」
泡しか出ない。水面が近づく。眩しい。
そして――ざばっ。
生まれて初めて、魚として海から出た。
「来ましたぞーーーー!!」
聞き覚えしかない声がした。
目の前にいたのは、白装束にサングラス。顔の下半分にはタオル。
前世の俺。
教祖だった。
「…………」
教祖が俺を見る。俺も教祖を見る。しばらく見つめ合った。
気づけ。
さすがに気づけ。
俺だ。お前だ。
教祖が言った。
「チカメキントキですな」
そこじゃねえ。
*
俺は船の上へ転がされた。息苦しい。身体が重い。魚って陸に上がると、こんなに何もできないのか。
跳ねる。びたん。
もう一度跳ねる。びたん。
教祖が俺を覗き込んだ。
「なかなか良い型ですな」
「俺だ!!」
「…………」
「待て! 俺だって!!」
教祖の動きが止まった。
気づいたか。
そうだ。分かるはずだ。俺は、お前だ。
教祖は首を傾げた。
「魚が喋っていますな」
「そこからかよ!!」
教祖は少し考えた。
「まあ、魂がありますからな」
「納得すんな!!」
こいつ。俺だ。間違いなく俺だ。この意味不明な納得の仕方まで覚えがある。
「お前、俺だよな?」
「そうですかね?」
「俺もお前だよな?」
「はて。おそらく?」
「なんで本人同士で自信ないんだよ!」
俺は船の床で跳ねた。
「じゃあ俺を食ったら共食いだろ!!」
教祖の動きが止まった。
「…………」
効いた。ようやく話が通じた。
教祖は俺を見る。俺も教祖を見る。長い沈黙のあと、教祖が口を開いた。
「なるほど」
「分かったか」
「興味深いですな」
「興味深いで済ませるな。俺が二人いるんだぞ」
「魂とは不思議なものですな」
「魂で全部処理するな!!」
そのとき、船の反対側から竿のしなる音がした。
「おっ」
教祖が振り返る。
「もう一匹来ましたぞ!」
「今、俺が二人いる問題の途中だろ!!」
教祖は聞いていない。竿を持ち、リールを巻く。
やがて海面から、赤い魚が上がってきた。俺と同じように大きな目。赤い身体。だが俺とは少し違う。
教祖が魚を船へ上げる。
びたん。
俺の隣に転がった。
「…………」
「…………」
赤い魚が二匹。
隣の魚が俺を見る。
「あなたは?」
「チカメキントキ」
「キンメダイ?」
「違う」
「赤いのに?」
「赤ければ全部キンメダイだと思うな」
俺は隣の魚を見る。こいつこそキンメダイだ。
同じ赤い魚でも、よく見れば違う。チカメキントキの俺は、名前の通り大きな目が特徴で、キントキダイの仲間。一方、隣にいるキンメダイも大きな目と赤い身体をしているが、まったく別の魚だ。
釣り人だったから分かる。
いや、正直に言おう。
魚になった今だから、ものすごく分かる。
人間だった頃なら、赤い深場の魚が並んでいたら少し迷ったかもしれない。魚に興味のない人なら、たぶん分からない。
隣のキンメダイが俺に尋ねた。
「じゃあ、キントキダイ?」
「おしい! それも違う!!」
「難しいね」
「俺もそう思うよ!!」
魚の世界、面倒くせえ。
そのとき、カチャ、と嫌な音がした。
俺とキンメダイが同時に振り返る。
人間の俺――教祖が、包丁を取り出していた。
「待て」
教祖が俺たちを見る。
「せっかくですから」
「何が」
「食べ比べをしてみましょう」
「待て待て待て!!」
俺は必死に跳ねた。
「俺だぞ!!」
「存じております」
「じゃあ包丁を置け!!」
教祖は俺を見る。次にキンメダイを見る。そして、もう一度俺を見る。
「チカメキントキとキンメダイ」
「うん」
「同じ赤い魚でも、味は違うのでしょうな」
「知らねえよ!!」
「ちょうどいい機会です」
「何がちょうどいいんだよ!」
教祖は包丁を構えた。
俺は確信した。
こいつは俺だ。だから分かる。
こうなった俺は、たぶん本当にやる。
「教祖!!」
「はい?」
「それ共食いです!!」
教祖の手が止まった。
「…………」
俺は祈った。
頼む。
自分で作った宗教くらい、自分を救ってくれ。
――第二話 完――
【教祖と海の経典】
■ キントキダイ
キントキダイ科の魚ですな。
チカメキントキと非常によく似ていますが、別種ですぞ。
■ オキアミ
釣りでよく使うエサ。
撒いて魚を寄せたり、針につけたりしますぞ。
■ 海上レクサス
レクサスの高級クルーザー。
無論、わたくしの私物ですぞ。
■ チカメキントキ
キントキダイ科の海水魚。全長は三十センチほど。
本作の主人公ですな。
■ キンメダイ
伊豆半島を代表する魚のひとつ。
煮付けが実にうまいですぞ。




