本人より魚拓が有名
「魚拓のファンです!」
「まだ魚拓になってねえよ!!」
何度言わせるんだ。
俺は生きている。泳いでいる。喋っている。
帯状疱疹にもなった。
たぶん。
そんな本人を目の前にして、なぜ存在しない魚拓のファンになる。
「でも、すごいって聞きました!」
「何が?」
「チカメキントキさんの魚拓!」
「だから存在しないんだよ!」
「大きいって!」
「何が!?」
「魚拓が!」
「存在しないもののサイズが決まってる!」
怖い。
噂というものは怖い。
俺の知らないところで、俺の死後が先に完成している。
「ちなみに何センチって聞いた?」
「八十」
「でかすぎるだろ!」
俺はそんなにない。
「誰だよ話盛ったやつ!」
「サバです」
「またあいつらか!!」
サバ。
情報を運び、情報を盛り、最後は食われる。
海のメディアとして責任感がなさすぎる。
「他には何て聞いてる?」
「チカメキントキさんは、海上奉仕を望んでいるって」
「望んでない」
「チヌ様を尊敬しているって」
「してない」
「魚拓ランキング一位を目指しているって」
「目指してない」
「毎朝、海面に向かって祈っているって」
「寝てる」
全部違う。
「誰だよそれ」
「チカメキントキさんです」
「俺だよ!」
俺なのに俺じゃない。
知らないチカメキントキが、俺の名前を使って勝手に人生を歩み始めている。
「なあ」
俺はキンメダイを見る。
「俺ってそんなやつに見える?」
キンメダイは少し考えた。
「…………見えないよ」
「だよな」
「…………毎朝祈れるほど、早起きじゃないし」
「そこじゃない」
キントキダイも頷いた。
「魚拓ランキング一位も無理だろ」
「なんで?」
「もっと大きい魚がいる」
「そういう問題じゃねえよ!」
俺はランキングに参加したくない。
そもそも魚拓になりたくない。
「本人が否定してるんだから、もうわかっただろ?」
俺は魚拓ファンの魚を見る。
これで終わりだ。
噂は間違い。
俺は海上奉仕を望んでいない。魚拓にもなりたくない。
本人が直接そう言っているのだ。
これ以上確かな情報があるか。
「謙虚だ……」
「…………え?」
魚が感動したように俺を見ていた。
「これだけ有名なのに、海上奉仕を望んでいないと言っている」
「いや、本当に望んでない」
「魚拓ランキングにも興味がない」
「そう。だから――」
「名誉を求めないんだ……」
「違う」
嫌な方向へ行っている。
「そうじゃない」
「これが本物の海上奉仕者……」
「奉仕しねえって言ってるだろ!」
否定すればするほど評価が上がっていく。
なんだこのシステム。
「チカメキントキ様!」
「様をつけるな!」
「チカメ様!」
「短くするな! 別の宗教になる!」
チヌ様から逃げてきたら、チカメ様になりかけている。
最悪だ。
「俺は普通の魚だ!」
「謙虚!」
「釣られたくない!」
「命を惜しまない!」
「惜しんでる!」
「魚拓になりたくない!」
「名誉すら求めない!」
「話を聞け!!」
ダメだ。
何を言っても都合よく変換される。
俺の言葉が、俺の意味で届かない。
「いいか!」
俺は魚の目の前まで泳いだ。
「噂じゃなくて本人に聞け! 今ここに本人がいるだろ!」
魚が目を丸くした。
「……本人?」
「俺だよ!」
「チカメ様が?」
「チカメ様じゃない! チカメキントキ! 俺!」
魚が俺をじっと見る。
「本物……」
「そう! 本物!」
やっと通じた。
「じゃあ、本人から直接聞いた話なら間違いない?」
「そう! それ!」
勝った。
ようやく勝った。
「じゃあ今から言うぞ。俺は海上奉仕を望んでいない。魚拓にもなりたくない。ランキングにも参加しない。わかった?」
「はい!」
「よし!」
長かった。
これで訂正できた。
「チカメ様本人からのお言葉……」
「待て」
「ありがたい……」
「待て待て待て」
魚が感動したように俺を見ている。
「本人から直接聞いたんだから、本物ですよね?」
「まあ……本物だけど」
「では、これは正式なお言葉ですね!」
「正式ってなんだよ!」
「本人が言ったから」
「俺が言ったけど!」
「では正式です!」
「なんで制度ができるんだよ!」
まずい。
訂正しようとするたびに、こいつの中で何かが整備されていく。
噂だったものに、本人確認が入ってしまった。
「みんなに伝えてきます!」
魚が勢いよく向きを変えた。
「待て!!」
「チカメ様本人から、正式なお言葉をいただいたと!」
「伝えるな!!」
「海上奉仕を望まず、魚拓の名誉も求めない!」
「そこだけ聞くともっと偉そうになるからやめろ!!」
「みんな喜びます!」
「誰が喜ぶんだよ!」
魚が暗闇へ泳いでいく。
まずい。
非常にまずい。
「待てえええええ!!」
追いかけようとしたが、もう見えない。
さっきまで海を泳いでいたのは、ただの噂だった。
でも今、俺が余計なことを言ったせいで――
本人確認が取れた。
「…………俺、自分で何か悪化させた?」
キンメダイが少し考える。
「…………たぶん」
「やっぱり?」
「…………本人だから」
「本人って便利だな!!」
キントキダイが魚の消えた方を見る。
「追わなくていいのか?」
「追う!」
俺たちは慌てて泳ぎ出した。
「どっちへ行った!?」
「知らん!」
「…………見えなくなったね」
「深海で情報発信だけ速すぎるだろ!!」
暗闇を進む。
だが、魚拓ファンの姿はどこにもない。
「…………もういい」
俺は止まった。
「逃げよう」
「またか?」
「もう深さの問題じゃない。あいつがどこへ伝えに行ったのかわからない以上、ここにいたらまた誰か来る」
キントキダイが呆れたように俺を見る。
「お前、ずっと逃げているな」
「誰のせいだと思ってる!」
「お前の噂だろ」
「俺のせいだった!」
否定できないのが腹立つ。
俺たちは、さらに暗い海へ向かった。
しばらく泳ぐと、後ろからの気配も消えた。
静かだ。
「…………よし」
俺は辺りを見る。
誰もいない。
「今度こそ大丈夫だろ」
キンメダイとキントキダイもいる。
三匹だけだ。
そのとき。
岩陰から声がした。
「チカメ様?」
「…………」
俺は目を閉じた。
「帯状疱疹が悪化した」




