第153話 伊豆のハワイアンズ赤沢温泉1
「着いたっすーーー!!!」
赤沢へ入った瞬間、イトヨリが飛び出した。
「赤沢温泉っす!!!」
「分かったから落ち着け!」
「行きは寄れなかったっす!」
「知ってる!」
「ずっと来たかったっす!」
「それも知ってる!」
俺たちの横をイリエワニ二代目が通り過ぎる。その背中では、ネコザメがまだ震えていた。
プルプルプルプル……。
「もう着いたぞ」
プルプルプルプル……。
「降りていいんだぞ」
二代目が身体を少し傾けると、ネコザメがするっと背中から滑り落ちた。そのまま俺のところまで泳いできて、長い腹びれの間へ入る。
プルプルプル……。
「怖かったんだな」
「食ってねえだろ」
「結果の話じゃねえよ!」
「ウヒッ!」
二代目はそのまま先へ泳いでいった。
「俺はじいちゃん探してくる」
「ああ」
「チカメさん! こっちっす!!!」
今度はイトヨリだ。
「忙しいな!」
連れていかれた先を見て、俺は止まった。
「…………なんだこれ」
海の中に、温泉街があった。
海底のあちこちから温かい水が湧き、細かな泡が上がっている。その周囲を埋め尽くすように、色とりどりの魚たちが泳いでいた。
青。黄色。オレンジ。縞模様。見慣れない魚までいる。
伊豆の海というより、竜宮城だ。
「すごいっす!!!」
イトヨリが目を輝かせる。
「伊豆半島のハワイアンズっす!!!」
「海の中に作る必要ある?」
「温泉っすよ!」
「それは見れば分かる」
温かい水が湧いている場所には、特に派手な小魚が多かった。
「お前ら、この辺の魚?」
一匹が振り返る。
「違うよ。南から来た」
「黒潮に乗ってきた」
「じゃあ死滅回遊魚?」
「そうだよ」
「去年からいる」
「…………」
別の一匹も口を開く。
「ここ暖かいから冬も平気だった」
「今年もここにいるよ」
「死滅してないじゃん!!!」
「死滅回遊魚だよ?」
「名前に負けるなよ!」
周りを見ると、一匹や二匹ではない。
「ここ最高だよ」
「暖かいし」
「ご飯あるし」
「温泉あるし」
「もうお前ら赤沢の魚だろ!」
少し先から、見慣れた魚がこちらへ寄ってきた。
「遅いぞ」
「ホンガツオ!」
神子元から一緒だったホンガツオだ。
「先に来てたのか」
「あの速度に付き合っていられるか」
「ですよね」
ホンガツオは俺たちと並んで泳ぎ始めた。
「チカメさん、まず温泉入るっす!」
イトヨリが海底から温かい水の湧く場所へ向かう。
「ここっす!」
「おお」
これは分かる。周囲より明らかに温かい。
魚たちが集まり、気持ちよさそうにしている。キントキダイも入った。
「これは……悪くありませんね」
キンメも続く。
「…………あったかい」
俺も入ってみる。
確かに気持ちいい。
「で、こっちが水風呂っす!」
イトヨリが数メートル先へ移動した。
「海だよ」
「冷たいっす!」
「温泉から出ただけだよ!」
「温冷交代浴っす!」
「移動しただけだろ!!!」
「次こっちっす!」
「まだあんの?」
少し開けた場所へ移動する。
イトヨリが誇らしげに海を示した。
「インフィニティ温泉っす!!!」
「ほう」
「温泉と海が繋がってるっす!」
「…………」
「どこまでが温泉か分からないっす!」
「…………」
「海と一体になってるっす!!!」
「最初から海と繋がってんだよ!!!」
近くにいた魚が言った。
「でも、ここの水は違うよ」
「何が?」
「水が違う」
「だから何が?」
「入れば分かる」
「俺たち生まれてからずっと水に入ってるんだけど!」
別の魚も頷く。
「海洋深層水だから」
「俺たち海水に住んでるんだよ!!!」
「身体への入り方が違う」
「エラから入ってるよ!!!」
キンメが静かに水を確かめた。
「…………普通の海水」
周囲の魚が一斉にキンメを見る。
「違うよ」
「全然違う」
「分かってないな」
キンメは少し考えた。
「…………ごめん」
「謝らなくていいよ!!!」
赤沢、面倒くさい。
その時、遠くから二代目の声が聞こえた。
「じいちゃーん!!!」
「あ」
そうだった。
あいつは温泉に遊びに来たんじゃない。じいちゃんを迎えに来たんだった。
「チカメさん、あっちも何かやってるっす!」
別の方向に魚が集まっていた。そして聞こえてくる。
「エビスダイ!!!」
「オジサン!!!」
「今日はオジサンだ!」
「いや、エビスダイだろ!」
「…………」
聞き覚えのある種類の歓声だ。
「またじゃない?」
「何がっすか?」
