暗ければ見えないと思っていた
さらに深く。
俺たちは暗い海を進んでいた。
「…………暗いな」
「ああ」
「何も見えないな」
「そうですね」
「これなら人間にも見つからないんじゃないか?」
キントキダイが言った。
「釣りに視力は関係ないぞ」
「それを言うな」
せっかく前向きになったのに。
俺は辺りを見渡した。暗い。とにかく暗い。
だが――
「…………あれ?」
見える。
普通に見える。いや、普通というほどではない。遠くまでは見えないし、色もよくわからない。
それでも、近くにいるキンメダイもキントキダイも見える。岩も見えるし、小さな何かが動いているのも見えた。
「お前ら見える?」
キンメダイが答えた。
「…………僕は見えるよ」
「俺も見えるぞ」
「なんだよ」
俺だけの特殊能力じゃなかった。
転生特典かと思ったのに。
「…………深い場所にいる魚なら、このくらいは珍しくないよ」
キンメダイが言った。
「暗いところで生きてるのに、何も見えなかったら困るから」
「もっとこう……俺だけの能力みたいなのないの?」
キンメダイが俺を見る。
「…………大きな目」
「ある!」
「長い腹びれ」
「ある!」
「赤い」
「それはみんなある!」
俺は自分の体を確認した。
大きな目。長い腹びれ。赤い体。
改めて考えると、かなり深場仕様だ。
もしかして俺、強いのでは?
『転生特典』
暗所適応。
大型眼球。
長い腹びれ。
「なんか最後だけ弱いな」
キントキダイが俺を見る。
「何を言ってる?」
「いや、こっちの話」
長い腹びれで何をしろというのだ。
魔王でも叩くのか。
いや、魚だから魔王はいない。
たぶん。
*
「でも、ここなら本当に安全かもしれないな」
俺は少し安心していた。
暗くて静かで、魚も少ない。上の騒ぎなんて、もう遠い世界の話だ。
チヌ様も、魚拓ランキングも、海上奉仕も。
ここには――
「海上奉仕!」
「…………」
聞こえた。
「今なんか聞こえた?」
「…………聞こえたよ」
「俺も聞いた」
「何て?」
キントキダイが答えた。
「海上奉仕」
「違う」
「何がだ」
「鯛情報誌だ」
「は?」
「鯛の情報誌。月刊とかの」
キントキダイが俺を見る。
「そんなものあるのか?」
「今できた」
「海上奉仕!」
また聞こえた。
俺はキントキダイを指した。
「ほら! 鯛情報誌!」
「俺はキントキダイだが!!」
「確かに鯛だ!」
「だから何だ!!」
キンメダイが少し遅れて言った。
「…………僕も、鯛ってついてるよ」
「お前は黙ってろ! 分類の話を始めるとさらにややこしくなる!」
「海上奉仕!」
「鯛情報誌!!」
「海上奉仕!」
「海上帽子!!」
「海上奉仕!」
「海上……拍子?」
「無理が出てきたぞ」
「うるさい! 俺は何も聞いてない!」
暗闇の向こうから、小さな魚が現れた。
「海上奉仕!」
「本人来ちゃったよ!!」
魚は俺たちの周りを泳ぎ始めた。
「海上奉仕!」
「鯛情報誌!」
「チヌ様!」
「急に明瞭!」
「魚拓!」
「そこも聞き間違えさせろよ!」
語彙が最悪の方向に増えていく。
俺はキンメダイを見る。
「なんだこいつ」
キンメダイは少し考えた。
「…………僕も知らない」
「キントキダイ」
「俺も知らん」
「お前ら深場の魚だろ!」
キントキダイが言った。
「お前もだ」
「そうだった」
まだ自覚が薄い。
前世が人間だったせいで、どうしても自分を魚側として数えるのを忘れる。
*
「おい」
俺は小さな魚に聞いた。
「誰からそれを聞いた?」
「上!」
「上のどこだ」
「サバ!」
「またサバかよ!」
情報網がサバに依存しすぎている。
「そのサバは?」
「食べた!」
「また食われてる!!」
情報を伝える。そして食われる。
また情報を伝える。そして食われる。
なんなんだ。
サバは海の新聞なのか。
「他には何を聞いた?」
「チヌ様!」
「それは聞いた」
「魚拓!」
「それも聞いた」
「ランキング!」
「知ってる」
「チカメキントキ!」
「…………え?」
俺は止まった。
キンメダイも、キントキダイも止まる。
「今、なんて言った?」
小さな魚が俺を見る。
「チカメキントキ!」
さっきまで騒がしかった暗闇が、急に静かになった気がした。
「……なんで俺の名前を知ってる?」
「ランキング!」
嫌な予感がした。
「何のランキングだ」
小さな魚は元気よく答えた。
「海上奉仕!」
「…………鯛情報誌」
「海上奉仕!」
「…………海上帽子」
「海上奉仕!」
「…………」
もう聞き間違えられない。
「海上奉仕! 海上奉仕! 海上奉仕!」
やめろ。
「海上奉仕! 海上奉仕!」
やめろって。
「海上奉仕! 海上奉仕! 海上奉仕!」
海上奉仕。
かいじょうほうし。
かいじょうほうし。
たいじょうほうしん。
「…………」
体の片側が、ピリッとした。
「…………まずい」
キンメダイが俺を見る。
「…………どうしたの?」
「帯状疱疹になった」
「なんでだ!?」
キントキダイが叫んだ。
「海上奉仕って言いすぎたからだよ!!」
「そんな理由でなるのか!?」
「知らねえよ! 似てるだろ!」
「何が!?」
「海上奉仕と帯状疱疹!!」
「一文字しか合ってないぞ!!」
「リズムだよ!!」
転生して魚になって、宗教に巻き込まれ、海上奉仕候補にされ、その言葉を何度も聞かされた結果――
帯状疱疹になった。
「…………」
キンメダイが俺の体を見た。
「…………海上奉仕」
「言うな! 悪化する!!」
魚になってまで帯状疱疹。
俺の転生生活は、思っていたより人間臭かった。