「行けば分かるよ」
魚だかりへ近づく。その中心には、熱い湯が湧き出している場所があった。
そして。
ジャージ姿のカマスが三匹。
「…………」
一匹が俺に気づいた。
「あ」
もう一匹も見る。
「チカメじゃん」
三匹目も振り返った。
「久しぶり」
「お前ら何してんの!?」
北川温泉にいた三匹だった。
「何って」
「見に来た」
「わざわざ赤沢まで?」
「北川とは違うからな」
「何が?」
三匹が揃って中心を見る。
「本場は違う」
「ここが本場なの!?」
その隣から、さらに聞き覚えのある声がした。
「ワタシ、オジサンに全部デース!」
「…………」
でかい。
「ペリー」
「OH! チカメ!」
ザトウクジラのペリーがいた。
「なんでお前までいるんだよ!!!」
「SPAデース!」
「お前、海に住んでるだろ!!!」
「赤沢の水は違いマース!」
「お前までそれ言うの!?」
歓声が上がった。
俺は魚だかりの中心を見る。
エビスダイ。
オジサン。
二匹が並んで熱い湯に入っている。
その周囲では、大勢の魚が賭けていた。
そして上を見る。
ブリ。
イナダ。
カンパチ。
ヒラマサ。
大型の回遊魚まで集まっている。
「…………またやってんのかよ!!!」
北川温泉でも見た。
熱い温泉に入って、どちらが先に茹で上がるかを賭ける。茹で上がった魚が浮いてくれば、上で待っている連中が食う。
場所が変わっただけで、やっていることは同じだ。
カマスが俺を見る。
「同じだと思ってるだろ」
「同じだろ!!!」
「全然違う」
「どこが!?」
「規模が違う」
「規模?」
改めて周囲を見る。
確かに多い。
北川とは比べものにならない数の魚が集まっている。賭けている魚。上で待っている回遊魚。その周囲には、さっき見た死滅していない死滅回遊魚たちまでいる。
ペリーまでいる。
「でかくしただけじゃねえか!!!」
「本場だからな」
「何の本場だよ!!!」
「参加者の層も厚い」
「死ぬ奴の層を厚くするなよ!!!」
「赤沢は安全管理もしっかりしてる」
「この競技に安全管理あんの!?」
カマスが熱い湯の横を示した。
一匹の魚が、エビスダイとオジサンをじっと見ている。
「あれが監視員」
「おお! ちゃんといるじゃん!」
「茹で上がったかどうか見てる」
「助けろよ!!!」
監視員が参加者を確認する。
「エビスダイ、まだ生です!」
「判定が料理なんだよ!!!」
「オジサンもまだ生です!」
「分かったよ!!!」
カマス三匹は真剣に頷いている。
「エビスダイは鱗が強い」
「オジサンも強いぞ」
「今日は長い」
「鱗で予想してんのかよ!」
「危険だから参加には審査もある」
「そこはまともなんだ」
「鱗が弱い魚は出られない」
「おお」
「すぐ茹で上がって勝負にならないから」
「命を守るためじゃねえ!!!」
イトヨリも中心を覗き込んだ。
「チカメさん、どっちが強いと思うっすか?」
「参加するな!!!」
ペリーが声援を送る。
「オジサーン! GO! GO!」
「応援してどうにかなるの!?」
エビスダイは動かない。
オジサンも動かない。
熱い湯の中で、ひたすら耐えている。
「途中で苦しくなったらどうすんの?」
「我慢する」
「限界になったら?」
「我慢する」
「死にそうになったら?」
「そこが勝負どころだ」
「そこで出ろよ!!!」
やがて、オジサンの身体が少し傾いた。
「おっ!」
歓声が止まった。
カマス三匹が身を乗り出す。ペリーも目を見開く。
監視員がオジサンを確認した。
「オジサン、まだ生です!」
「もういいよその報告!!!」
上にいた回遊魚たちが、一斉に近づいてきた。
「はいはい。知ってるよ」
北川でも見た。
もうこの先も分かる。
オジサンの身体が、ゆっくり横になる。
「決まったな」
カマスが言った。
上ではブリやイナダが集まり始めている。
「早く上がってこい!」
「まだか!」
「腹減ったぞ!」
「温泉で昼飯待つなよ!!!」
その中で、一匹のカンパチが少しずつ下へ降りてきた。
「…………」
さらに下へ来る。
監視員が気づいた。
「お客様! 競技エリアへの立ち入りは危険です!」
「そうだ! 止めろ!」
カンパチは止まらない。
「お客様! 参加受付をされていない方は入れません!」
「受付の問題じゃねえよ!!!」
カンパチが、また一段下へ降りた。
熱い湯のすぐ上まで来ている。
「待てって!」
カンパチがオジサンを見た。
「待てるか!!!」
「待てえええええ!!!」




